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第19話 ちょっと休憩
「明後日から実習あるだろ? さっき、聞いたんだけど、実習受け持つ講師のうちのひとり、女の先生いるじゃん」
昼飯を仰木としていた。この前、中庭で話しかけられてから、なんとなくつるむようになった。
「あぁ、鈴木、だっけ?」
授業初日に、生産科が習う講師陣から自己紹介があったっけ。その中に女性講師がひとりいた。女っていっても、か弱い女性講師ってわけじゃなくて、鉄アレイ持って歩いてそうな、しっかりめの女講師。まぁ、あのくらいじゃなくちゃ金属加工の機械扱えないだろ。普通に、腕っ節強そうだった。
「あの人のレポート相当やばいんだそうだ」
「何、やばいって」
「やばすぎて、発狂するレベルらしい」
「え、何それ」
実習が終わるとレポート作成が待っている。たしか、和臣のいる建築もそうなんだよな。実習後にそれをまとめておかないとって、この前言ってたのが多分、このレポート作成に繋がるんだろ。一つの実習課題に対してレポートひとつ。講師はその実習によって違っていたりもする。全員が同じ課題に取り組むことはなくて、ふたり一組になって、それが三ペアとか四ペアずつ、講師のとこについて実習する感じ。課題によって使う機械、装置が違うから、それを人数分確保するのが難しくて、そういうふうになっているらしい。
つまり、和臣も誰かとペアで実習をしてる。それが、きっと、おかめ、なんだろ。
「剣斗?」
「! あ、あぁ、レポートだろ?」
どうか、あのおかめが和臣に邪なことをしませんように――と、願ってる。ゲイだから大丈夫とか、そういうことじゃなくて、俺がイヤなんだ。ただのヤキモチ。一丁前に、彼氏のことでヤキモチをしてみたりしてる。
「そんでさ、聞いた話だと、その鈴木がさ」
あんのかな、あいつも、ヤキモチとか。すんのかな。
いや、どうだろ。遊び人って、ゲイバーのマスターが言ってたから、そういうとこルーズだったりする? そしたら、和臣自身も恋愛に対してルーズなんかな。ヤキモチしないし、しないで欲しいのかな。
「しかもすげぇキャラ濃くて笑った。二年前くらい、実習場の屋根清掃してたらしいんだけど、鈴木が屋根から落っこちて、足の骨折ったこと自分では気がつかず実習続けてたって」
その辺のさじ加減とかちっともわかんねぇよ。
「やばくね?」
「えっ? ぁ、何?」
「だから、鈴木」
「あー、うん」
今も、ちょっとだけざわついてるんだ。今日も昼休みに和臣は学食に顔を出さなかった。実習してるのかもしれない。そしたら、おかめが隣にいるのかもしれない。
建築科の棟は学食のところから一番近くて、この、今俺が座っている席からだと、建築科の棟の出入りも見えるんだ。けど、和臣は出て来てない。おかめも、たぶん、見かけてない。ふたり一組のペアになって居残り実習、そんで帰りも夜。
ほら、ざわつく。
「たしかに、ヤバイな、それ」
おかめにヤキモチをして、そわそわする気持ちをどう宥めたらいいのか、その方法が俺にはわかんなかった。
また、飯作っておいたら、うざい? っていうか、会いたいって思うのも、けっこうめんどくせぇって思われる? いや、けど、差し入れくらいならしたって、ジュース一本くらいなら邪魔になんねぇだろ。っつうか、俺は和臣の彼氏になるわけだから、ジュースをおごる権限がある、はず。なんだ、おごる権限って。でも、少しくらいなら休憩入れるだろ。その時間も惜しいとか、ないよな? ある?
