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第64話 ラスボス

 バイトの後、用があるって言ってた。今日のバイトのシフトは――。 「はぁっ、はぁっ、はぁっ」  走ってる間は必死すぎて気がつかなかった汗が、止まった瞬間、溢れて垂れて顎を伝う。それを手の甲で拭って、和臣の勤め先のカフェの中を大きなガラス窓から見渡した。いるのかなって。けど、姿はなかった。シフト通りならもう終わってる時間なんだ。でも、この後の予定を俺は知らないから。 「はぁ……」  どこ、行ったんだよ。  どこ、行ったのかわかんねぇけど。 「クソっ」  楽しそうだった。昨日の電話の声は弾んでた。俺は聞こえてないフリをしたせいで、なんの電話? って訊けなくて後悔したんだ。今朝もそう、用があるから帰りが遅くなるって言った和臣の口元が緩んでて、すげぇ気になるけど俺はやっぱり訊けなかった。  そんで行き先がわからなくて、今、途方に暮れる暇もなく走り回ってる。  和臣と行った場所を巡って、あいつが楽しそうに笑っていた場所をなぞって探してる。近所のスーパー、手芸屋、映画館、ひとつひとつ走って探した。パッチワークみたいに、一つ一つの小さな思い出をなぞってる。 「あとは……」  でも、どこにもいなくて、残っているのは――。 「……」  ここ、ゲイバーのとこ、それとハッテン場だけ。  看板をじっと見つめる。こめかみを流れる汗を手で拭って、ツバを飲み込んだ。  わかってる。あいつの行きそうな場所を俺が全て知ってるわけじゃない。俺と一緒に行った場所に必ずいるとは限らない。でも、あんな嬉しそうな声だったから、あの声になるような場所ってどこなんだろうって。それが俺と作ってきた時間の中にあるのならいいのにっていう、願いが混ざってる。  だから、ここにいるとしたら、それは。 「いらっしゃ……」  それは、ちょっとちげぇかなって。  マスターが目を丸くした。そして、少しだけしかめっ面になった。今、俺はここに来るタイミングじゃなかったんだってすぐにわかったよ。だって、ほら――和臣がいた。  カウンターじゃなくて奥のソファのとこで立ち上がろうとした和臣と、その和臣にとても優しく微笑みながら、首に腕を絡ませて引き寄せる人。  嬉しそうにはにかんで、身体を擦り寄らせぎゅっと抱きついてから、俺を横目で見つめて、口元だけで優越感にビタビタに浸った笑みを零す、和臣の元彼。  その瞬間、わかった。  バカな俺でもわかるほど、その人の本性に。  白く細い腕はまるで蜘蛛の糸みたいに和臣の首に絡みついて、捕まえた獲物を離そうとしない。男なら、雄なら、その罠に引き寄せられるように近づいてしまう、ドロッとした甘い色気。  シナリオはさ、こうだ。  俺はあの人を忘れるために仮初めで付き合った今彼で、本命はあの人。そんであの人が和臣のことを好きだって、今でも大好きだって一言言えば、和臣は俺のことなんてすっぱり切って、そんで元サヤに戻る。俺は用済み。バイバイ。  それは俺が想像してた一番怖かった図。  マジでラスボスだ。最後に出てきた倒せそうもない、蜘蛛の姿をした、最強の敵。けど――。 「……」  けど、だからなんだよ。 「衣緒(いお)さん、もう貴方とは別れ、」 「おいっ!」  ラスボスっつうのはな。 「あ、えっと、和臣の今彼、さん? だっけ」 「! 剣、!」  ニコッと微笑む笑顔はまるでアイドルみたいに綺麗で可愛くて、俺なんかには到底できそうもない。俺の笑った顔なんて、ふっつーで、色気なんてねぇ。綺麗でも可愛くもねぇ。でも、だからなんだよ。 「それ、俺の男。返してもらう」 「きゃっ!」  