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第2話
＊
「っ…！くぅ…っ！」
わたしの背に爪が立てられ、制服に皺が寄る。兄さんがわたしを抱き締めている。抱き締めている、というのはあまりにも都合の良い解釈かも知れない。しがみついてる。淡いクリーム色とネイビー、臙脂のようなリボンのセーラー服に兄さんの涙や唾液や鼻水がつく。汚いだとか嫌だとかは全く思わなかった。むしろ綺麗でわたしはさらに兄さんを抱き竦める。牙のないわたしに代わり、兄を貫くように頼んだのはわたしの…恋人だった。
side Futaba
恋人ではないと思う。わたしの牙だ。同性とのセックスは初めてらしい。でもノリ気だった。最初に興味を示したのは一枚 くんにだったけれど、この話を切り出した途端に彼の興味は兄さんに移ってしまった。失敗したと思った。でも秤に掛けたとき、一枚 くんよりも先に、わたしの目の前で兄さんを捕食させなければならなかった。それが見られるのならわたしはこの男と寝る。おかしいことでも悲しいことでもない。恋人なんだから。
「ぁ、ぃたい、っ、…！」
兄さんはわたしをわたしとは認識してないらしかった。薄い布を通した爪がわたしの背に食い込む。爪痕を残して欲しいけれど。か細い兄さんの声がわたしの肩に埋まる。兄さんが痛い、痛いと繰り返すためわたしはカレを睨んだ。カレは眉間に皺を寄せて、兄さんの腰を掴んで、夢中だった。
「っ、もう、やめ、てくれ、っ…」
兄さんが強く強くわたしを抱き締めた。絞め殺す気かも知れない。それもありだと思う。兄さんの人生をわたしが振り回す、そういうわたしの終わり方も。
「兄さん、ごめんね」
兄さんの重み。安らいだ。落ち着いた。わたしとカレに挟まれて、兄さんは痛みに呻き、身を震わせる。
「ふたば、ふたば…」
兄さんはまだわたしを信じてる。わたしが、兄さんが女みたいに犯されている様が見たくて仕方ないなんてこと、疑ってもいない。双葉、無事か。譫言を何度も、震えながらわたしの身を案じる。わたしは楽しかったのに、それなのに胸に穴が空いたみたいな変な感じがした。冷たい風が吹き抜ける。
「なぁ、痛いの嫌だったら日頃から慣らしておけよ」
カレは愉快そうだった。わたしはカレを睨む。カレは一瞬、戸惑った顔をした。そういうのがお望みじゃなかったのかよ。きっとそう思ったみたい。カレとは多分前提が違ってる。本当なら、わたしが兄さんを貫きたかった。男なら誰にでも頼めたわけじゃない。わたしとそれなりの結び付きがなければならなかった。兄さんにカレとわたしの存在を見せ付け、わたしはカレからは逃れられないのだと思わせて、それからたった一度では済まないこと…偶然ではないことをはっきり刻む込まなければいけなかった。だって一度で済むはずない。待ち望んでいた姿はちょっと違った。
「ぁ、ひ、あぁっ、いっ…！」
わたしを気遣う余裕はないらしかった。兄さんの痛みが爪を伝ってわたしの背に届く。やはりつらいのだろうか。段々と目覚めはじめた罪悪感。でも後悔はしていない。わたしが兄さんを抱くことなど叶わない夢なのだから。カレがわたしの牙になるしかない。
「兄さん…」
兄さんの背を撫でる。下半身はカレが抱き、上半身はわたしが抱き締める。兄さんは暖かくて、いい匂いがする。太陽みたいな匂い。一枚 くんみたいな作った匂いじゃない。
「こわ、れる…壊れるから…ッアぁ、ああ、ぐ、ふっ！」
カレが激しく兄さんを揺さぶった。男女の交尾もまだ見たことがなかった。性交時の男の動きがあまりにもおぞましくて、わたしは泣きそうになってしまった。やっぱり兄さんには似合わない。