「自販機とにらめっこ?」
「!」
心臓が止まるかと。っつうか、一瞬、止まっただろうが。
「和臣っ!」
「お前がここでじーっとしてたら、誰もジュース買えないだろうが」
和臣だ。びっくりした。すげ。つなぎ着てる。普通にかっけぇ。そっか。実習があって、しかも現場での実習のある科はどこも作業着が配布されてるけど、科によって色が違うのか。
俺のところは紺色だった。和臣のところはブラウンに近い濃いベージュだった。
なんか、「男」って感じがしてドキドキした。しかも腕まくりっていうオプション付きだから余計に目の毒っつうか、目の保養っつうか。和臣のこういう姿を初めて見れて嬉しくてさ。
「じっと見すぎ」
「う、うっせぇな!」
「何? ジュース買うの? 何にすんの?」
「ちがっ!」
お前に俺が買うところだったんだ。って、慌ててコーヒーのボタンを押した。ガランゴロンと音を立てて、それが落っこちて来たのを急いで取ると、和臣の胸に押し付ける。
「……差し入れ。実習、大変なんだろ」
「……」
「飯、食ってんのかよ。そんな大変なのか?」
昼休みも取れないくらいに。ここ数日、ずっと昼飯を学食で取ってない。お前の好きなオムライスは、お前が来る前にいっつも売り切れちまって。
「心配、してんだからな」
「……」
「なんなら、俺が、夕飯だけでも、」
「ありがとな」
頭を撫でてくれるかも、って思った。手を伸ばして、でも、その手はセットされてる俺の頭を見て、すぐに引っ込んでしまった。
「も、もう、帰れんのか?」
「あー、いや、まだ。今は休憩。ちょっとだけ」
引っ込めた手でポケットの中をまさぐって、自販機に小銭を入れる。ガランゴロンと大きな音を立てて落っこちてきたのは、俺がこの前飲んだ甘い甘いカフェオレだった。それを俺の胸に押し付けて、笑ってくれる。
「付き合えよ。そこのベンチで」
「……」
これじゃ、意味ねぇじゃん。お前に差し入れしたかったのに、交換しただけになってるだろうが。
そんな文句を言ってやりたいのに、俺に気なんて使うなって言いたいのに、つなぎがカッコよすぎて言葉が出てこない。そんなことは知らない和臣がドカッとベンチに腰を下ろすと疲れの混ざった溜め息をひとつ零した。
「…………」
溜め息の後、真っ直ぐ前を見つめる和臣の横顔に、なんでか緊張した。疲れのせいか、表情が険しい。いつもの和臣と違ってて、しんどそうだった。
「実習、大変なんだな」
「……んー、そうね。まぁ、色々ね。そろそろ、剣斗も実習?」
「あ、うん。あ! っつうかさ! なぁ、生産のセンセーでさ、鈴木って女講師知らない? すっげぇんだって。実習がきつくて有名らしくて」
心臓がうるさい。風に揺れる和臣の髪にも、こっちを見つめる視線にも、心臓が騒いでクラクラする。ほら、缶コーヒーを飲む口元からも目が離せなくて、その唇に触れたことがあるって、そう思うだけで、やや酸欠気味になる。
「あー……知ってるかも」
「うわ、建築でも知られてるくらいなのかよ」
「まぁ、そうでかい大学じゃないからな」
和臣の声が元気がなくて、俺は逆に声がでかく、はしゃぎだす。
「初っ端からそこは勘弁って、同じ科の奴と話してて、さ」
和臣のその唇と、俺の唇が触れ合ったことがあって、触れただけじゃなくて、もっと、エロいキスとかもしたことがあるんだって思っただけで、心臓が騒がしいのに。その唇に指で触れられたら。
「仲良い奴できたんだ?」
息の仕方を忘れる。
「あー、うん。なんか、話かけて来た」
「……そっか」
「その鈴木のこともそいつから、聞いてさ」
目で追いかけるのが精一杯だ。
「実習頑張れよ。缶コーヒー、ありがと。しっかり休憩できたわ」
立ち上がって、空になった缶をゴミ箱に入れて、帰ってしまう背中を見つめるので精一杯で、俺はカフェオレを飲むのを忘れてた。
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