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第49話 今日は、好き焼き

 別に、男だって入るだろ。誰も、女子のみ入店可なんて言ってない。普通に、普通にさりげなく入ればいいじゃんか。  手芸屋。  でも、この見てくれだぞ? ヤンキー感丸出しで、浮かないか? 浮くだろ。ぜってぇ、浮く。  この前は和臣が一緒だったから、なんかノリですんなり入ったけど、今回はひとりだからさ。ちょっと躊躇う。びっくりされそうで。怪訝な顔をされそうで。そこまで客の事なんて見てないだろ。っつうか客なんだから普通に堂々と入ればいい、けどさ。  今日は、初給料で手芸屋で色々買い足すつもりだった。展示に向けてもう日がない。ラスト少し足りなくなった小物素材を揃える予定。そんで、スーパーでちょっとお高い肉買ってすき焼きにする。だから、ほら、早く生地を買わねぇと、すき焼きが待ってんだ。  そう思った時、横をすげぇ長身の男が通り過ぎた。背の高い女、じゃなくて、カリアゲ短髪の肩幅がっちり系の男。もしかしたら、モデル体型の和臣よりも背が高いかもしれない。  そんな男が颯爽と手芸屋の中に入っていく。普通に、本屋にでも入るみたいに。 「……」  男なのに、なんてことは。 「……よし」  和臣も、京也さんだって気にしてなかっただろ。今通りすぎた男の客だってそう。  ――へぇ、手芸好きなんだ。あぁ、だからクラフト雑貨の俺の店に? そっかぁ。いいね、手芸。俺は皮ばっか扱ってるけど、好きだよ。モノ作りはなんだって楽しくて好き。ねぇ、じゃあ、今度作品見せてよ。  気にしてんのは、俺だけだ。  ガキの頃言われた、心無い一言をいまだに引きずってる俺だけ。もう、そんなの気にすることなんてないだろ。誰か俺のこと笑ったか? 和臣も、京也さんも、笑わなかっただろ? 女の趣味なんて、ちっとも思ってねぇよ。 「まずは! 二階から!」  自分に向けて、そう呟いて、一歩足を大きく踏み出した。傍からみたら、なんてことはないのかもしれないけど、ずっと、ネットで買って、ネットの中でだけ作品を見せて、それすら自分のこと繕っていた。リアルには誰にも言わずにいた俺にとっては、それは、すごく、大きな一歩だった。  生地と、あと、ボタン、それに糸。 「あとは……ねぇ、かな?」  両手に抱えた商品を目で数えていく。買いすぎ? だったか? 肉、できれば国産プレミア牛肉的なものを買いたいんだけど、足りなくなる? でも、和臣にはごちそうしたいし。あいつ、しらたき好きだから。あ、じゃあ、この糸はやっぱいいか。家にある青でもたぶん目立たないだろうし。 「あっ!」  そう思ってどうにか抱えてた中から一つ、糸を棚に戻そうと思った時だった。ぽろりと落っこちて、クルクルと糸が床の上を元気に転がっていく。 「ちょっ、おわっ」  それを拾おうと思ったけど、他にも抱えてるものが多くて。他も落っことしたりしないように気をつけながら、コロコロ転がる糸を追いかけた。そんな、おむすびころりん、みたいに転がる糸が、コツンと止まった。 「……落とした?」 「あ」 「?」  さっきの、背の高いカリアゲ短髪だ。 「あ、ありがとうございます!」  勝手に仲間意識を持ってたからか、見た瞬間、まるで知り合いに遭遇したみたいなリアクションになって、それに向こうが不思議そうな顔をする。そりゃ、そうだ。知らない奴に「あ!」なんて言われたら、きょとんともする。 「す、すんません!」 「……」  拾ってもらった糸を受け取ると、そのまま、急ぎ足でレジに向かった。レジカウンターの上に、両手に抱えていた商品を一気にぶつまける。  初給料が出るまで我慢って溜め込んでたから、買ったら相当な量になった。でも、展示用のだから、やっぱ頑張りたくて。 「あっ!」  