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第139話
この場にいない美咲の名前に思わず吹き出した。
暫くして肉が運ばれてくると渋澤の雑な肉の焼き方に小泉がストップをかける。
「ここは俺が取仕切ります」
早い話、小泉は焼肉奉行だった。
網が焦げてしまう前に塩で食べるタンを焼かなきゃならないだとか、カルビをひっくり返すタイミングがどうだとか、何かと細々口煩い。
最初は「ごちゃごちゃうるせーな」と焼ければなんでもいいと思っていた渋澤も、面倒くさくなったのか小泉の好きに焼かせている。
小泉が一生懸命焼いてくれるので、食べるだけのこっちは気が楽だ。
「笹本さん、口開けて」
「え」
肉汁がどうのとぶつぶつ言いながら肉を焼く小泉をスルーして渋澤がサンチュに包んだ肉を笹本の口元へと運ぶ。
鼻先に付きそうな勢いでそれを寄せられ、笹本は反射的に口を開けた。
「あ、うまい」
「うまいっしょー。トントロキムチのサンチュ包み~」
「ちょっと渋澤さん!何抜け駆けしてるんですか!そういうのは俺もやりたい!」
「うるせーな。お前はこれでも食ってろ」
そう言って渋澤は小泉の口に手で掴んだ焼きシイタケを押し込んだ。
「あ、ひどっ……、美味しい」
このやり取りも何度見たかわからない。酒も回り、そのばかばかしいやり取りがおかしくて、笹本は笑った。
沈んでいた気持ちはいつの間にか急浮上し、肉も腹いっぱい食べた。
その後会計を済ませ、3人は店の前で解散することになった。
「今日はありがとな。お疲れさま」
ほわほわと酔って上気した体を生温い風が撫でる。
本当はもっとバカをして騒ぎたい気分だったが明日も仕事だろうと理性がそれを制止した。
笹本は2人と別れ、バス停へと向かって歩き始めた。
1人になった途端、じわじわと罪悪感が湧き上がる。
見て見ぬふりをし、一つ一つ、また一つ、と積み上げられる渋澤への気持ち。
このままこうしてぬるま湯に浸かっているわけにもいかないのはわかる。
でも、自分からどうアクションを起こせばいいのかもわからない。
笹本は曲がり角を曲がったところで足を止めた。
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