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第16話 ファーストディープキス

 ずっと、やりたいなって思ってんだ。ひとり暮らしになったら、思いっきりやりてぇって思ってた。誰の目も気にせず、こそこそしないで、ババーンとさ。 「へぇ、パッチワーク」 「そう! あれ、ツイッターでさ、コマメさんって人がいるんだけど。パッチワークめちゃくちゃ上手いの」  和臣は繋がってなかったっけ。俺の手芸友達。 「俺もやりたいなぁって思っててさ」  ワクワクしてた。だって、すげぇんだけど、この手芸屋。和臣の言っていたとおりに三階建てのビル丸ごとが手芸関連。三階は手芸教室だったから店とは違うんだけど、一階は手芸小物。針、糸、紐やらボタンやら。んで、俺たちが今いる二階はびっしり布生地と毛糸が並んでいた。地元の手芸屋とは商品数の桁が違う。二階に上がった瞬間、マジで歓声あげそうになるくらいテンションが高くなった。  二段に分かれた棚に立てかけて並べられた布たち。それだけじゃ収まりきらず布の山が出来上がってた。  すげぇ。  その山の隙間を歩きながら、そう呟く俺を見て和臣が笑ってた。  棚がびっしりあるせいで、人がひとり歩けるのがやっとの幅しかない。でも夕方のこの時間じゃ人もまばらだから狭さは気にならない。  店内はやたらと静かだった。それでも、俺にとっては遊園地並の楽しさがあった。でも、和臣にしてみたら、そうでもないかも。 「でも、布けっこう集めないといけないだろ? 実家でそこまではできないだろうから。羨ましかったんだよね」 「ふーん」  あれもこれも揃うし、直に見て触れて買う布ってちょっと感動するくらいで。けど、和臣にしてみたら、そうでもない、よな。 「あ、わり、あと、これ、どっちを買うか決めたら」 「いいよ。別にゆっくり選びな。ぁ、ちなみに、俺はこっちのほうが好き」 「ぇ?」  和臣の長い指が、俺が両手に持って比べていた青地に黄色の幾何学模様と、青地に水色の幾何学模様の入った布地のうち、黄色のほうを指差した。 「どっちも買えばいいと思うけど、どっちか、を買うんなら、こっちがいいな。俺は」 「……」  ふわふわする。嬉しくて、なんかふわふわくすぐったい。 「っていうか、やっぱふたつとも買えば? パッチワークって布いっぱいいるんだろ? 剣斗ならたくさん持ってても無駄にしないだろうから」 「ぁ、けど」 「買ってやる」 「いや、あのっ」  やばい。くすぐったすぎて、困る。こんなでかい手芸店に来たことない。布選びをリアルな誰かと一緒にしたこともない。それを今、好きな人としてる。そんなのテンション上がりすぎてふわふわにもなるだろ。 「自分で買いたいとかあるなら別だけど」 「そ、そういうわけじゃなくって」 「なら、俺が買うよ。なんか、布選んでる時の剣斗、すげぇ楽しそうだったから」  そう言って和臣が笑いながら、俺が持っていたハンカチサイズに折りたたまれた布を取り上げてしまう。そして、その布で、軽く、俺の額をペンと叩いた。今日はオールバックだからデコ全開。そのデコに触れるノリつけされた真新しい布さえも、くすぐったい。 「……やべぇ」  布の山の隙間をぬってレジへと向かう和臣の背中を見つめながら、俺は嬉しさでふわふわしすぎて、どっか飛んできそうになっていた。  布選んで、その後、回る寿司屋に連れていってもらった。ほら、飲み屋は俺が未成年だから連れていけないってさ。  そういうとこ、真面目っつうか。見た目が軽いのに、しっかりしてるっつうか。 「別におごらなくたってよかったんだぜ?」 「そういうわけにいかないでしょ。まだひとり暮らしし始めたばっかで、色々物入りでしょうが」  ほら、こういうとこも、真面目――いや、この場合、ばーちゃんっぽいな。親戚のおっちゃんとかが同じこと言いそう。 「じゃ、じゃあ、今度、俺が飯作ってやる。今日のお礼に」 「うわぁ、それはありがたい。剣斗、指先器用だから、飯も美味そう」 「それとこれとは指の使い方ちげぇだろ」 「でも、美味そうだよ」  さっきまでの春風とは違う、冷たさ倍増の夜風に和臣に買ってもらった布の入ったビニールが音を立てた。ガサゴソ騒いでる。  もうすぐアパート着いちまうぞって、俺をせかす。ほらほら、言えよって。ちょうど飯の話がでたんだから、そのまま飯は腹いっぱいでいらないかもしんねぇけど、お茶くらいなら。 「あ、ここ、右に曲がったら、俺の部屋」 「へぇ、この辺か。大学めっちゃ近いんだな」 「知ってる?」 「んー、微妙にわかってない。でも、同じ大学に通うからな。ここなら……チャリで十分くらい? 歩いたら二十分くらいで来れるかも。うちは隣の駅だわ。大学まではチャリだから、ちょうど通り道」 「あ、マジで? そしたら、マジで夕飯作ってやる」  ガサゴソ――ほら、早く。