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第65話 駅前で恋のお話

「衣緒のこと……知ってた?」  ガタンゴトンって揺れる電車の音が聞こえる。和臣がいるかもしんねぇって、バーへ向かっていた行きはちっとも聞こえてこなかったのに。 「……うん。ごめん。知ってた」  どんな顔で乗ってたんだろうな。今、窓ガラスの向こうを流れる夜景に重なるように反射する俺の頭、ボサボサじゃんか。だせぇな。 「花火大会の日、和臣の部屋に来た」 「……」 「そんで、言われたんだ。あの日、別れたのは、恋愛に夢中になりすぎてる和臣の将来が心配で別れたんだって。すげぇ酷いことを言ったのも、わざと嫌われて、別れるためだったって」  しつこい、その言葉で和臣を傷つけてまで、将来を想った優しい初恋の人。 「……そっか」  当時の和臣も俺もそれを信じた。 「バカだよなぁ」  ぼそっと呟いて、和臣が窓ガラスに頭を小さく当てた。 「あの人の本性、全く気がつかなかったよ。笑った顔も、優しい言葉も、あの日の別れの言葉も全部、信じてた」 「……」 「バカだった」  可愛いくて、優しかった人の本性は最悪だった。最低だった。 「今見たら、すぐにわかったのに」 「……」 「あの時の俺にはわからなかったんだ。今の俺にはすぐにわかるのに」 「なんで、今」 「剣斗を見てるから」  揺れる電車、ガタンゴトンって鳴るレールの音、和臣の声、全部が優しくて、柔らかい。 「お前、考えてることが全部顔に出るだろ? 怒ってるのも、悩んでるのも、楽しいのも、好きって今思ってるのも」 「……」 「今はいつも本物の笑顔を見てるから。いつも隣に剣斗がいるからわかるんだ」  隣に並べれば本物とイミテーションがわかるように。手早くミシンで縫ったものと、手縫いで優しく縫い合わせたものが触れればすぐにわかるように。 「あの人の笑った顔は綺麗じゃないし、可愛くない、ただの作り物だって」  揺れた電車、それにぐらついたみたいに手を伸ばして、俺の頬にちょっとだけ触れた手も優しくて、温かくて、ただの電車に乗った帰り道なのに。いつも使ってる路線なのに。 「本当に可愛いのは……剣斗の笑った顔だ」  俺は一生この場面を忘れないって思った。  駅を降りると、ゲイバーのある繁華街みたいな賑やかさのない、ちょっとのんびりとした空気が今は心地良かった。駅の改札からそれぞれの家路に向かう人達の中、和臣の背中だけが俺の胸をときめかせる。 「なぁ! 和臣!」  ちょっと二、三歩進んだ背中に声をかけた。まだ一緒にいたいんだ。 「どっちんちに、帰る?」  俺んち? それとも、和臣んち? 「……どっちにしようか」 「俺はどっちでも」  和臣と一緒にいられるんなら。 「それよりさ」 「?」 「もうさ……一緒に住まないか?」 「……ぇ?」  どこだって。 「それもあって今日はあそこに行ってたんだ。男同士でルームシェアって名義のこととかさ。難しい場合もあるって聞いたし」 「あ」  電話。 「タイミング逃したら、ズルズルしそうだって。だから決めたって」  その電話に俺は凍りついたんだ。 「なんだ。聞かれてたのか。あれ、不動産屋」 「俺……てっきり、俺と別れるタイミングかと」 「は? なんで、そうなるのんだよ。……って、ごめん。俺が不安にさせたのか」 「ちがっ! 俺が勝手にっ!」 「ぬいぐるみだろ?」  そんなことないって、物を大事にするのはいいことだからって、言ってやれなかった。たしかにずっと気になってたから。ずっとどこかで、心の隅っこで、和臣は初恋の人を想ってるんじゃないかって、小さな不安が住み着いていたから。 「剣斗にあの修理の仕方を教わってた時はその思い出に縋ってた。あの人と過ごした時間がそこに詰まってたから。けど、今は本心から、剣斗との出会いのきっかけになってくれたことに感謝してる」  すごく大事にそうにしてたから、すごく困ってそうだったから、俺は修理の仕方を教えたんだ。 「あのぬいぐるみも、あの人とのことも、全部が今の俺を作ってるって」  この恋がたくさんの人との出会いや出来事を繋げて出来上がったように、和臣も、たくさん傷ついて、失敗して、悲しいことも経験して、こんなに優しくてあったかい人になった。今の俺が和臣に出会えたから、神田に笑って、あの時のことを気にすんなって言えたように、コマメさんに会えたように。 「でも、不安にさせたな。ごめん。帰ったら」 「い、いい! いいよ! もう不安に思ってねぇから!」  頭をブンブン振って、慌ててその手をぎゅっと掴んで止めた。 「ぬいぐるみが可哀想じゃん」 「……」 「俺は、別に、もう……って、和臣? なんだよ。急にしゃがみこんで」  立ち止まって話し込んでいたから、もう駅から降りて来る人はほとんどいなくなった改札口。さっきまでの人の波がなくなると途端に静けさが広がる駅で、しゃがんだ和臣に釣られるように俺もその場にしゃがみこんだ。 「和……」 「お前、なんで、そんなに可愛いの」 「は?」 「ぬいぐるみが可哀想とか大学生男子が言ってのけて、しかも赤面で、それが似合うってどうなわけ」 「なっ」  口元を手で押さえてもごもごと聞き取りづらい文句を言われた。 「はぁ……」  しかも溜め息付きで。 「住む場所、いくつか検討つけてるから、明日にも見てみて」 「え? ちょ、俺っ」 「なし、は、なし」 「は?」 「お前みたいに可愛いの、ひとりにさせとくの怖いわ」 「はぁ?」  どこがだよ。俺なんて、あの衣緒って人の欠片ほども。 「可愛いよ」 「っ」 「とりあえず、キスしたいのを手で押さえて必死に我慢する程度には可愛いから」 「!」 「早く、俺の部屋に行こう」  スクッと立ち上がると手を差し伸べてくれる。掴んで一気に立つと、少しだけクラクラした。 「お前、俺のベッド、好きでしょ?」 「は? はぁぁ?」  俺の初恋はアップダウンが激しくて、あっちこっちと忙しくて、少し目眩がするほど甘い味がするから。

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