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第20話 不安粒

 バチが当たったのかも。 「えー、それでは鈴木班の三ペアは、仰木と品川、それと……」  実習初回、まさかのドンピシャで鈴木んとこになっちまった。ペアはまぁ、昼飯だけじゃなくちょいちょい一緒にいたから、仰木と組むことにした。そんで、実習場で講師陣が来るのを待っていた。講師は三人、ペアは三組から四組。あとはペア代表が用意されたクジを引いて講師を引き当てるだけ。 「というわけで、君たちを受け持つことになった、鈴木です。宜しく」  溜め息を鈴木に見つからないように吐き出した。なんだっけ? レポートを初回で受け取ったことが過去に一度もないんだっけ? そんで、レポートをやり直しさせる回数の平均が七回とかなんだろ? でも、最近は生徒の必死の抗議によってようやくパソコンでの作成が可能になったって。じゃあ、それまでは? 手書き? この時代に? 修行かよ。 「噂で聞いてるかと思うけど、実習、厳しいから」  あ、あと、この天井から落ちたんだっけ? 「頑張って」  ふと天井を見上げたところで、バチコーンって感じに肩を叩かれ、ぐっと掴まれた。鈴木がにっこりと笑ってたけど……女とは思えないすごみがあって、若干、俺は引いていた。 「お前なぁ、めちゃくちゃ鈴木に目付けられただろ」  実習は授業をふたつくっつけて行われる。一時間じゃ準備と片付けの時間も考慮したら、何も実習できやしないから。 「仕方ねぇじゃん。っつうか、仰木が余計な情報言うから、ふと天井見上げたんだよ」  今は中休憩だ。それにしても四月も半ばになると、日中はほぼ初夏だな。長袖のつなぎ作業着は暑くて仕方ない。けど、実習中は怪我防止のために腕まくり厳禁だから、汗がハンパじゃない。たった十分の休憩でもありがたくて、外に出た途端に上だけ脱いで、ズリ下がらないよう袖を腰に巻きつけた。変な格好とか言ってる場合じゃない。 「あっちぃ……」  Tシャツの裾を仰いで風を内側へと送り込む。それで少しは落ち着いたけど。滴り落ちる汗を手の甲で拭った。これじゃ、髪、ボサボサになりそう。  和臣は腕まくりだけだったな。暑さでバテたりしなきゃいいけど。しんどいのとか無視して頑張りそうじゃん。あの時も、正月の、初詣の時だって、なんか地元の女に無理な作り笑い向けてた。楽しくないのに笑ってた。きっとあいつは無理をするタイプだと思う。無理して、ヘーきへーきって笑って堪えるタイプ。 「いやぁ、実習、今はたどたどしいけどさ、鈴木が見せてくれたじゃん。そのうちこういうのを作ってもらうっつってさ。俺らにあんなんできるようになるのかね」 「……」 「想像できねぇな」  そういや……あの笑い方、してたな。  この前、自販機のところで会った時に、帰り際少しだけ笑ってたけど、あれは、無理してた。疲れてる、から、なんだよな?  疲れてるけど、実習やんねぇといけないから、ってだけだよな?  必死にあの時の和臣の表情を思い出してた。和臣と出会ったのは去年の暮れ。そっから会って顔を合わせた時間を全部合わせたって、地元のダチになんて敵わないくらいに少ないけど、でも、カテキョの時ずっと見てた。たくさん、じっと見つめてたからわかるんだ。本当に楽しくて笑ってるかどうかとか。無理してる、とかも。  なんか、しんどうそうだなっていうのもさ。 「なぁ、剣斗」 「!」  足元を見つめながら、和臣の顔を思い浮かべてたら、視界が急にかげった。びっくりして、顔を上げて、そこにでかい手が伸びてきて、またびっくりした。 「前髪、落ちてきてる」  仰木の手だった。汗と実習でバタついてたせいで、セットが崩れて垂れていた前髪を手で直してくれようと思ったのか、指摘しようとしただけなのか。 「へっ、平気だっ」  でも、視界にいきなり飛び込んできた手に驚いて、飛び上がって、自分の前髪を押さえる。頭は、あんま触られたくねぇ。 「剣斗、お前ってさ……」  和臣だけ、がいいから。  だから、額のとこを手で押さえて、ガードした。触んなよって。 「な、なんだよ」 「俺さ、実は……」 「剣斗!」  その声に気持ちも身体も跳ねた。 「か、和臣」 「初つなぎ?」  和臣だ。あ、つなぎじゃねぇ。私服だ。ってことは実習じゃないんだ。 「あぁ、そっか、今、中休憩か。二時間ブッと通しだとしんどいだろ。……こんちわ」 「……こんちわ」  一緒に居た仰木をチラッと見て、微笑んだ表情が余裕のある大人の男って感じ、ヤバい。かっこいい。大学の中でこうして話してることにもドキドキする。 「そんじゃあな」 「あ、うん」  なんか、最近、疲れてそうだったから、こういう和臣の顔が見れたのがとにかく嬉しくてはしゃいでた。たったの一分二分の会話だけでも、俺は嬉しくてはしゃぐのに。 「!」  最後、何、それ。  踊り出したくなるだろ。そんなさ、髪をくしゃって、頭のてっぺんをくしゃってしてくのとか、反則だろ。その大きな手で、せっかく人がセットした髪、乱すなよ。  わかってて、やってんだろ。  俺が和臣手製の模擬テストで満点取れたらもらえるご褒美にするくらい、そのご褒美欲しさに必死こいて勉強したくらい、それ好きなんだって、わかってるくせに。 「何? 今の、先輩?」 「あぁ……地元が……一緒なんだ」 「……ふーん」  頭、いいこいいこ、すんなよ。嬉しくてにやけるだろ。 「なんだよ! 実習、まだかよ!」  昼間、話かけてくれた時、しんどそうじゃなかったから、もう復活したのかと思った。だから、今日の夜、会えたりしてって、調子に乗って喜んでたのに。  ――悪い。今夜はレポートまとめたりがあるから。  また会えなくて、不貞腐れながらパッチワークでクッションカバーを作ってる。でも、ちっとも楽しくなれねぇ。  夕飯、肉じゃが食いたいんじゃねぇのかよ。汁びったびたになるんだから、作って持ってけってできねぇぞ。チャリのカゴになんて乗せて運べねぇかんな。 「……んだよ」  まだ、復活してなかった。  もううちの実家からもらった葉っぱ系の野菜はしおれるから食った。じゃがいもとかニンジンとかならあるから、まだ取って置いてるから、作れるのに。 「……おーい」  けど、和臣に夜会えずにいる。 「早く実習終われよ」  どんだけ厳しい実習なんだよ。そっちにも鈴木級のがいんのかよ。なぁ、実習はそれぞれの課題ごとで講師違うんだろ? その課題だっていつかは終わるんだろ? 彼氏と会う暇が五分くらいしか作れないほど厳しい大学なのか? それとも――。 「……和臣」  その彼氏と、あんま、会いたくないから、避けてる、のか? 「イテッ!」  思わず針を指に刺した。バカなことを考えた瞬間、パッチワークの縫い作業をしていた手元が狂った。小さくできた赤い粒みたいに、不安がぽこっと小さな粒になって出来上がりそうで、慌ててティッシュでそれを拭った。

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