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第70話
新人小泉の懐具合を心配したことへの舌打ちとわかりカチンときた。
「こうして内輪で飲みに行くの初めてだし、今日は僕が小泉の分出すよ」
「いいんですか」
「うん。滅多にないことだと思って今日のところは先輩に奢られてよ」
「じゃあ、お言葉に甘えて……。ありがとうございます」
笹本は内心むかむかしながら小泉に笑顔を向けて、渋澤のリアクションを待った。
しかしそれから店に着くまで一度も、渋澤は口も開かなければ振り向きもしなかった。
渋澤の後を10分程ついて歩くと歩道橋の見える道路にさしかかり、その歩道橋下に赤ちょうちんがぶら下がっていた。
毎日寄り道することなく真っ直ぐ帰宅する笹本はこんなところに赤ちょうちんがぶら下がっていることすら知らなかった。
渋澤は傘を畳み、慣れた様子で店の引き戸を開け、店員に3人だと告げると靴を脱いで座敷席へどかっと座った。
「へぇ……雰囲気のあるお店ですね」
小泉が店内をきょろきょろと見まわしている。
カウンター席にテーブル席、座敷もあって案外広い。店内は温かみのある柔らかい照明に包まれ、昔ながらにある定食屋のような雰囲気を漂わせている。
壁には黒く光沢のある黒板が掛けられていて、白いチョークでメニューがずらりと書かれていた。
渋澤に続き、笹本達も靴を脱いでテーブルを挟んで渋澤の向かい側に小泉と並んで座る。
「渋澤、おすすめとかある?」
「おでんの具全部美味いっすよ。あとはお茶漬けが美味い。シメに頼もうかと思ってます」
「そうなんだ。……渋澤、もう怒ってない?」
せっかくの酒の席だ。不機嫌なのが1人でもいれば美味いものも不味くなることだってある。
自分は何も悪くないが小泉が一緒なのだから、渋澤にはいつもの調子でいて欲しいと思う。
渋澤は笹本の問いに答えず、しばらく笹本の顔を見つめ、その後はーっと溜息を一つ吐いた。
「っ、なんだよその溜息は!人がせっかく譲歩してやろうかと思ってるのに」
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