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第190話

失敗するつもりなど微塵もなかった。 成功のイメージを強く持てばそんなことにはならない気さえしていた。 だから、もし、失敗したら?という非常事態については考えもしなかったのだ。 しかし悲しいことに現実にお盆は床の上。 笹本の頭の中が真っ白になる。 ─拾って正面で一回返して一礼、だろ! お盆を拾って演技を再開しなくてはならないと頭でわかっているのに、体が言うことを聞かない。 「ちゃんと穿いてんのかーっ」 「つーか付いてるか?」 ヤジの後に1拍の間を開け、どっと笑いの渦に包まれる。 「……っ!」 下のことを言われているとわかり、手が咄嗟に股間に伸びた。 すると股間を手で覆い隠している姿がおかしいと更なる客席の笑いを誘う。 本当はそんなことで気後れしている場合じゃない。 お盆を拾って一刻も早く演技に戻らなければならない筈だ。 だが、客席から好奇の眼差しを一気に注がれ自分が笑われている事、それらが笹本からすれば回避せねばならない非常事態でどうにかそこから免れようとする本能的な動作が手で股間を覆い隠すという仕草となって現れてしまった。 時間にすれば秒単位の出来事だっただろう。 しかし笹本にとって永遠とも感じられる時間。 迷い、悩み、固まってしまった体に動け動けと言い聞かせる。 ─大丈夫。股間はしっかり隠れている。だって下着をちゃんと着けているんだから。客席から見えるのは只の布切れだ。 一呼吸置いてほんの少しの冷静を取り戻し笹本は股間から手を外してお盆を拾おうとした。 その時、舞台の反対側からもゴトンッ!と、笹本がお盆を落とした時よりも更に派手な音が鳴り響いた。 「え……?」 反射的に音の方へと顔を向ける。 音の出所は渋澤だった。 「あっ、やっべーっ!!落としちゃったー」 渋澤の態とらしい台詞で、演出を装っているのかと錯覚させられる。 直ぐに客席中の視線と笑い声が笹本から渋澤へと移動した。 「……渋澤」 渋澤が笹本を庇う為にそうしたのは明白だった。 もしかすると、いや、間違いなく渋澤に助けられてしまった。 何とも形容し難い複雑な胸中に陥る。 自分は渋澤に告白する為にこれだけは頑張ろうと固く心に決めていた筈なのに。 「笹本さん、今のうちに」 小泉の声にはっとして、笹本は慌ててお盆を拾い上げ最早誰も見ていない客席へ向けて一礼し演技を終了させた。

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