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38.らしくない3
始まりは、確かに就職希望の工業高校生だった。
入学して早々、クラスに友達が出来た。
きっかけは単純。出席番号順の席で前と後ろだったって、それだけの話だ。
そいつが4月生まれで、既に春休みにバイクの免許を持っていて。
思えばその出会いが、僕の人生を変えたんだ。
悪い方に?良い方に?それはまだ分からない。人生を終えるときに初めて、ああ良かったとか、人生駄目にされたとか思うのかもしれない。まあ恨みに思った所で、人生なんて所詮自己責任だけれど。
ただ、今はそれがなければ現在 は無かったと思うから、あれはやっぱり転機だったんだと。それが分かっているだけで、充分だと思ってる。
そいつに誘われるがまま免許を取って、バイトをして溜めた金でバイクを買って、バイトのない日は2人で道を飛ばして……
気付いたら人数が増えてて、誰かがチームって名乗りだした。お蔭でスタートからそこにいたあいつも僕もリーダー格。
スピード違反で白バイに追いかけられることも稀じゃなかったし、家に帰らないで補導されかけられたことも度々あった。そんな高校時代だった。
当たり前みたいに、卒業後もこのまま走り続けていたい。働くようになったら自由が無くなる、なんて考えて、就職なんて出来なくて卒業してもアルバイトを続けていた。
あいつはちゃっかり公務員になんてなりやがって、僕は置いてけぼりを食らったみたいで淋しくて、益々荒れていって…。
ある日、外で夜を越した翌日、昼前頃。帰宅するなり待っていたじいちゃんにいきなりブン殴られた。
母方のじいちゃんだ。じじいのくせに馬鹿力で筋肉ムキムキで、ガキの頃から腕相撲で勝てた試しなんか無かった。
そして、引きずられていった先はじいちゃんの店、日本料理屋さがら。
母さんが、非行に走った僕の更正を頼んだらしい。
その際には母さんも、どうしてそうなるまで放っておいたのだと散々叱られたのだそうだ。
僕の方は、まさか自分が非行に走っているなど露ほども思っていなかったから、親に苦労を掛けていたのだと知って驚いた。
少しだけ、後悔もした。
そして19歳から半年前、じいちゃんが倒れて店仕舞いするまでの8年間、日本料理屋の板前として働いてきたのである。
じいちゃんからすれば未だに、お前なんか半人前ですらない、そうだが。
そして、職を失い新しい店を探していたところ、今度は父方のばあちゃんから声が掛かった。
田舎に引っ込むから、持ちビルの管理人をやらないか。ビルと土地の権利も譲るから、と。
再就職先がなかなか見つからずに悩んでいた時期に、渡りに船だった。
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