「双葉、中出していい？」
わたしはカレを睨む。ゴムを付けていない。買っておいたのに。そういう人なんだ。でも強くは出られない。首を振った。
「い、やだ！っあ、許し、てくれ、もぉ、んア、やめっ…！」
兄さんは暴れた。でもカレが兄さんの腰を押さえつける。突然、見たくなった。嫌がる兄さんの体内が、女がされるみたいに汚されるところが、見たくなった。わたしがカレを向き直ると、カレもわたしを暫く見ていた。わたしは頷く。
「出すよ、っぁ、」
兄さんが強く揺さぶられ、わたしの皮膚に爪が深く入っていく。この痛みが、気持ち良かった。わたしが兄さんを抱けているみたいで嬉しかった。
「ぃ、ぎぃ、あっ、ああぁ、ァああアっ、あああああ！」
カレが強く兄さんを押さえつけ、揺さぶる動きを止めた。兄さんが叫ぶ。わたしは泣いていた。喜びと悔しさと悲しさと気持ち悪さと。
「今度また来るから、痛いの嫌なら慣らしておいてね？オニイサン」
カレの目が妖しく思えた。でもそれよりも、わたしの意識は兄さんの唇が切れていることに向いた。
「っくふ…は、はぁ…」
わたしの背に食い込む爪が和らいで、わたしの背に回った腕が力無く落ちた。
「双葉…」
「帰って」
涙を流すわたしにカレは目を見開いた。わたしは見られたくなくて、顔を逸らして、突き放してしまう。カレは何か言いかけて、でもやめてしまった。
「じゃあな」
まだカレはわたしに飽きないのだろうか。わたしはわたしの膝に落ちた兄さんを撫でる。
「双葉、大丈夫か？」
掠れた声でわたしの身を案じる。ゆっくり身体を起こしてわたしの濡れた頬に触れた。
「兄さん…」
わたしはまた泣いてしまった。泣きたいのは兄さんのほうなのに。
＊
side Hitohira
兄への想いは燻ったまま。兄の部屋を今日も覗く。これもひとつの性癖か。性癖はただの性的趣向だけの意味合いがあるわけではないらしいから、広い意味では習慣とも受け取れる。
「っあ、ぁく、ぅん…」
兄の部屋から甘やかな声がする。夢にまで見た、妄想の産物。だが現実ではありえない。AVかと思っていた。だがこの声は男のものだ。調教モノなら珍しくはない。ただこの声質をボクは知っていた。幻聴かも知れない。ボクは欲望に理性を奪い取られ、妄想を現実として知覚しているのか。統合性を失調しているのだ、今のボクは。だが兄の部屋という緊張感が妙に生々しい。
「や、はっ…あァっ…はぁ、はぁ、っぁん」
兄の声。これは妄想の中なのかも知れない。それとも現実世界の中でボクは幻覚を見ているのか。ふわふわした頭でボクは兄の部屋の扉を勢いよく開けた。誕生日ケーキの蝋燭の火を消すときによく似ていた。兄の身体が跳ねた。兄の裸の背。カーゴパンツを膝まで下ろし、膝立ちで、臀部に指を入れた姿。丸見えだ。怯えきった顔がボクに向けられる。ボクの妄想の中の兄の姿。ボクは躙 り寄る。兄はボクと似ていない精悍な男らしい顔を赤くして、歪めて、濡らして、ボクから遠ざかろうとする。そんなこと許さない。これは都合の良いボクの妄想だ。丸見えな兄のもの。夢の中のものより輪郭がはっきりしている。色もきちんと。兄のは、少し皮を被っていた。恥ずかしいのか、ボクの視線に気付くと兄は赤い顔をさらに真っ赤にして俯いた。
「見…るな…見ないでくれ…」
壁に背を預けて兄は無自覚にボクを煽る。ボクは肩に触れる。しなやかな筋肉。綺麗な肌。ボクの手が粛清されてしまうのではないかと思うほどきっと神聖なもの。でもボクの汗ばんだ穢らわしい掌は真っ白い壁に泥を投げ付けるみたいに兄を汚す。
