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第38話 鍵がないと中には入れなくて

 あんな和臣は初めて見たって言われた。すげぇ、落ち込んで、あのマスターが仕事関係なく、ダチとして心配するくらいに荒れてたなんて、俺には想像できない。  カテキョしてくれてた時の和臣はもうそんな荒れたところなんてなくて、穏やかでフワって笑って、優しかった。 「とっかえひっかえ……かぁ」  想像もできねぇよ。俺の知ってる和臣じゃないみたいだ。 「剣斗? どうかした? 彼氏と喧嘩でもしたか? なら、俺が」 「してねぇよ」  即答すると、仰木がクスッと笑って、激安激うまボリュームが山、の学食オムライスを頬張った。今日はラッキーなことにまだ残ってた。授業がおしたせいで、もう売り切れてるだろうと思ったのに。 「なぁ、仰木」 「んー?」 「ハッテン場って、行ったことある?」 「ゲホッ! ゴホッ! おま、何、いきなり」  仰木がむせて真っ赤になりながら、喉に詰まりかけたオムライスに四苦八苦してた。  夜になるとハッテン場っていうとこが賑わって危ないらしい。どんな場所か和臣が教えてくんねぇから、調べた。ネットで、ハッテン場ってどんなとこなのか。 「知んねぇ? 相手を見つけるのに、そこ行って」 「知ってるよ! そういう意味の、何じゃなくて、なんだよ、いきなりそんなこと訊いてって意味だよ。やっぱ、喧嘩したのか」 「してねぇよ」  きっと、荒れてた頃の和臣はそこに行ってたんだ。セックスの相手を探すための場所なんだと。そこ行って、遊び相手探して、そんで、和臣は気を紛らわせてた。危ないって、俺には行ってたけど。そんなとこに出入りしている和臣なんて俺には想像もできなくてさ。  だって、俺の知ってる和臣は肉じゃがをこっちが腹の心配になるくらい食って、楽しそうに話して、笑って、そんで、優しいキスをくれる。 「バカ。そんなおかしなとこに興味持つなよ。寂しくて相手探したいなら目の前にいるだろ?」 「仰木は友達だろ」 「……それ、ふつーに傷つくからな。お前。アピってんの無視してダチカテゴリーに俺を入れるなよ。せめて、横恋慕んとこに入れろ」 「っぷ、お前しかいねぇじゃん。そのカテ」  うっせ、と仰木が文句をこぼして、またオムライスを頬張った。そうなんだ。和臣ならさ、そんなとこ行かなくたって相手見つけられると思うんだ。わざわざ怖いって思ってる場所まで行って探さなくたって。だからさ、逆に、あえて行ってたのかなって。 「けどさ……そんなとこ、興味持つなよ」 「……わかってるよ」 「ホントかよ」  ひとつ溜め息をこぼして、仰木がしかめっ面で俺を睨んだ。ちゃんと俺がわかってるのかを確かめるように覗き込んで。 「俺は行ったことねぇし、行きたいとも思わねぇ。お前もさ……」 「……」 「言いたくねぇけど、彼氏に心配かけるなよ」 「……ありがと」  そして、また仰木が「ホントかよ」ってぼやいてた。  今日はちょっとだけレポート作成用に図書室に寄って、それから帰るって言ってたから。そしたら、少しだけさ、時間あるから。  ちょっとだけ、この前の続きを聞きたかった。この時間なら、客も少ないんだろ? 俺を連れて来てくれた時もこのくらいの時間だった。  ――ハッテン場なんて、ろくなもんじゃねぇよ。  仰木が嫌そうな顔でそう呟いた。  つまりそのくらいにはあまり好ましい場所じゃねぇってことだ。もちろん、行きたいとか思ってねぇよ。  変な意味で興味も持ってない。けど、ただ、そこに通っていた頃の和臣を俺は想像もできそうにないから、どんなだったんだろうって。今、俺としている恋を大事にしてくれてる和臣じゃない、俺の知らない和臣って。  和臣はハッテン場のこと、俺は知らなくていい場所だって言った。でも、俺は知りたいと思った。昔のお前のことも知っておきたいって、そしたら、もっと、お前のことを癒してやれたりするかもしんねぇって思った。  知りたいんだ。和臣のこと。優しいとこも、かっこいいとこも、あと、汚いとこも全部。和臣の中に、入りたい。 「こんにちは」  声をかけられて振り返ると、すげぇ綺麗な顔をした女……じゃなくて、男が立っていた。場所が、あのゲイバーの近くだし、この容姿だし、もしかしたらそっちの人かなって。 「? ……ナンパとかなら、間に合ってるんで」 「和臣の今の相手」  そこで、そいつは言葉を止めて、笑った。俺はその続きの言葉が気になって、その場を立ち去るのをやめた。 「俺は、昔の、相手」  俺が去らないとわかったら、そいつは綺麗に微笑んで首を傾げながら、そう言った。サラサラの綺麗な髪がその動きに合わせて音もなく揺れる。 「趣味変わったのかな」 「……」 「俺が遊んでた頃は綺麗系のが好きだったけど。今は君みたいなのがいいんだね。和臣」  たしかに、俺と違って、その男は綺麗すぎるから、普通の人だとは思えなかった。 「彼の相手の中ではダントツで俺が好みだったはずなんだけど。一番、長かったし」 「え?」 「彼の好きだった人にそっくりみたいだよ? お、れ」 「……」  好きだった人、その言葉に胸んのところが一瞬で焼けただれた。ヒリヒリして、痛くてたまらない。 「知ってる?」  俺のことじゃない。今の和臣が恋を知ったって、好きだって心から言ってくれてる、俺のことじゃなくて、こいつが言ってる「好きな人」っていうのは、あのぬいぐるみの人のこと。  ちげぇよ! 和臣が本当に好きになったのは、俺だけだ!  そう叫びたかった。 「合鍵を渡した人」 「……ぇ」 「すごい大好きだったんだろうねぇ。合鍵をあげるくらい心酔してたって、よく笑って話してくれたけど」  そう、叫びたかったのに。 「あまりに可哀想でよく慰めてあげたんだけど。好みが変わったっぽいから、ようやく、失恋の痛手から解放されたのかな」  けど、何も言えなかった。 「随分、見た目が違う君と仲良く話して歩いてるとこを、この前見たから」 「……」 「それなら良かったって思ったんだけど。彼、夢中になりやすいっていうか、ハマるとどっぷりタイプだけど、冷めるのも早いよね。あ、もしかして、君も? もう?」  なんだよ。俺も、もうって、どういう意味だよ。あんたと一緒にするなよ。そう言いたかったのに。 「あ、あの、和臣の初めての人のこと、知ってるんですか?」  けど、初恋の人には渡していた合鍵を持ってない俺は何も言えなかった。

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