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28.更科家の執事1

「具合が悪い訳じゃないんです」 心配させてごめんなさいと頭を下げた。 車の中は少し涼しいくらいで、煮えたぎっていた頭を大分冷やしてくれた。 そして僕はやっと、車の中に春子さんの姿がないことに気付いた。 「お嬢様は只今お仕事で、妹の桜子様との打ち合わせに行っておられます」 ついきょろきょろと姿を探してしまうと、それに気付いて中川さんが教えてくれた。 終わる頃に迎えに来るよう言われ、車を走らせていたそうだ。 時間はまだ平気なのかと心配したが、まだ数十分の余裕があるらしい。 「どうされましたか?…その、差し支えがなければ、でよろしいのですが」 気遣わしげにのぞき込まれて、すっかり忘れていた熱が戻ってくる。 探偵のヤツが、これ程までとは言わないが、この半分でも優しければ…!! 「今、探偵のヤツが、事務所に女の人を連れ込んでいて」 「…はい…」 中川さんは、少し困った顔で返事をした。 「追い出されて出てきたんだけど、行く場所もないし、なんで僕が遠慮してやらなきゃいけないんだって思ったりしたら、すっごく腹が立って」 「まだ、昼にもなっておりませんが、…そう言ったことは良くあるのですか?」 「や、多分僕が来てからは初めてで…、恋人でもないみたいだし。でもそれを人の所為みたいに言うから」 「一条様の?」 「昨夜ゆうべ僕が煽ったからとか言ってきて!」 うー、思い返すだけで腹が立つ! 「昨日はあの後探偵とバーに行ったんですけど、僕、お酒飲んで寝ちゃって…。だから探偵は自分の部屋に連れて帰ってくれて、そこまでは逆にありがとうなんだけど! …起きたら一緒にベッドで寝てて、服脱がされてるし、肩に噛み痕まで付いてるし……。 それでね、ご飯食べて事務所に下りたら女の人が来てて、探偵のヤツ僕が煽ったからとか言って、それで2人で事務所に籠っちゃったんです! ね、酷いでしょ!?訳分かんないですよね!」 ちょっと厭味言ったぐらいで全部僕のせいだなんて、狡いし酷い。 僕はいつももっと嫌なことを言われても、涙を飲んで我慢しているのに。 赤信号で車が停まる。 中川さんが、こちらに顔を向けた。神妙な表情だ。 「もしかしてお二人の関係は、……いえ、邪推を致しました。申し訳ありません」 「関係って、…オーナーと店子、管理人と住人ってとこで、あいつは友達でもないし」 邪推って、何を想像したんだろう。 探偵と親友とか、実は腹違いの兄弟とか…? いや、ないない。ムリムリ。探偵と親友とか、どんな慈善事業だよ。 「そう…でございますか」 中川さんが再び前を向くと信号は青に変わり、車がスゥ──と走り出す。 やがて、代々木公園の入り口で車が停まった。 此処で捨て置かれてもな、と思っていると、運転席から降りた中川さんがドアを開けて手を差し出してくれる。 「こちらで少々お待ち下さい。車をおいて参ります」 なんだか、お嬢様になったみたいだ。お坊ちゃんじゃ、手までは引かないだろうし。 中川さん、春子さんへの接し方が癖になっちゃってるんだろうな。 くすりと笑いが漏れる。

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