「輪太郎兄さん…綺麗だ…」
兄は大袈裟なほどぎくっと身を震わせて、あまりに可愛すぎて、ずっと抱き締めていたくなる。
「やめ…ろ、一枚 …あっちへ行け…」
まだ威厳を保とうとする姿が愛しい。これは夢だ。でなきゃ、あるはずのない花園を兄がいじっているはずがない。
「輪太郎兄さん…」
兄の唇は柔らかかった。塞いだ途端に高い声を上げて、ボクの下半身は暴発しそうだった。兄の口は小さく震えていた。下唇を何度も吸って、奥に縮こまる舌を無理矢理絡める。兄がボクを拒否することなんて出来ないのだ。
「っふ、ぁアっん、くふン…」
嫌ならボクの舌を唇を噛めば良い。でも兄はそれが出来ない。お兄ちゃんだから。兄の顔を押さえ込んでさらにキスを深めた。甘い。
「や、ァん、」
くぷぷ…と空気の漏れる音。それから何度も舌が触れ合い、唇を吸う湿った音。ボクの片手は兄の胸に伸びる。ボクの願望。女の子になった身体は下腹部の奥だけでいい。引き締まった胸の小さな果実に触れる。強張ったのを感じた。執拗に指の腹で弾く。触れるたびに波打つ。顔を放すと、唾液が糸を引いた。頭はふわふわしたまま、本当に兄と深いキスをしてしまったのだという実感が喜びになって、火照りはじめる。
「何してたの、輪太郎兄さん…」
きっと濡れている、ボクの願望の坩堝…蜜壺があるそこへ手を伸ばす。でも、なかった。ボクの甥と、きっと兄のだけは蕾のような慎ましやなかな窄まり。ぬるついたその付近。辿る。男にもあるその器官が女特有の器官みたいにぬるついて濡れている。ボクは大きな勘違いをしていたのだと悟った。兄が膣を持っていなくてもセックス出来るということだ。
「輪太郎兄さん！」
すでに臨戦態勢直前にまで迫った兄の甥を晒して扱く。目の前でオナニーを始めた弟を兄は屈辱の目で見た。それがさらにボクを昂らせる。兄は首を振った。でもボクは止める気なんてない。
「いやだ！やめてくれ…！やめてくれ…！」
兄の両目からぼろぼろ涙が溢れ、叫んで、ボクを殴った。殴ったというよりは抵抗してボクの顔に当たった。自分の身を大事にしてほしい。矛盾した考えだった。兄を犯そうとしている弟を殴ったくらいで我に返って、それで謝っちゃう。他の人のことも無意識に誘って、強姦されそうになって、間違って殴っちゃったら抵抗やめちゃうの？だめだよ、ボク以外とセックスするなんて、そんなの。
「やめない。輪太郎兄さんとずっとセックスしたくて、ずっとつらかったんだよ？」
いやだ、いやだと兄はボクにのしかかられながら抵抗をやめない。
「やだ、やぁあああああァ！」
兄の腰を掴んで突き入れる。きつい。敏感な部分が力強く締め上げらるような感覚。兄はがくがく膝を揺らして床に上半身を落とした。
「輪太郎兄さん？」
「な、んで…なんで…なんで俺なんだ…」
涙が床に滴る様に見惚れた。虚ろな目がどこでもないどこかを見つめている。兄のしなやかな腕を掴んで腰を動かす。女のソコはここまで強く締まらない。けれどボクは兄の体内を暴くことが出来て最大の幸福感に痛みとは別に射精しそうだった。
「輪太郎兄さんが、綺麗だから…」
まだ滑らかには動けそうにない。兄の嗚咽を聞きながらボクは少しずつ腰を動かす。
「あ、ぃやぁ、あぐっ、痛い…っ」
「血、出てないよ？でも痛い？」
引き抜きながら問う。兄は何度も頷いた。やめる気はない。勢い良く楔を打ち込む。
「ぁっが、ぁぐ、ふっ…うう、っは、」
「かわいい」
兄の胸を撫で回す。掌で小さな粒の感触がある。
「やだ、やめ、あっ…も…なんで…」
