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3.傲慢な探偵1
窓際のマネージメントチェアに深く凭れていた男が、身を起こした。
デスクの上、ノートブックパソコンにクッションを敷いて寝ていた仔猫が、気配に気づくと小さな鈴の音をチリチリと鳴らしながら部屋の隅へと逃げていく。
どうやら、傍にいるのは好きだが、起きている奴を相手するのは面倒らしい。
猫は身勝手なものだ、と思っていると、部屋の主はまだ寝ぼけた顔で前髪を掻き上げ、目が合うと、
「一条君、コーヒー」
言うなり今度はデスクに突っ伏した。
猫の身勝手は、飼い主から譲り受けたものなのだろう。
「そんなことより青山、お客さんだ」
「客?」
顔を上げる。
青山は彼女を視線の先に見止めると、にやりと口角を上げた。
「ああ、更科春子さんでしたか。ようこそ、青山探偵事務所へ」
僕には確かに、にやりと見える。
しかしこれが女性から見ると、甘い笑みに見えると言うのだから不思議である。
そもそもこいつは、甘い笑みなど浮かべるような優しい男なんかじゃない。
顔のパーツと配置が、一般人よりもちょっと整っているせいで、得をしているだけなのだ。
更科春子に応接用のソファーを勧め、コーヒーを入れて戻ると、漸く起きた探偵が彼女の正面に座ったところだった。
春子の後にコーヒーを差し出すと、探偵は不満げなくぐもった声を漏らす。
「君は、主人が誰かも忘れてしまったのか?」
慣れてはいるが、酷い話である。
「ああ、すみません。これは私の奴隷でして」
訊かれてもいないのに、余計なことを伝える。
「誰が奴隷だ!僕はこのビルのオーナーなんだから、奴隷って言うなら君の方が立場は下だろうが」
「何を言っている。私がここを使ってやっているのだよ、金まで払って。当然君の使用料金も含まれているに決まってるじゃないか」
「入ってるわけがないだろ!」
「なんだ、初音 さんから聞いていないのか」
「へっ…?」
初音さん、と言うのは僕の祖母のことである。
ここの元々のオーナー兼管理人で、「都会が大好き、田舎じゃ暮らせない」と言っていたくせに半年ほど前、急に田舎に引っ込むと言いだし、以来本当に引っ込んだまま、たまにの帰省すらない状態だ。
名前は、一条 乃里子 と言う。
初音さんと言うのは、探偵が勝手に付けた名前…あだ名のようなものだ。
なにやら、初音さんの方がらしいだろう、と言うことなのだが。
何がらしいのか、僕には皆目見当もつかない。
その呼び名を気に入っている祖母も祖母であると思う。
「もしかして、ばあちゃんと2人でなんか勝手に…!」
「それよりもお客さんの話が先だろう。君は引っ込んでいたまえ」
手の甲をこちらに向け、口に出して「シッシッ」と振ってくる。
文句を言ってやりたい気持ちもあったが、確かに一理ある。
黙って引き下がり、探偵のマネージメントチェアに身を預けた。
椅子なのだから、座ったという表現が正しいのだろう。
けれどこの椅子は牛皮張りで重厚。
所謂 俗に社長椅子と言われる類のもので、小柄な僕が座るとすっぽり包み込まれて見えなくなってしまう、らしい。
勿論そんなわけはなく、向こうからもきちんと見えているに違いない。
ただの、いつもの探偵の意地悪発言にすぎない。
「ね~こ、よしよ~し」
戻ってきていた仔猫の喉元をくすぐると、その手に向けて猫パンチをお見舞いされた。
どうやら今は構われたくないようだ。
お腹が減った時にだけ自分から声をかけてくるところも、飼い主に似ている。
「先だって、父の使いの者がこちらにお邪魔致しましたかと」
彼女の声に、僕は一人の男を思い出した。
更科重行の遣い──本田尚哉、と言っただろうか。
「ああ、いらっしゃいましたね」
探偵は今思い出したかのように手を打ち付ける。すっとぼけた男だ。
僕は、そもそもオーナー兼管理人の立場を、祖母から受け継いだ身である。
だからと言って、「大家さん」と呼んで慕ってくれとまでは言わないが、あいつに従い尽くす謂われなんて小指の爪先ほども無いはずなのだ。
ところが午前中も僕は、先程までのように昼寝をする探偵の代わりに、来るかも分からない依頼者を応接用のソファに座って待ち続けていた。
そこに、几帳面そうな、小難しい顔をした男がやってきて、自らを「更科の遣い」だと名乗った。
名刺を差し出し、「播磨 様のご紹介で参りました」と言った。
そこで漸く探偵は身を起こし、
「お話を伺いましょう」
僕を脇へ追いやり、ソファに腰を据えた。
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