もうアパート着いたぞ。お茶って言えよ。 「何がいい? 何か、和臣の食いたいもの作る」 「んー、肉じゃが?」  っつうか、着いちまったじゃねぇか。駐輪場があって、郵便ポストが並んでて、そんで、俺の部屋は二階だから。階段上がって。 「げ、肉じゃがかよ。あれって、簡単なんだぜ? なんか、男子が作って欲しい定番メニューみたいになってっけどさ」 「へぇ、そうなんだ」 「簡単簡単、すげぇ楽」  ほら、どうすんだ着いたぞ。 「じゃあ、次ン時は楽しみにして、期待しとく」 「な、なぁ、和臣」 「んー?」 「部屋、ん……とこまで来て欲しいんだけど」  ドキドキして、俯いて顔を隠したかったけど、オールバックにしてるもんだから隠れなかった。 「……いいよ」  そこで断られなかったことにホッとしつつ、二階へ先に上がっていく。 「そんじゃあ」 「ぁ……」  ほら、早くしねぇと帰っちまう。和臣が「バイバイ、おやすみ」って言っちまう。 「あああのっ」 「……」  言葉よりも先に手が出た。クン、って和臣の服の裾を引っ張って、引き止めた。 「お茶……」  初めての手芸屋、初めてのデート。嬉しくて、テンション高くて、回る寿司の皿なんて、余裕でひとり二十枚越えた。これだけでも充分嬉しいけど、でも、もっと欲しい。布も寿司も嬉しいけど、もっともらいたいものが。 「お茶、飲んでけば?」 「……」 「せっかく、ここまで来たんだし。歩いたから喉渇いただろうし」  欲しいものがある。だから、引き止めたくて、鍵を開けるのにガチャガチャと騒がしい。 「だから、お茶、あ、待って、今電気を。まだ、スイッチの場所覚えてなくてさ」 「剣斗」 「? ……ン」  名前を呼ばれて素直に振り返った。スイッチを押して、部屋の電気がついたのと、キスはほぼ同時だった。触れた瞬間、身体がぎゅっと力んだけど、でも、二度目だったからすぐに蕩けて、嬉しさがこみ上げてきた。 「ン……っ! ン、っン」  けど、キスの続きがあった。 「ン、んんっ」  ペロリと舐められた。ベロ、舌に、唇を舐められて、また身体がぎゅっとさっき以上に力む。 「口、開けて」 「ンっ……ん、ん」  言われたまま、唇を開けたら、ぬるりと侵入してくる柔くて濡れた舌。 「ン、ぁ、ふっ……ン」  ディープキス、してる。  舌が絡まり合って、濡れた音が玄関に響いて、そんで、一回目のキスとは違う。力んで硬くなった身体が――。 「ん、あっ……ン、ん、ン……ん」  今度は力が入らなくなる。  舌を絡められて、唇を噛まれて、歯をなんかされて、口の中を全部弄られる。何、これ、立ってるのが辛い。腹の下んとこがズキズキする。まさぐられてるのはベロなのに、下半身が熱くて、しんどい。 「……剣斗」 「ぁ、ンっ……ンく」  ど、しよ。名前呼ばれて、俺、ごくって、なんか喉が鳴った。 「あ……和臣」  俺の身体、熱くて、溶けそう。 「お前……」 「ぁ、もっと、して……キス、もっと」  さっきみたいに舌で口ン中をぐちゃぐちゃにされたくて、しがみついて、唇をせがんだ。気持ちよかったんだ。今のキス、一回目の、初めての触れ合ったのだけでもすげぇよかったけど、ベロ入るのはなんかそれ以上で、下半身、痛い。 「もっと」 「けん……」 「キス、してくれよ……」  舌を伸ばして、ねだった。 「キス」 「……」  和臣が目を細めて、首を傾げながら、俺の腰を引き寄せ、そして、キスを――。  ピンポーン 「!」  ふたりして飛び上がった。いきなり、すぐそこの玄関からチャイムの音がしたから。 「宅配でーす」 「ははは、はーい」  電気つけてて、すぐそこに配達員がいて、居留守できずに扉をあけるしかなかった。届いたのは、でかいダンボール箱。 「重いですよ」 「あ、はい」 「剣斗、俺が持っててやるから、サイン」 「あ、うん」  なんだこれ。ディープキスしてたのに、配達が届いて、そんで、それを重いから和臣が受け取りを手伝ってくれて。 「ホント重いなこれ」 「……実家からだ」 「心配してくれてんだろ。そんじゃ俺は帰るわ」 「え、あ、ちょ、お茶っ!」 「それ、早く開けな。要冷蔵になってるし、野菜って書いてある」 「へ?」  本当だった。お袋の字で「野菜、食品」って書かれてた。  その宛先が書かれた伝票を一緒に覗き込んでいた和臣が笑って、俺のオールバックにセットした髪を崩さないようにそっと撫でて、そんで。 「おやすみ」  ディープキスの先へ続きそうな雰囲気はブチ壊れになり、爽やかな笑顔で帰っちまった。 「……ブロッコリー二株もどうすんだ。ひとり暮らしで」  それこそ、野菜持ってけよって、和臣を捕まえる理由になったかもしれないけど、もうその時には余裕で時間が経ってて、きっと和臣は自分の部屋に辿り着いた頃だった。

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