兄の腸がボクを包む。ボクは必死に腰を動かした。動くたびに一番キツいところがボクの浸入を拒む。
「兄さん？」
双葉の声がした。まずいと思った。だがやめられなかった。兄の背から顔を上げる。双葉がボクたちを…いや、ボクに組み敷かれる兄を見ていた。双葉の大きな黒い目がボクの色素の薄い目とかち合う。
「やめろ！、あああっ、やめろぉ！」
兄が暴れ出した。ひく、ひく、とその度にボクを締め付ける。ボクはキツい痛みに完全に性癖を捻じ曲げられ、そのキツさを求めて何度も兄を突き上げる。双葉が暴れて叫ぶ兄を見ていた。
「いやだ、やぁァああ、やめ、んぁ、ああ！」
双葉の大きな瞳はただ兄だけを見下ろしていた。もう戻れないんだな、ってボクはこれが現実だと知っていた。双葉も兄がボクに犯されているところを見ている。それがボクを堪らなくさせた。兄はボクのだ。ボクは兄のものを扱く。女とは違う感覚、感触。
「やめ、ぁ、もう、はなせっ、はな、せ、はぁ、ンん…」
腰を振りながら手を動かせるほど器用なことがボクに出来たことが驚きだった。双葉はじっと、そのまま気絶しているのではないかというほど静かに部屋の入り口に立っている。
「やだ、ッアやめろ、はなせ、ンん、っはぁっ」
兄の身体が揺らされる。ボクは腰が止まらなかった。兄とセックスしている。そこに膣は要らなかった。
「輪太郎兄さん…っ、出すよ、出すよ…？」
ここでだめだと言われてもやめない。奥の奥を汚したい。そして兄がボクの遺伝子を産むところを見なければ。
「ああああ、っ、外に出せ、そと、そとぉ、んぁ、あああ、」
兄がまともに話せないほどボクは揺さぶった。かわいい。好きだ。兄の脇の下に腕を入れ、羽交い締めするように密着した。腰をだけが離れたり、突いたりする。生々しい動きを妹に見せてしまう。
びゅるる…びゅく…どく…っ
「いゃ、ああ、っくぁ、ああ…ああ…」
ゴムの中に出すのとは違う脈動が微かに兄の内壁から跳ね返ってくるよう気がした。身体中が溶けるような快感。全てがどうでもよくなってしまう。これから兄とどう暮らし、妹とはどう関わっていくのか。まだ中を掻き回しながら兄の半端に反応しているものをゆっくり扱く。
＊
side Eito
雨が降っている。オレは意味もなく双葉の家の前に来た。1週間前のことが忘れられない。カノジョの兄貴をカノジョに頼まれてレイプした。あの3人兄妹の部屋が並ぶ2階を見つめる。忘れられない、衝撃的なのもある。でもそれだけじゃない。あまりにもヨかった。気持ち良すぎた。男を抱くシュミはない。ただ双葉の兄の叫ぶ声、泣く顔、強く締め付ける穴。この6日間で何度も想像して抜いた。あり得ない胸の妙な鼓動。
ばたん！
大きな音。双葉の家の扉が乱暴に開いた。輪太郎オニイサンが慌てて出てくる。裸足だった。泥が跳ねる。オレも何故だか輪太郎オニイサンの前に立ちはだかってしまった。咄嗟だった。抱き締めたかった。急に止まれないほどの速さで走って来た輪太郎オニイサンはオレが前に立ち塞がることで前の家のブロック塀に激突することは防げたし、何より前の道に車が走っていなかったことがラッキー以外のなにものでもない。
「輪太郎オニイサン？」
普通の状態ではない。暴れた。オレと目が合うと、目を見開いてさらに暴れた。オレはオレより体格のいい輪太郎オニイサンをどうにか抱き留める。
「双葉に何かされたのか？」
自分で変なことを言ったものだと思った。冷静なオレの声に落ち着いたのか輪太郎オニイサンは少しずつ暴れるのをやめた。
「助けてくれ…」
