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49.イワナガヒメ4
「風吹様。申し訳御座いませんでした。巻き込むつもりはなかったのです」
春子さんの声は、涙で湿っていた。
騒ぎで駆けつけた使用人に、探偵が何事かを告げる。
「私を殺したい方がいるのなら、殺されてしまいたかった。誰も…誰一人も巻き込むつもりなどなかったのです」
ただ、死ぬその直前までは、普段通りに過ごしていたかったのだと、彼女は言った。
「なん…で…?」
声が掠れる。
お話しにならないで、と詩子ちゃんに咎められた。必死な瞳で首を振っている。
「風吹様も、妹の桜子はご覧になられたでしょう?」
ああ、矢張り、と思う。
「美人でスタイルも良く社交的。妹は父のお気に入りでもありました。妹とは父は同じ、母が違います。私の母は前妻、ですが私と妹とは歳が数ヶ月しか変わらないのです」
可笑しいでしょう?と、春子さんは笑った。
これが、ひとつめの闇。
「あれは、昨年の3月の事でした。私たち姉妹は同じ男性の元へ、婚約者として赴きました。どちらか一方を選べるようにと」
1ヶ月共に過ごし、選ばれたのは妹の桜子だったそうだ。
やはり男性は妹のような娘が好いのだと───それが、ふたつめの闇。
「石長比売 をご存知ですか?」
イワナガヒメ……?分からない…。
視線をやると探偵は、早口に口を走らせた。
「大山祇神 の娘で、木花之佐久夜比売 の姉だ。
石長比売は木花之佐久夜比売と共に天孫瓊々杵尊 の元へ嫁ぐが、醜いと言う理由で石長比売だけが大山祇神の元へ送り返された。日本神話ですね」
春子さんが静かに頷く。淋しそうに、淋しそうに笑って。
「私が美しくないから返されたのだと。我が身を、神と重ね合わせました。罰当たりなことです」
「貴女は神道の信者なので?」
「…いいえ」
「ならば構わないでしょう。天罰は、信じる者にしか下らぬものです」
「そう…ですね」
けれど、醜いだけが理由ではなかったのです。と、春子さんは哀しみで顔を歪ませた。
「彼に言われました。私のやっていることは支出ばかりで実にならない下らないことだと。父も、兄も、妹も、親族の誰もが。
ですが、私はおばあさまから受け継いだ高貴な思想を持ち続けていたいのです。命尽きるその日まで、高貴な思想を捨てたくはないのです。奪われるくらいなら、命など捨ててしまった方がいい!」
それが、死を急いだ理由。
「ノブレス・オブリージュ」
詩子ちゃんが傍らで呟いた。
少しだけ、身を起こす。
「まだ駄目です!」
慌てたように怒られたけれど、切られた直後よりは大分落ち着いているようだ。
詩子ちゃんの止血のおかげ。
「じゃあ、だめだよ、春子さん…」
まだ通常と同じ様には話せない、か。
声が、きちんと通らない。
「高貴な、者は、その行いも、高貴…じゃなきゃ…だから。自ら殺される…とか…だめ」
「風吹様…っ」
春子さんに、届いて。僕の、言葉。
ケフンッ…小さな咳が出た。
「風吹っ!」
「平気……たか、とら…」
君は、僕の心配なんてしている場合じゃないだろう。腕の中の春子さんが、震えながら泣いているって言うのに。
「更科春子さん、一条君が私に言った言葉を聞いていましたか?」
探偵の問いに、春子さんは小さな声で、はいと答える。
僕は、何か…特別なことでも言っただろうか。最近あいつに言った言葉なんて、文句と命令と、少し甘やかしてやったくらいで…。
「誰も巻き込みたくないと言いながら他者と共に過ごす。ノブレス・オブリージュを唱えながら自らは執事を連れ、こんな立派な屋敷に住み、高級店の衣服を纏い、高級車を乗り回す。貴女の行動は支離滅裂だ。高貴な思想を持ち、恵まれない者に対する義務をと思うなら、それなりの行いをしなさい」
「青山…っ」
言い過ぎだ、そう伝えたくて名前を呼ぶと、探偵は流れるように春子さんから視線をずらした。
「自分が危険な状況で他人の心配などしているから、君はそう言う目に合うのだ。何が春子さんを守ってだ。君こそ私の傍を離れず、私に守られていればいいのだ」
勝手なことを一気に言い切って、僕には反撃の隙も与えない。
ひどく怒っている。
そして探偵は踏む力を強め、
「菅原由実さん、貴女は、立卿大学の卒業生ですね」
静かな声で犯人に問いかけた。その視線は、僕の瞳を捉えている。
君は喋らずおとなしく転がっていろ。
尖った目が、そう言っている。
───わかったよ。雪光。
力を抜いて、詩子ちゃんに体を預けた。
「ごめん…ね…」
「いいえ、風吹様、いいえ…っ」
そんな涙ぐまないで欲しいな。まるで、このまま死んじゃうみたいだ…。
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