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9.巡り会わせ2

───董子は殺されたのだよ なんでもないことのように、呼吸をするついでのような自然さで、雪光はそう吐き出した。 ぎゅっと心臓が縮みこむ感覚、冷や水を浴びせられたかのように、頭から熱が落ちていく。 「轢き逃げだよ。…いや、引き摺り逃げ、か。 深夜、仕事帰りに暗い道で100m近く、車で引き摺られた跡があった。 董子だと言って見せられたものは、もう人間の形を成してはいなかった。実感が、湧かなかった」 雪光は、平気なフリをしている。 本当はきっと、泣きそうなくせに。 だっていつもよりも、声が低い。縋り付くような手の力が、痛い。 「その夜、11時過ぎに電話があったのだよ。 私は友人と共にいて、着信に気づくことができなかった。きっと、車で駅まで迎えに来てほしいと伝えたかったのだろう。 結果、董子は1人夜道を歩き、死んでしまった。 詩子から聞いたのだろう? 董子は我々兄妹の幼馴染だ。あれも姉と呼び慕っていた。彼女を見殺しにした私を、恨んでいることだろう」 そんなことない───と言いたかったけれど、言葉が出てこなかった。 本当に恨んでいるのかもしれない。 恨んでなどいなくとも、どこかで引っかかっているかもしれない。 もしかしたらただ普通に、昔から余り仲の良くない今と変わらぬ2人だったのかもしれない。 けれど出会う前の2人のことなど、僕は知らない。 僕は、2人の幼馴染なんかじゃないから。 「董子は、敬虔なクリスチャンだった。 しかしどれ程祈っていようとも、感謝の意を捧げようとも、神は───聖母は、董子を護らなかった。彼女は酷く残酷に殺された。 我々残された者は、一刻一刻…いや、一瞬また一瞬と、彼女の記憶を失っていく。 想い出など、脆弱なものだ。写真でもなければ、その顔さえも徐々に記憶から薄れていってしまう。 例え写真を眺めようとも、私は日々変化をしていくのに、董子はその髪も、爪も……、それどころか表情すら変えることは無いのだ。 そしていつか、彼女を知る者が一人もいなくなれば………」 無に帰る───そう言うこと、か……。 「犯人だけは私が突き止めようと、播磨探偵に師事した。元々青山探偵事務所は私のものではない。青山にある播磨探偵の事務所だったのだ」 「播磨さんは、雪光の師匠だったんだね」 「ああ。私は犯人に対する報復さえ済めば、董子の後を追うつもりだったのだ。 なのに、あの人が突然、探偵をやめるから事務所を継げなどと…」 「なら、僕は播磨さんに感謝しなくちゃいけないな。 雪光がそのままいなくなっていたら、僕は君と逢えなかったんだから。 それに、董子さんにも。 ……すべての巡り会わせが、お前と僕を出逢わせたんだから」 「風吹……」 やっと───こっちを見たな、雪光。 なんだよ。そんな泣きそうな顔して、我慢してるんじゃないよ。 泣きたければ、泣けばいいんだ。 「僕はきっと、お前を甘やかすために……お前と出逢ったのかもな」 腕の中に、その胸の中に、抱きしめられた。 大切に、壊れやすい宝物を扱うように。 優しく包み込まれる。 時に酷く乱暴に接するくせに……。 大丈夫、僕は簡単には壊れないよ。 秘かに震える背中を、守るように強く抱きしめた。 この繊細な男の心が、ばらばらに砕け散ってしまわないように。

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