輪太郎オニイサンはオレみたいな強姦魔にそう言うほど追い詰められているらしかった。
「…靴履かない派なの」
「っ、家には戻れないから…」
嗚咽している。
「…オレの家来ます…？ここから近いんすわ…いや、何もしないから…っていうとチャチなゲス男っぽいんだけど」
いや随分オレもゲス男だけどな。内心の自分ツッコミをスルーした。輪太郎オニイサンは双葉と違って頭が悪いのか、こくりと頷いた。妹のカレシで自分を強姦魔した相手に何故そこまで懐いているのだろうか。意味の分からなさ、急展開さにオレは軽く自分の顔を叩くが、夢ではないらしい。
輪太郎オニイサンと相合傘でオレは帰る。輪太郎オニイサンを濡らすのがなんだか嫌でオレの左半身は濡れている。睫毛に水滴が付く。まるで泣いているみたいに睫毛から雫が落ちた。
オレの家は高校から近く、双葉の家もまた高校から近かった。高校が近い家というのは博打もので、高校の偏差値と自身の偏差値が近ければそれは受験次第でラッキーなんだろうけど、偏差値が全く離れている場合というのは考えものだった。でもオレも双葉もあの高校。ただ中学では学区が少しの差で違っていた。オレは三中。双葉は四中。一中と二中はもう少し北にずれる。双葉と輪太郎オニイサンの間のほのぼのしたイケメン優男兄 は市外の高校みたいだけど。頭が悪いか、よっぽどいいか。
家に帰るとすぐ風呂。玄関である程度足を拭いてもらってから風呂場。輪太郎オニイサンは足を洗えばいいのだろうが、オレは身体の半分が濡れている。輪太郎オニイサンが足を洗っているが気にせずオレは全裸になってシャワーを浴び始めた。脱衣所に行った輪太郎オニイサンがまた風呂場に来たからオレはぎょっとした。
「ありがとう…迷惑ついでに一緒にいいか…？」
「ちょうどいいや、風呂沸かすわ。ちょっとシャワー浴びてて」
輪太郎オニイサンはちょっと照れていた。多分少し皮被ってるからだろう。かわいいと思うけどな、オレは。他のやつだったら気持ち悪いけど。だって輪太郎オニイサンは顔かっこいいけど雰囲気かわいいし、双葉には好かれてるし、双葉の話からいうとほぼ完璧らしい。なら皮かぶってるなんてギャップもプラスだろ。
シャワーヘッドを輪太郎オニイサンに渡してオレは昨晩の残り湯を流す。
「すまない…」
「いいよ、オレも入るし」
オレは誕生日に貰ったよく分からんけどちょっといいバスボムを取りに脱衣所のラックまで戻った。バラの香りがするらしい。薄ピンクの球体。中におもちゃでも入っていれば面白いけどそういう雰囲気はない。ただただおしゃれなバスボムだった。乱雑にバスタブを洗って湯を注ぐ。その間も輪太郎オニイサンは無言でオレも特に話すことがなかった。湯を溜めながらオレは身体を洗う。
「…君は何しに家 に来た」
「通りがかっただけ」
渋い顔で輪太郎オニイサンはオレを見ていた。嘘ではない。本当に双葉に用はなかった。だが通りがかったというのも、あの方面に用があったわけではない。
「…双葉に会いにきたのかと思った」
泡を落としてシャワーヘッドを輪太郎オニイサンに渡した。バスタブに溜まった湯を頭にかけてからシャンプーでワシャワシャと頭を洗う。雨水に濡れたからな、ハゲる前に。ハゲるのか知らんけど。
「…オニイサンこそ、どうしたんだよ」
輪太郎オニイサンは一度はオレを見たけどまた顔を逸らしてしまった。
「別に…っていうか、オニイサンって呼ぶな」
「いや、オニイサンはオニイサンでしょ。兄弟喧嘩？」
輪太郎オニイサンの目が少し赤く腫れていた。泣いているのか。
「そういうわけじゃ…っ、それに俺は君のオニイサンじゃないし、…俺はオニイサンにはならない」
