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第61話 幸福を

「以上、一点で、お会計が……」  肌着だけど、ないよりいいよな。服は明日の朝には乾いてるだろうし。  和臣は、いいよ、裸でって、サイズピチピチでもいいしって、笑ってた。身体しんどいだろ? って、気遣ってくれるのがまたすげぇ申し訳なくて。罪悪感がすごくてさ。  俺はひとつでかい隠し事をした。元彼が、初恋の人が今日会いに来てたよって言えなかった。言えるわけねぇ。そんなの、教えられない。 「ありがとうございましたぁ」  だって、あんな美人だなんて。  コンビニの自動ドアに映る自分を見て、自然と俯いた。あんなんと比べたら、俺なんて、ホントただのヤンキーでさ。なんで俺? って思いそうになる。  そんなことない。和臣は俺のこと好きでいてくれてる。大丈夫。仰木だって呆れるくらいのバカップルだ。大丈夫。  あの人がどんなに美人だって、すげぇ痛かったんだ。もう吹っ切れてんだ。もう、過去ことだ。思い出だ。だから、もう。 「おかえり。本当に買ってきたの?」 「……」 「剣斗?」  部屋に戻ったら、裸にパンツ一丁の和臣がいた。洗いざらしのただ乾かしただけの髪で、麦茶片手に笑ってる。 「あ、うん。ごめん。コンビニだから肌着だけど」 「サンキュー。いくらだった?」  気取ってない、普通の時の和臣だ。大学にいる時はさ、お洒落男子って感じで爽やか。けど、俺はこっちの和臣が好き。どっか抜けてて、ふにゃっと笑うとこも、あくびしてるとこも、寝癖で後ろ髪がぴょんと跳ねるとこも全部。 「い、いいよ! そんなん」 「そういうわけにいかないでしょ」 「いくって。か、彼氏なんだから、そんくらい」  彼氏、そこにやたらと力がこもった。 「だからじゃん」 「……ぇ?」 「彼氏だからね。甘やかしたいじゃん」 「……」 「なんか、あった?」  やめろよ。 「なんか、変だっただろ? さっき、いつもと違ってた。甘え方が。まさか、花火に音にビビったとか?」  頭撫でながら、ふにゃって隙だらけの笑顔なんて。なんか泣きそうになる。  こんなに好きな人にさ、こんなに好かれてて、すげぇ、大好き同士でさ。 「ビ、ビビってねぇよ。っつうか、なんもねぇし」 「そ? これ、ありがとうな。すげ、嬉しいわ」 「ただの肌着だぞ」 「あはは。たしかに。けど」  本当に大好きなのに。 「ついに! 俺の着替えが剣斗の部屋に! って感じで嬉しいじゃん」 「……っ」  マジ、泣きそうで、肌着を着て笑う和臣に胸が苦しくて、ぎゅっとシャツを握って、その懐に抱きついた。 「やっぱ、なんかあったか」  そして、また頭を撫でてくれる。 「んーん。べつに。花火大会でイケメンの和臣がナンパされなくてよかったーって」  こんなに好き同士なのに。あの人が怖くて仕方ないのが苦しい。なんで、こんなに好きなのに、こんなに好かれてるのに、あの人に取られちまいそうって怖がってんだよ。 「そりゃこっちのセリフだ。うちの可愛い剣斗がどっかにさらわれやしないかって常々心配してんだから」  バカ、そんな心配なら今俺がしてんだよ。さらわれて、もう俺のとこからいなくなるんじゃないかって。 「ねぇよ、そんなん」  そんなん、ない。絶対にない。そう心の底から願って、和臣のうちでの着替え用の肌着にすがるように握りしめてた。  ほぼ毎日会ってるから、きっと不自然なとこはねぇはず。  ――今夜もうちに来てれば?  和臣は何も言わず、じゃあ、そうしようかなって笑ってた。ごまかしようのない不安に襲われる俺を和臣は理由もわからず受け入れてくれてる。 「あ、剣斗くーん、在庫切れで発注してくれたの届いた。これ、しまっておいて」  こんなのなんの解決にもなんねぇのに。いつまでもあの人にビビってたって仕方のないことなのに。大丈夫っていくら唱えても、ちっとも大丈夫になってくれない。なんでこんなに。 「剣斗君?」 「! ぁ、すんません。えっと、あ……の……」 「……仕事中にぼーっとしてるとはけしからん。どうせ、昨日の花火大会楽しんでイチャイチャして腰が重いとかなんだろ。あーラブラブバカップル」  京也さんが作業台に肘をついてふてくされた顔をした。そして、そこにあった革の切れ端を指先でなぞって心地好さそうに微笑んでる。細くて白い指はあの人に似てた。華奢な身体も、綺麗な横顔も、色気の混ざる甘い雰囲気も、あの人と似てる。  和臣はこういう人が好きだったんだ。俺とは正反対の綺麗な人が。好きで大好きで夢中になりすぎて心配されるほど好きだった。 「それとも……なんか、あった?」  俺は恐怖した。あいつのことをもってかれそうで。 「あったのね。どうした? お兄さんに話してごらん」  けど、それは俺にとっての恐怖でさ。あいつ、和臣にとっては――。 「……あの」 「うん」 「和臣の初恋の人、会いました」  それまで革の切れ端で遊んでいた指をやめて、目を丸くした。 「そん時、和臣は部屋にいなくて、俺がいて、そんで」 「……」 「和臣のことをまだ好きって言ってました」 「は? なんだそれ。何を今更」 「違うんです」  首を横に振った。 「和臣のことを思って、大事な将来のためにって。自分の気持ちとかどうでもよくて、ただ和臣のためにって。それって、すげぇ好きだからっすよね」  好きな奴の幸せを願うからこそ、そんなことができたんだ。なら、俺もそれしないといけないのか? 和臣の幸せのためにってしないと。それこそが本当の「好き」なのか? 大好きだった初恋の人に譲らないといけないのか? 「違うよ」  いつも明るくて、楽しそうで、俺をからかう無邪気な京也さんの普段と違う、やけにハッキリとした声。 「そんなの、好き、とは違う」 「……」 「それはただの自己チューっていうんだよ」  そして、いつもと違う口調で、いつもと違う表情で、それは違うと、そう、きっぱり断言した。

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