白い色に絡め取られた和臣の首根っこを捕まえて、片手でグンと引っ張れば、乱雑な俺に小さく悲鳴を上げた。その声は可愛すぎて、同じ男とは思えないほど。俺にはそんな声出ねぇよ。でも、だから、どーした。  ラスボスっつうのは。 「ちょ、乱暴な人。和臣の相手として僕はそういうのどうかと思う」 「剣斗、お前、どうしてここに」 「ね、和臣……僕の上げたぬいぐるみまだ持っててくれてるんでしょ? 初デートの時に買ってくれたの。大事に」 「離せっつってんだろ」  ラスボスっつうのは、ラストに出て来たところで、もうそれまでに色々経験値上げた主人公に必ずぶっ倒されるんだよ。 「きゃあ!」 「和臣は」 「っ、離してよ! っ離せって、言って」 「お前のじゃねぇ」  その化けの皮ごとぶっ飛ばしてやる。 「離せ! お前みたいなダサいヤンキーが僕の後釜だなんて、最悪なんだよ! 僕がお前みたいなのより見劣るなんてことあるわけがっ」  甘い、可愛い悲鳴も、傲慢で、胸糞悪い本性も、全部無視して胸倉を逃げられないようにきつく掴む。そのまま、俺は背中を弓なりに反らせ、思いっきり。 「和臣は俺のだっつっただろうが」  思いっきり頭を振り下ろした。 「っぎゃ!」  渾身の頭突きに衣緒って呼ばれた超絶ぶりっ子ラスボスがすげぇぶさいくな悲鳴をあげる。  いいか? 来るんなら、俺の男かっさらいに来るんなら。俺が経験値上げる前に来いよ。 「こいつは俺の男だ」  ふざけんな。そんなぶりっ子の色仕掛けに俺の初恋が負けるわけねぇだろうが。  戸惑って、悩んで、喧嘩して、仲直りして、手繋いで、もっと深いとこでも繋がって。ここのマスターがいて、仰木がいて、コマメさんがいて、神田がいて、京也さんがいた。スーパーで一緒に買い物した。乙女な恋愛映画を見た。肉じゃが食った。ハッテン場でタバコ臭い中、心底後悔した。真っ赤な薔薇のでかい花束なんてものを生まれて初めて買った。笑って、怒って、悲しんで、また笑って、そんな小さな思い出をいっぱい繋げてできた恋なんだ。 「帰るぞ。和臣」  しっかり「好き」っていう糸で繋げた「恋」なんだ。  ラスボスの色気なんていう白い糸になんて絡め取られるかよ。 「剣斗っ!」  外に出ると風が吹いてた。汗がその風に冷えて、少しだけ身体の熱も冷えていく。 「剣斗!」  あぁ……すげぇ、怖かった。 「剣斗っ! さっきのはっ」  すげぇ、怖かったんだからな。あんなラスボス。 「……和臣」 「マスターに話したいことがあって、それでバーに行ったら、衣緒が来たんだ。偶然で。こっちに帰って来てることも知らなかった。いや、ちょうど、その事をマスターから聞いたところで衣緒が来た。それで」 「和臣」  いっぱい聞きそびれたことがある。質問したいことがある。 「俺のこと、好き?」  たくさんあるけど、そのどれよりもこの答えただけが一番欲しかった。 「……好きだよ。剣斗が、好きだ」  真っ直ぐ届けてくれるその言葉ひとつが一番欲しかったから。 「そっか。それならもういいよ」 「バカ。良いわけあるか。ちゃんと、全部話しさせてくれ」  あ……そうだ。シナリオ。  ラスボスを倒したらさ、捕らわれの姫を助け出し、そんで、愛の告白とキスが待ってるっていうのが、やっぱ王道で、やっぱ、それがスカッとして気持ちイイよな。 「剣っ……」  ほら、すげぇ、最高に……気持ちイイだろ? 「俺も、和臣が好き」  胸倉掴んで、引っ張って、齧り付くように勇者な俺は助け出した姫にキスをする、そんな王道シナリオが、やっぱ最高だ。

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