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80. 大人の顔2
初めは、他愛のない話なのだろうと思った。
時間を潰すために、共通の知人の話を振っただけなのだと。
「ここには別の管理人を雇用して、僕には自分のとこに来いとか言うんだよ。
僕のことは自分が養うから、家のことをやってくれって。
あいつ、ばかだよねー」
思いがけない言葉に、詩子は言葉を失って風吹の顔を見つめた。
「あいつエリート官僚だし、もう30近いしさ、きっと上司なんかからお見合いの話も出てんじゃないかなーって思うんだ。
結婚…とか、考えなきゃなのに、僕のこと養うとか、ほんとばか。
僕には僕の暮らしがあるのに」
詩子は震える手で、バラの香りの紅茶を口に運ぶ。
「ずっと、…伊吹には、友達を横盗られてるんだと思ってたんだ。
僕が遊んでるとこに来て、皆を奪っていっちゃうって。
だけどさ、伊吹は僕と遊びたかったんだって。
伊吹が皆を奪ったんじゃなくて、僕が逃げちゃったんじゃないかって、泣きながら怒られて…。
あいつ、大人のくせに、電話の向こうでボロボロ泣きやがんの」
自分も泣き虫なことは棚上げで、兄の顔をして笑う。
「雪光にも、詩子ちゃんにも、…葵君に、高虎、春子さん、菜の花園の子供たち……。
今回の事件で僕は───いや、今回だけじゃないね。
いつも僕は皆に、迷惑を……負担を掛けてるんだと思うんだ。
だから、伊吹の誘いに乗って、ここから離れた方が良いんじゃないかなって…」
「───風吹様…っ」
「僕はそう思ったんだ」
カタカタと震える詩子の両手を、風吹の手が包み込んだ。
可愛い、と思っていたその人の掌は思っていたよりもずっと大きくて、大人の顔をして笑うその人がまるで知らない人のように感じて、詩子の心は逆に不安に陥る。
「皆のこと、好きなんだ。皆といると、楽しい。しあわせ。
僕は一緒にいられるだけでいいんだ。
だけど皆は、僕を守ってくれようとする。こんなに年下の女の子まで」
頭を優しく撫でられる。
いつもと違う……
雰囲気が、纏う空気が、いつもと違う………
「僕はきっとここにいたら、そのうち守られるのが当たり前だと思うようになる。
だけど、伊吹のところに行っても同じだ。やっぱり守られるだけ。
だったら、ちゃんと自分で就職先を探さなきゃ。
もう一度修行をやり直して、将来的に自分のお店を持てるようになって……。
そうしたら、誰にも守られずに生きていける。
修行中は休む暇なんて無いから、暫くは会えなくなっちゃうけど。
いつになるかわからないけど、頑張って自分の店を出せるようになったら、皆にも食べに来てもらえるし、僕もみんなと対等だって、胸を張って………」
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