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第21話 バカだなぁ
「イテッ……」
実習が二日続けてだった。昨日の今日で、俺らは鈴木のところ。
「どうした? 剣斗」
「いや、沁みただけ」
「バカ、機械油使うのに絆創膏じゃダメだろ。これ使え」
仰木が指が丸々覆える指サックっていうか、指手袋? を貸してくれた。怪我をした時とかに使えるらしい。機械油を使うし、そのあと、その油をとるために特殊な石鹸を使うから、皮膚が弱いとボロボロになるって、昨日、言われたっけ。
言われたけど、あんま頭に入ってなかった。
夜だって、手芸、あんなに楽しみにしてたパッチワークだったのに、あんま進まなかった。それどころか二回も針を指にブッ刺した。
「わり、ちょっと、手洗ってくる」
「あぁ」
仰木に作業を頼んで、外に出た。痛いのは指なのか、それとも頭なのか、胸のところか。わからなくて、ただ、モヤるんだ。
昨日の昼間に声をかけてくれた時は普通だった。けど、夜に会えないかなって思ったら、ダメそうだった。
俺は、もしかしたら、避けられてるのかもしれない。どっかで何か、したのかもしれない。あいつに嫌われるようなことを。
「あー、無理かも、今週の金曜でしょぉ? あ、でも、和臣とかさぁ」
その声にパッと顔を上げた。聞き覚えてのある、「あのお〜、これえ〜」って、語尾が尻上がりな猫撫で声で。
「あのっ!」
顔面、おかめ。
「あの、すんませんっ!」
和臣と親しげに歩いてた、あのおかめ女。
「俺、生産科の一年の、品川っていうんですけど」
「え?」
ちげぇよ。そこで顔を赤くすんなよ。別、おかめに話があったわけじゃねぇから。いや、訊きたいことはあったけど、別におかめ本人に訊きたいことじゃねぇよ。だから、隣の女含め、みんなで赤面すんな。
「あの、畠先輩って……」
「和臣?」
こめかみのとこが、ビキビキッ、って血管が引き連れる。おかめが我が物顔で人の男を呼び捨てにすっから、ちょっと、イラっとする。
「あー、はい」
突然、勢いで話しかけた俺はその後の言葉が続かない。
実習大変なんですか? って訊くのおかしいだろ。実習ちゃんとやってるんですか? とか、失礼だろ。
「あ、えっと、俺、地元の後輩で」
「あぁ! 君! あの時の! 生産の子」
おっそ! 遅いだろ。思い出すの。俺の印象が薄かったのか、それともおかめが何も考えてなかったのか、初対面じゃねぇよ。もう入学式の翌日に見たことがあるっつうの。
「和臣が世話してた子かぁ」
子守じゃねぇよ。彼氏だっつうの。
「なんか、実習忙しそうで」
「ふにゃ?」
なんだ、ふにゃ? って、おかめ天然風かよ。若干、いや、けっこう、イラつきながらも、和臣本人に訊くこともできない俺は我慢するしかない。
なぁ、本当に実習で夜遅くまで忙しいのか? 俺のこと、避けてるだろ。
なんて訊けそうになくて、こんな周りくどいことをしてる。
「実習?」
怖くて、直接訊けないんだ。
「和臣、実習のレポートダントツの早さで提出してたよ?」
怖くてさ、訊けなかったんだ。
――和臣って、なんでもそつなくこなしちゃうんだよね。実習の課題もいっつも早いもん。レポート? 毎回、一発合格だよ?
なんだ、それ。俺には思いっきりウソついてたけど? 実習がハンパなくきつくて、大変で、レポートも忙しいから、夜はちっとも会えそうにないって、そういわれて数日経ったけど?
「……ぁ」
思わず声が出た。そして、頭を引っ込めた。この金髪はサラリーマンの黒髪の中では目立つから。
俺が使ってる駅の隣が和臣のマンションの最寄駅。チャリでなら十分、歩いたら三十分はかからないけど、まぁそのくらいの距離。和臣は大学までチャリでも電車でもいけるけど、金がかかるからチャリ。俺は狭いけど近いとこを選んだから、歩いていってる。どちらも大学に通うのに駅は使わない。
けど、今、俺には実習で忙しいとウソを吐いた和臣が、駅から降りてきた。
駅から降りてこないことを祈って、何時くらいからだったっけ。
――九時? ないない。そこまで実習で残ることってめったにないんじゃない?
おかめがそう言ってたから、俺は大学終わって、すぐにここでずっと待ってた。夜まで、ずっと。
どっか行ってたんだ。今、夜の十時。なぁ、お前、今までどこにいた?
そう訊きたかったけど、やめた。
だって、近くに行ったら、酒臭いかもしれないだろ。うちの実家に親戚のヤンキーが集まってへべれけに飲んだくれた時みたいにアルコール臭いかもしんねぇ。それだけならまだいいよ。もう酒飲んでいい歳なんだから、大学の帰りに一杯ってことかもしんない。
けど、もしも、ほんの少しでも香水の匂いとかしたら?
――和臣は、誰とも続かない。続ける気がない。そんなのと付き合って、変に男の味なんて覚えてどーすんの。
なんで、このタイミングであのマスターの言ったことを思い出すんだよ。でも、続ける気がない、そう言ってたんだ。それって、ひとりと付き合うのがいやってことだろ? なら、そうかもしんないだろ。今、まさに、ひとりとじゃなく付き合ってるかもしれないじゃん。信頼してないとか、信じてるとか、そんなことじゃなくて、ただ、ひとつ、たしかにあいつは俺にウソをついたんだ。
だから、近くに行くのは怖い。もしも、問いただした時、アルコールに混じって、重くて、甘くない、男の香水でも匂ったら?
「……」
ウソつかれて、避けられてた、っていうことだけはたしかな事実で、もう俺はそれだけで、相当なダメージでさ。これ以上はちょっと耐えられそうになかったんだ。
「剣斗?」
「……」
「お前、こんなとこで何して……ぇ? おい」
びっくりした。洗いざらしの前髪は少し長いけど、名前を呼ばれた拍子に思わず零れた涙に俺も、それと、仰木も驚いてる。
「ぁ……」
「なんか、あったのか?」
そっか。仰木も、この辺なのか。そりゃ、そうだよな。大学に遠方から来てる奴は大概、その大学の近くで家賃が安めで、スーパーだなんだと便利そうなところに集まるんだから。俺と和臣が近くに住んでいたように、仰木だって、ご近所さんってことがありえる。
「泣いてんのか?」
バカだな、俺は。長く続かなくてもいいっつったのに、やっぱりずっと和臣といたくて、おかめがあいつは実習早く終わってると教えてくれたのに、たしかめたくて駅まで来たりして、自分でしんどい思いして。
指に針ブッ刺しまくるわ、泣き顔を同じ学科の奴に見られるわ、ホント、バカだ。
「剣斗……」
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