そして、店を出て気がついた。 「……買っちゃったじゃねぇか」  糸、一つ。けっこう塵も積もればナントカでさ。国産牛すき焼きを優先させて、糸をひとつ買うのを断念しようと思ったのに、あのカリアゲ短髪に慌てた俺は棚に戻すのをすっかり忘れて買っていた。 「春菊、ないんだ? 珍しい。剣斗好きじゃなかったっけ?」  好きだよ。「大好物!」ってほどじゃないけど、うちで鍋する時は率先して食べてた。美味くね? あの独特な風味がすげぇくせになる。んだけど、今回は断念したんだ。 「あー、ちょっと、金欠」  国産牛としらたきはマストだろ。そんですき焼きに豆腐も長ねぎも白菜もナシなんてありえねぇ。そしたら、別に和臣が好きでも嫌いでもなく、俺がほぼ毎回平らげてる春菊を断念する。 「金欠? あぁ、今日、手芸の素材買いに行くって言ってたっけ」 「そこでさ! ちょっと入るのどうしようかなって思って躊躇ってたら、男が入ってたった」 「そりゃ、そうでしょ。別に男性だって手芸するじゃん」 「そうだけど。俺は悪目立ちするっつうか」 「剣斗」  もうシャワーも浴びて、洗ったまんまの無造作な金髪を和臣がそっと優しく撫でてくれる。そろそろ、生え際が黒くなってきたから、染めないと。展示の時にがっつり気合入れた金髪にしたいと思ってるからさ。プリン頭はもう少しだけ我慢。  あとちょっとで展示会。 「いいの、買えた?」 「あ……うん」  やっぱ、青い糸、買ってよかった。こっちの、今日買ったほうのが生地の色に馴染んで浮かなくて見てくれがよくなる。 「一緒に行きたかった」 「へ? でも、和臣はどうしても外せない課題があっただろ?」 「そうだけど、手芸屋で楽しそうに選ぶ剣斗を見てたかったなぁっ」 「そ、そんなんっ」  優しい笑顔を向けられて、そわそわする。まだ、この恋人の雰囲気には少しぎこちなくなるけど。 「きっと、店員さんも嬉しいと思うよ」 「……」 「本当に、剣斗は店の中で楽しそうだから」 「……」  やっぱ、和臣はすげぇ。その言葉に、きっと次は止まることなくスッと店の中には入れると思えた。 「だから、展示会デートも楽しみ」 「おっ! 俺もっ! すっげぇ、楽しみ!」 「あと、ありがとな」  そこで急に微笑むとか、優しい笑顔をいつも和臣はしてくれるんだけどさ。今、なんでか、爆笑を堪える顔をするから、何だろうって首を傾げた。 「こんな、俺、しらたき、好きだけどさっ! お前、鍋半分近く白滝とすげぇ美味い肉のすき焼きって初めてだよ」 「んなっ! だ、だってっ! 好きなもんはたくさんあったほうがいいだろっ」  しらたき好きじゃんか。前に、肉じゃがした時も食べてくれてたし。だから、今回はボリューム増量した。 「もう! 笑うなよっ」 「ごめっ」  言いながら、まだ笑ってんじゃねぇか。口をへの字に曲げて、しらたきと牛肉に場所を取られて、貴重な存在となった焼き豆腐を次から次に自分の取り皿へと移していく。独り占めしてしてやるかんな。 「だって、出てきた時、びっくりしたんだよ。ほぼ、しらたき! って、インスタ映えを狙ってんのかと」 「狙ってねぇよ。そもそもそんなんやってねぇ」 「そうだった。けど……」  俺たちの間にはモクモク立ち込める甘辛いすき焼きのタレのいい香り。 「じゃあ、あとで、もうひとつある、俺の好きなもの、たくさんくれる?」  その湯気を越えて、俺に触れてくれる手が頬を撫でて、唇をそっと指先でなぞった。 「っ、ずりぃ」 「?」 「和臣のおねだりとか、萌えスイッチぶっ壊れそう」  甘えた声を出されるとすぐに機嫌が直っちまう。そんな自分の簡単さに呆れて、仏頂面になるけど、すぐそこで、湯気の向こうの和臣が嬉しそうで、つい、つられて笑ってた。

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