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第39話 中に入れて?

 ――あぁ、マスター? 知ってるよ? 何度か、そこでも飲んだことあるし。けど、あの人、多分、和臣のこと好きなんじゃない? 絶対に味方っでいようとするから、和臣が悪くなるようなこととかさ、きっと教えてくれないよ。  ふわりと笑うとすげぇ綺麗な人だった。芸能人みてぇ、貧相な俺の脳みそが思ったのは、そんなこと。  ――俺が、教えてあげようか?  貧相な脳みそだから、荒れてた頃の和臣が想像できなくて、わからなくて、知りたいんだ。あいつのことなら、なんだって一番知っていたい。汚いとこも、ダサいとこも全部引っくるめて、好きになりたい。  ――合鍵を渡した人。  けど、合鍵を俺はまだもらってない。  ――合鍵をあげるくらい心酔してたって。  欲しいって思ったよ。ちょっと前くらいから、合鍵が欲しいなぁって、実は思ってた。だって、それって最高にすごいことじゃね? あいつがいない間にあいつの一番のプライベートゾーンに入れるのは、あいつの……一番だけだろ。  俺が一番好きなら、俺はその場所にいてもいいだろ? 「おかえり、剣斗」  なぁ、ダメ? 和臣。 「どこ行ってたんだよ。連絡しても出ないし。心配した」  こんなふうにチャイム鳴らして入らないとダメ? 俺も、ノックなしで和臣ん中入りたい。一番のプライベートにはいったらダメなんか? 「あー、ごめん。すげぇ良い感じの手芸本があって、買おうかどうしようか、迷ってた」 「それならいいんだけど。また、どっかでさらわれてるかと」 「あはは、ねぇよ。俺、男だってば。それに、このナリだぜ?」  そう、こんなナリしてるから、普通に「野郎」だよ。あんな、パッと見で美人って誰もが思うような、芸能人みたいなそんな綺麗どこじゃねぇ。  和臣の、すげぇ好きだった人みたいな美人じゃねぇ。 「剣斗? どうかしたか?」  和臣の中にはまだ入れさせてもらえてねぇ。 「剣……」 「なぁ、俺、合鍵もらっちゃダメ?」 「え?」  中に、チャイム鳴らさずに入りたい。 「合鍵欲しいんだ。別に犯罪になんて使わないし、ただっ」 「剣斗? 何? この香水の匂い」 「ぇ? ……あっ!」  さっきの人だ。和臣が前に付き合ってた人の。しばらく一緒にいたから、匂いが。 「お前、今まで、どこにいた?」  一瞬で和臣の表情が曇った。俺は香水をつけない。和臣もだ。だから、甘くて重たいこの香りはここじゃ異様に鼻につく。 「い、いいだろっ! なぁ、それより! 合鍵!」 「なんで、急に」 「急にじゃねぇよ! 前から欲しかった。けどっ言い出せなくて……」 「……誰と会ってた?」 「は? 今、そんな話してねぇ」 「俺は、今、その話をしてた」  ぎゅっと、心臓のとこが絞られるみたいに苦しくなった。  険しい表情、きつい口調。まるで、ガキを叱りつけるお兄ちゃんって感じの、上から目線。 「なんだよ……俺は、なんでも話さないといけないのかよ。自分は何も昔のことを言わないのに、なんで、俺は全部話さないといけねぇんだよっ。甘い香水の香りがしてたからって、浮気を疑ってんのか?」 「誰と会ってたって話してるんだ。言えないような相手なのか?」  お前の昔遊んでた時の相手に会ってたんだよ。お前とセックスしたことのある奴だ。お前が遊びまくって、ハッテン場に行ってた時のセフレだよ。 「浮気なんてしねぇよ! そんなの、和臣のほうがよっぽどっ!」 「……」  よっぽど、浮気しやすいだろ。だって、ずっとあんな美人と遊んでた。お前のすげぇ好きだった奴がすげぇ美人だったからだ。俺なんかとは正反対の綺麗な人が好きだったくせに、なんで、俺? そんな疑問くらい出てくるだろ。俺がしょっぱい煎餅ってことなんじゃねぇの? 甘い甘い上等なケーキばっか食ってたから、たまには欲しくなる、しょっぱい煎餅。  そんで、それを食い終わったら、また、やっぱりって言いながら、甘いケーキに戻るんじゃねぇの? 「合鍵は、やれない」 「!」  やっぱり甘くて美味しいケーキがいいって言って、どっか行っちゃうんじゃねぇの? 「誰に会ってたかも言えないような奴に合鍵はやれない」 「っ」  ただ、知りたかっただけなのに。過去も含めた和臣のことを丸ごと欲しかっただけなのに。なんで、こんなことになるんだよ。 「誰に会ってた?」 「そんなムキになるほど、何かやましいことでもあるんだろ」 「はい? 何を」 「隠し事してんのは、てめぇのほうだろうがっ!」  ただ和臣のこと全部を好きなだけなのに、なんで喧嘩なんてしてんだ。 「おいっ! 剣斗っ」  ――ハッテン場で彼とは知り合ったんだ。行ってみたいなら、俺が案内してあげようか? 君の知らない和臣のこともたくさん、知ってるよ?  そんなの断った。あいつのことで訊きたいことがあるなら、あいつに訊く。別にあんたから聞かされなくても、ちゃんと和臣なら教えてくれる。そう言って断ったのに。 「もしもし? あの、すんません。さっき……」  なんで、教えてくんねぇの? 知りたいつってんだから、教えてくれよ。  なんで、鍵くれねぇの? 俺のことが本当に好きなら、その前に心酔してたっていう相手にもあげた合鍵一つくらいくれてもいいだろ?  俺はただ……。 『あぁ、いいよ。俺もまだこの辺にいたから』  胸が軋む。痛くて苦しくて、何をしたらこれがなくなるのかわからない。 『おいでよ。和臣のこと、教えてあげる』  だから、知りたいんだ。 「……早かったね」  夜の九時近く。そこは和臣に連れられて来た時よりもずっと人が多くて、ずっと賑やかだった。 「もっと、数日待つかなって思ったけど」  ずっと派手で眩くて、クラクラした。

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