「オニイサン、深く考えすぎ！双葉のお婿さんになろうとか嫁にほしいとかはまだ早いって」
オレは輪太郎オニイサンのほうを見て手を止めた。気付かなかった。首筋や鎖骨、背に散る赤い跡。女？女がいるのか？随分と積極的な女だ。でも輪太郎オニイサンとやっていくならそういう積極性が必要なのかも知れない。
「俺は双葉に嫌われていたらしい。何か言っていなかったか？…やはりつまらない男だったのか、俺は」
「は？」
それは無い。絶対にない。表情と態度のせいであまりそういう感じないけど双葉は立派なブラコンだ。頼まれたからオレは輪太郎オニイサンを抱いたというのにあれから双葉はオレを避けている。
「一枚 …、俺の弟で双葉の兄なんだが…そいつにも随分と嫌われていた。口煩かったんだろうな、母が何も言わないのは多分俺に気を遣ってるから、だから俺が…いや、すまない。君には関係のない愚痴だったな」
「いや、いいんでない。カノジョの兄って関係はあるし」
「俺は納得いってないからな」
「選ぶのは双葉でしょ」
輪太郎オニイサンは不服そうだ。双葉に似ず表情がある。そしてかわいい。なんとなくだけど雰囲気がナントカワラビーに似ている。
「ただ双葉が輪太郎オニイサンのこと嫌ってんのは勘違いだろ。だって双葉は輪太郎オニイサンのおやつ食べるからって帰りにバークイ誘っても来ないし」
バーガークイーン。略してバークイ。バーイン。バーキー。ガーイン。ガークイ。略し方論争は絶えない。
「…そうか」
「輪太郎オニイサンの弁当食べるからってすっげぇ美味しい購買のメロンパン食わないし。あ、そういや用務員のおっさんからリンゴ貰ったから剥いてやったらウサギじゃないって言ってたな。食ったけど」
そうだった。用務員のおっさんからリンゴ貰ったからナイフ借りて剥いてやったらウサギじゃないってぼやいてたわ。それでオレは双葉がどれだけ甘やかされた子なのか疑ったんだわな。
「…そうか」
「タコさんウインナー落として泣きそうになってたのも見たわ。すごい迷って拾い食いしそうになってたからオレが食ったらめっちゃ怒ってさ」
「…そうか」
ぽこぽこ胸を叩かれて、そんな大事なものなのかとオレは双葉を疑った。輪太郎オニイサンがどれだけ気持ち悪いやつなのかオレはまさかこんな人だとは想像もせず思っていた。
「それから…」
「いや、もういい…分かったから…妹とそのカレシの惚気(のろけ)を聞かされるのもな…」
輪太郎オニイサンは顔を赤くしていた。洗髪を終えてオレは湯船に浸かった。沈黙が流れ、風呂場の音と窓の外の雨音に聞き入る。
「何も、訊かないのか」
「言いたければお好きにどーぞ。こっちは無口なカノジョと付き合ってんだ」
輪太郎オニイサンがシャワーの蛇口を捻った。オレは条件反射というやつでバスタブの中で片方に寄る。輪太郎オニイサンはギョッとした。いや、湯船入るでしょ。輪太郎オニイサンをじっと見つめれば思いが通じたのか輪太郎オニイサンは湯船に入ってきた。
「君は…その、両刀遣 いなのか？」
「は？」
りょーとーつかい？リューグーノツカイ？狭い湯船の中ですぐ隣にいる輪太郎オニイサンを顔を見た。
「…バイなのかってこと…」
ただその単語を言うだけで輪太郎オニイサンはばつが悪そうだった。
「いや、男はムリ」
輪太郎オニイサンは不思議そうだった。それはそうだろう輪太郎オニイサンをレイプしたのだから。ただオレも驚いた。絶対萎えると思っていたのに、オレのはギンギンになっていた。オレは輪太郎オニイサンを是非とも犯したいと思った。一目見て。オレの抱いた欲が双葉と同じものかは分からないけど、双葉の頼みごとの意味がなんとなく分かってしまった。
