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6.ノブレス・オブリージュ2

マネージメントチェアの上で反転、膝立ちし、背もたれにあごを乗せて窓から下を見た。 エントランスの扉が開き、黒髪の令嬢がそれをくぐる。 駐車場から出てきた黒塗りの、一目でそれと分かる高級車が彼女の前に停まった。 運転席から男が現れ、白手袋で後部座席のドアを開く。 車のドアが閉まる音が2回。 エンジン音も静かに、車は青山通り方面へ消えていった。 暫く車の去った方向を見つめる。 「さあ、退き給え」 「いでっ」 言うなり椅子からほっぽり出されていた。 こいつは力も結構強い。 何か格闘技も習っていたらしく、体格云々を除いても喧嘩じゃ勝てそうにもない。 僕は高卒だけど、探偵は六大学の何処かの卒業生だと言っていた。 僕がこの男より勝ることは、一つも無いのだろう。 不本意だが、僕は探偵が上等な男であることを知っている。 その言葉に逆らえないのも、きっと自分が奴より下等な人間であると認めているからだ。 「綺麗な人だったな。清楚な感じで」 同年代の、ギャルと呼ばれる女性たちとは全く違っていた。 街を行く大学生やOL達とは、異質の存在だった。 貴族のような上品さは感じたけれど、地位や権力を振りかざし生きている様子は見受けられなかった。 「ノブレス・オブリージュ」 「は?」 「フランス語だ。位高ければ得高きを要す」 日本語訳か?それを聞いても理解が出来ない。 それなのに構わず探偵は先へ進める。 「19世紀のイギリスに、ファニー・ケンブルと言う女性がいた。彼女は俳優一家の一員で、女優にして著作家。ロンドン生まれだが、教育は主にフランスで受けたそうだ。彼女の初舞台は1829年10月26日のコヴェント・ガーデン。シェークスピアの───」 こうなると、探偵の話は止まらない。 研究者にでも頭を切開して見せてやれば研究の発展に繋がるんじゃないかと思うほど、この男の頭の中は知識や情報で溢れている。 けれど、僕にとっては興味のない話を延々聞かされることは苦痛でしかない。 「女優をやめた後、アメリカ合衆国建国の父の一人、ピアース・バトラーの孫、ピアース・バトラーと結婚するのだが───」 ピアース・バトラーの孫のピアース・バトラーって…。 まさかお前も、青山雪光の孫の青山雪光だって言うんじゃあるまいな。 「いてっ」 そして面倒だからと話半分で聞いていると、きちんと聞けとどつかれるのだ。 「ここからが重要なのだよ、一条君」 なのだよ、って、お前は一体何世紀の何人なんだよ。ここは21世紀の日本だぞ。 立たされ坊主を決め込んでいると、ソファーにポンと放り出された。 仕方なくそこに座りなおすと、探偵もこちらへやってきて正面に腰を下ろす。 それで、孫の孫のバトル・ピアラーがなんだっけ? 「ファニーはバトラーが祖父から相続したプランテーションで目の当たりにした、奴隷の生活条件やその待遇に衝撃を受けた。そしてその頃からつけていた日記が奴隷制度廃止運動家の間で回覧され、南北戦争が勃発するとイギリス、アメリカ両国で出版された。彼女は奴隷制の問題に関して発言を続け、しばしば慈善目的の寄付をしていたそうだ」 そこで探偵は一息つき、少し冷めたコーヒーを口にした。 それは喉も乾くことだろう。 聞いて取れる息継ぎもなしじゃ、働きすぎの舌も可哀想だ。 「貴族が義務を負うのならば、王族はそれに比してより多くの義務を負わねばならない。彼女が手紙に書いた一文だ。この、『貴族が義務を負う』の部分が、フランス語でノブレス・オブリージュ。まあ直訳をすれば『高貴さは義務を強制する』となるのだが」 「あ……」 はじめに、繋がった。 とっくに忘れていた、覚えられない発音の言葉に、遠回りの探偵がようやく戻ってきた。 「裕福層、有名人、権力者は社会の模範となるように振る舞うべきだ。これは基本的には心理的な自負・自尊であるが、『特権は、それを持たない人々への義務によって釣り合いが保たれるべきだ』を以てして外形的な義務として用いることも多いのだ。彼女のように」 「彼女…?」 「更科春子、彼女が代表するボランティア団体が掲げる理念が、ノブレス・オブリージュなのだよ」

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