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第63話 恋愛の始め方

 このタイミングを逃したらズルズル続くからここで終わらせたい――俺との関係を?  ずっと考えた――そんな時、元彼が現れたから別れんのか?  ここで区切りをつけて――初恋の続きを始める? 「よお、元気か?」  そんな考えが止まらなくて、ほとんど眠れなかった。隣で寝てる和臣の横顔を見ると泣きそうになるから、それを堪えるのに必死で寝てられなかった。 「……剣斗? なんか、あったのか?」  だから、仰木が俺の顔を見てすぐ異変に気がついた。夏休み入ってすぐ交通費が安いうちに帰省を終えて、土産を笑顔で持ってきてくれたのに。仰木にすげぇ心配させてる。作り笑いくらいできればいいのにさ、そんな余裕もない。 「おい、剣斗」 「……ごめっ」  朝さ、今日はバイト後少し用があるから遅くなるって言われたんだ。 「剣斗?」  すげぇ嬉しそうだった。すげぇ、笑顔だった。俺は、その笑顔と昨日の電話の内容と一晩中頭の中で、払っても払っても居座り続ける嫌な光景が離れなくて、すげぇ、怖い。 「どうした?」  こんなの仰木に相談したらいけないとわかってる。ダチだけど、こいつのことをフッた俺は、こいつに和臣のことを相談するわけにはいかないってわかってんのに弱っててさ。胸にうちに溜まったものが溢れるのを止められなかった。  夏休みの日中のファミレスは高校生とか家族連れとかで賑わってて、大学生の男ふたりがこんな話をするには不向きすぎてて笑える。  こんな、別れるかもしんねぇ、みたいな暗い話をするには。 「そっか」  全部を話した。元彼が和臣のいない時に部屋を訪れたところから、昨日の電話までを全部。そして、仰木がこの後何を言うんだろうって、息を止めて、待ってる。 「…………んじゃ、俺と付き合おうぜ」 「……は?」 「それ、別れる寸前じゃん。元彼、すげぇ美人なんだろ? そんで、すげぇ夢中で未練タラタラでずっと忘れられなかったんだろ? そいつが帰ってきて、本当は好きだったから寄り戻したいって言って、そのタイミングで夜に電話でなんか話してたんだろ?」  サラサラと止まることなく言われた言葉に何も口を挟めなかった。淡々とした話し方をされて、自分のことだって思えない。いや、思いたくねぇんだ。あの想像が想像でなくなる。ただの「正解」になる。誰かに教わらなくても、言われなくてもわかる、未来図に変わる。 「もうそれ別れるじゃん」  仰木は無表情でそんなことを言うと、手元にあるメロンソーダの入ったグラスをストローで掻き混ぜた。中の氷が立てた涼しげな音がやたらと大きく聞こえた。 「なら、いいだろ。俺でも」 「は? 仰木、何言って」 「俺ら気が合ってるだろ? 話も合うし、一緒にいてお前だって気楽じゃね? 楽しいだろ? ならいいじゃん」 「……お前」 「そっから始まることだってあるんじゃね? 恋愛の始め方なんてどうだっていいだろ」  軽やかな音なのに。 「俺はお前のこと好きだよ」 「……」 「好きでいるより、好かれる方が楽だぜ? お前、今自分がどんな顔してるかわかってる?」 「……」 「俺ならそんな顔させない。大事にする。好きだ」  耳鳴りがする。 「あの先輩のことでそんなきつい顔することねぇじゃん。どうせそういう男だったんだって。さっき言ったけどさ、恋愛の始め方。まさにお前と今してるのがこれなんじゃね?」  痛い。 「元彼が忘れられなくて、すっげぇ好きでたまらなくて、だから、手身近にいて、全く違うタイプの剣斗と付き合って忘れようってことだろ? そんで、上手いこと忘れられるかもって思ったら」  痛いけど。 「本命が帰ってきた」 「……」 「しかも寄りを戻せるってなって、もう乗り換えるのはやめにしよう、と思った。そういう男だったんだろ」 「っちげーよっ!」  でかい声に一瞬、店内が静まり返った。会話が一斉に止まって、厨房で忙しく料理をしてる音だけがでかく響いた。驚いてないのは俺と仰木だけ。そして、仰木が俺を見てニヤリと笑うと、一気に集まった視線があっという間にバラけて、また普通の騒がしい店内に戻った。 「……和臣はそんな奴じゃねぇ」 「でも、お前の話を聞いた限りじゃそういう男だったぜ? お前もそう思ったから、あんなにへこんでたんだろ?」  そうだよ。和臣のこと持ってかれそうでビビった。それでもまだ堪えてた俺から最後の希望を奪うような会話が聞こえて、その一撃に倒されそうだったけど。 「俺は……」 「……」 「和臣のために別れるなんてできない。俺が、好き、だから」  あいつがずっと好きだった初恋の人がまた現れて、あいつのことを欲しいって言ったらさ、そりゃ喜ぶだろう。あいつのことが好きなら喜んだ顔を、笑った顔を、見たいと思うべきなのかもしんねえぇ。身を引くべきなのかもしんねぇ。けど、俺は無理だ。俺は諦めたくない。 「あいつのこと大事にしたいけど、でも、好きでいたいんだ。すげぇ好きだから」  誰にも譲りたくない。 「……あっそ。なら、早く捕まえて、今すぐ真相聞いてこいよ。そんなシケタ顔のお前は好きじゃねぇ」 「仰木」 「もうできんだろ? ビビらずに」  はぁと溜め息を吐いて、仰木が苦笑いを零し、頬杖をつく。 「そんで、これ、シラス」 「え?」 「めちゃくちゃ美味いからふたりで食えよ。すげえたんまり入ってるから」  そう言って、魚のマークが入ったビニール袋を差し出す。 「あ、りがと」 「本当に悪いと思ってるんなら、今度、おごれよ。学食のオムライス」 「わかった!」 「あ、あと、先輩にも奢らせるからってそれも言っておいて」 「わかった! シラス、サンキューな!」  立ち上がると、さっきまで痛かった身体が軽くなって痛いどころか熱く感じるくらいに火照ってる。 「おう。あ! それ、保冷剤入ってっけど、そう長いことそのまんまにしとくなよ!」  わかった。そう答えた。ちゃんと早く和臣のこと捕まえて、そんで一緒にうちに帰って急いで冷蔵庫にしまえって、笑った顔が物語ってる。 「あと! 話聞いてくれて」 「ダチ、だからな」 「……ありがとう」  笑って見送ってくれる仰木の手元にある残りのメロンソーダを一気に飲み干すと、仰木もグラス片手に立ち上がった。 「俺は、まだ飲んでから帰っから。先に行けよ。あ、あと、お前んとこの地元のお土産、ふたり分、楽しみしてっから」  ふたり分、俺と和臣、それぞれで土産を寄越せと、優しい顔で小さく呟いていた。

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