「じゃあ、なんで…」
輪太郎オニイサンからその話を蒸し返すとは思わなかった。
「…オニイサン、よくオレについてきたね」
「一枚 にやられるくらいなら、君にされたほうがいい」
「何を？」
輪太郎オニイサンは顔を曇らせている。あの人畜無害そうだけど腹黒そうな女好きのするイケメン兄 に何をされるのだろう。本当に3人が3人似ていない。
「…なんでもない」
輪太郎オニイサンは俯いていた。無理には訊かない。それがオレのポリシー。オレは浮かぶバスボムを掌に乗せて溶けていく様を見つめていた。薔薇の香りが強くなる。輪太郎オニイサンもそれを見ていた。
「触ってもいいか？」
輪太郎オニイサンがそう訊いた。オレはビビった。輪太郎オニイサンを見ればきょとんとしている。溶けるバスボムのことらしい。オレは輪太郎オニイサンにバスボムを渡した。掌にピンクと白のカスが残って、湯で洗った。
「ありがとう。…いつも一枚 とか双葉が握っていてな…懐かしいな」
輪太郎オニイサンは強姦魔には見せないような優しい表情をしていた。長男の苦労だろう。オレの兄貴もそんな苦労があったのだろうか。何も察せずオレは兄貴よりも年上になってしまった。
「ってかどうすんの、兄弟喧嘩してんだろ。泊まってく？まさかの1週間両親旅行でさ。商店街の福引き、絶対アタリないだろって思ったんだけど。じっちゃんばっちゃんに飯でもタカりに行こうと思ってたところ」
輪太郎オニイサンは泡を出して溶けるバスボムを見つめている。
「…でも…」
「ずっとお兄ちゃんやってて疲れることってあるだろ。なんなら寝るところ別にするし、オールもありだな」
「…いいのか」
輪太郎オニイサンは少し考えてから遠慮がちに確認する。
「オールオッケー」
「それなら晩御飯は俺が作る」
「マジか。いつも双葉の弁当美味しそいだと思ってたんだよな～！」
キャラ弁も作れるし、双葉がなんかすごく男臭い弁当を持ってきたときは双葉も驚いていたけどそれも美味そうだった。多分父親か2番目の兄貴と間違ったんだろう。
「作り甲斐がありそうだ」
「怒ってないの？」
「何を」
「この前のこと」
「ちょっとは怒ってる」
「ちょっと？」
「激怒してほしいのか」
「変な人」
輪太郎オニイサンは会った時よりも朗らかだった。ずっと居てもいいくらいに思っていた。
風呂から上がった輪太郎オニイサンには父親の着替えを渡す。オレのでは入らない。リビングのソファでぐで、っと萎れていると輪太郎オニイサンは冷蔵庫の確認をしていいか訊いてきた。双葉の言う通り律儀だと思う。オレの友人たちは無断だ。
「ある程度食材は揃ってるんだな」
「昨日母さんが買い揃えていったんだわ」
「じゃがいももあるな。…カレーと肉じゃがどっちがいい？」
「どっちでもー」
「嫌いなものは」
「にんじんとグリーンピースと梅干しとトマトと…」
「じゃあにんじんは入れないぞ」
「いいの？」
「入れたほうがいいか」
「入れないで！」
輪太郎オニイサンはふわりと笑った。オレは少しぼうっとしてしまった。
「双葉は、輪太郎オニイサンは好き嫌い許さないって言ってた」
「今日だけだ。俺もにんじんはあまり得意じゃない」
「意外」
「双葉には内緒な」
輪太郎オニイサンとオレは、本当にレイプされた者と強姦魔には見えなくなっていた。輪太郎オニイサン、何があったんだろうな。
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