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53.情報収集能力2

「八坂氏、長司氏、久木氏、更科氏、この4人はその年の自転車競技レースで賭けをしていた。  優勝者には、更科百合子との結婚がかかっていたのですよ」 「そりゃあまた、甘酸っぱいねぇ」 「だが、彼女はただ美しいばかりの娘ではなかった。  更科製薬の一人娘だったのです。  25歳から40歳、4人もの男が、周囲も気にせず求愛していたものだから、当時のことを覚えている方は多くいらっしゃいましたよ。  どうやら八坂氏、長司氏は本気だったが、久木氏は遊び半分だったらしい。  真実は本人に聞かなくては分かりませんがね。  そして、こちらは事実ですが、更科氏、元は計谷(はかりや)重行は当時付き合っている恋人がいた。  女の名は、三郷(みさと) 美櫻(みお)。  更科さん、貴女ならご存知ですね」 「…はい、義母──妹の実母です」 「薬学部出身だった重行は、当時更科製薬の一社員だった。平の彼が社長へと昇り詰めるに手っ取り早い方法が、」 「一人娘との婚姻…」 「春子さんには申し訳ないが、愛の無い結婚だったのでしょう」 「…いえ、存じ上げておりますから……」 「そして、レース中に事故は起きた。  自転車競技と言うと競技場の中で周回するトラックレースを想像しがちですが、彼らのそれはロードレース。道路上、車道や山道をロードバイクと呼ばれる自転車で走り競うレースです。  その日は未明まで雨が降っていて、道は濡れていた。  右京裕介は山道を走行中、カーブでスリップしてしまったのです。そして、崖を滑り落ちた。  その際に、先の4人がすぐ近くを走っていました。近くとはどの程度か。  呉島さん、中川さんの肩に触れていただけますか?」 「肩?…こうかい?」 「ストップ!そのまま動かずに」 肩に触れる寸で、探偵が停止を掛けた。 正さんと高虎、2人の間には、女性一人分の幅も無い。 「1人は右京とこの程度しか離れぬ場所で走っていたのです。  ロードバイクのスピードは、レースに出場するような者ならば時速40km以上も出すと言います。  背後を走っている者に何かあれば気づかない速さかもしれない。  しかし、その男は右京よりも少し後ろを走っていた。  更に後ろを走っていた者達が、その男が右京にプレッシャーをかけるところを見ている。横から何度もぶつけていたと。    若く美しい女性から訊ねられれば、3人共すんなり教えてくれたそうです。  娘を殺された直後だと言うのに、実に親切な男達だ」 「誰っ!?その男はだっ……ぐうっ」 一瞬、誰が叫んだのか分からなかった。 菅原由美が、探偵に強く踏まれうめき声をあげていた。 「雪ちゃん、あんまりやりすぎるとさ」 「呉島さん、この女は私に断りもなく、一条君を傷つけたんですよ」 「そりゃ、気持ちは分かるけどねぇ」 「さあ、先頭の5人のうち、1人は脱落した。まあそれは、賭けとは関係のない男でしたが。 4人はそのまま走り続け、初めにゴールラインを越えたのは、計谷重行だった」 「助けを呼ばなかったのですか!?」 「審判カーが第2集団との間を走っていたそうだから、戻るか待つかすれば簡単に救助を呼ぶことができただろう。  しかし、そうはしなかった。速度を緩めれば順位に変化が生じる。  結果、右京を見殺しにした」 「そんな……、死なずに済んだかもしれない命を…」 「名波君、君はもう少し平常心を身に着け給え。仮にも警察組織の人間なのだろう」 「っ、………」 ばか探偵。彼の中に人間らしい部分があればこそ、僕は葵君を好きになったんだよ。 人が傷ついても平気な顔してる奴となんて、つるみたくないだろ。 葵君は、そのままでいいんだよ。 真面目で、一生懸命で、人を思いやれる。優しい君が、僕は好きだよ。 想いを込めて、握られる手にぎゅっと力を入れた。 葵君が不安そうに見つめてくるから、なんとか微笑んで見せる。

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