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浴衣の君編 2 流し目ヤンキー

「あっつ……」  言ったところで暑さが和らぐわけじゃないけど、それでも駅構内に溜まった日中の熱気とバイト疲れで、ついつい独り言がこぼれた。  一緒に暮したのが去年の夏から。  あっつい日に、買ったはいいけど送料をケチった特大のベッドをふたりして運んだのが八月の終わりだったっけ。  あの時、俺は初恋におおはしゃぎだった。そして、一年後の自分はもう少し落ち着いてさ、なんつうか、酒も飲める歳になるから、大人っぽいシックな感じを想像してたんだけど。一年経ってみても、あんま変わってない、かもな。  いや、むしろ、はしゃぎ方で言ったら今のほうがガキっぽいかもしんねぇ。 「なんかさぁ、やっぱ年下って私、無理だったかも」 「えー? ラブラブじゃん」  何せ、初恋だから。 「向こうはさぁ、初めてなんだよ、私が。初恋」  初恋、そう胸のうちで呟いたのと同時、隣で電車を待つ、女子高校生の会話にむせそうになった。 「おそっ!」 「だよねー。だから、可愛い感じでさぁ。なんつうの? 萌えるって感じだったんだけどさぁ。マジで単純に疲れる」 「は? まさかあのテンション常々ってことないよね」 「あるある。めっちゃある」 「マージーでー? 無理。疲れる」 「可愛いんだけどねー。もう少しさぁ、自分ひとりの時間も必要じゃん?」 「たしかにー」  マージー……で?  俺、年下だ。そんで初恋。そんでもって、たぶんこの女子高校生はモテんだろ。たぶんだけど。あんま興味ねぇからわかんねぇけど。  恋愛に慣れてそうなモテる彼氏と、この場合は彼女だけど、それと、初恋に浮かれる年下。  今、この会話の状況と俺らって丸被りじゃねぇのか?  同棲い始めてもうすぐ一年。それこそ最初はがっつりはしゃいでたっつうの。エロいことも、可愛いイチャイチャもなんもかんも楽しくて、二本の歯ブラシが並んでるだけでも写真撮ってみたりしてたけどさ。  つ、疲れる? 一緒に風呂入って、ご飯食って、また一緒にぎゅってしながら寝るとか、無理? 自分時間足んねぇ感じ? 「……」  いや、別にそんな感じはなさそうだ、と、思う。慎重に、慎重に考えて、思い出してみたけど、平気だと思う。いや、むしろ平気だって思いたい。 「なんか、いまだに付き合った頃の感じっていうのもさぁ。デートにしてもなんにしても、どっか肩に力が入ってるっつうかさぁ。デートんたびにガチガチに決められてもっつうか」 「あー面倒かも」 「そうそう、めんどーマジ」  マジ……で?  ダメ? 面倒なのか? だって、やっぱ好きな人の前じゃカッコつけたいじゃん。惚れててもらいたいっつうかさ。 「次はヨユーある年上がいいわぁ」 「あははは。すげ、モテキャラ発言」  マジか! ヨユー、なんて、ねぇよ! あるか! ボケっ! 次はヨユーある年上がいいっつっただろ! アホか! 和臣の元彼、年上じゃねぇか! しかもすげぇ綺麗系なんだぞ。俺と間逆なんだぞ。もう別にそこに戻るとは思ってねぇよ。あの人、衣緒さんとは終わってるってちゃんとわかってる。わかってるけど、それは元彼とは終わってるってだけで、もしも、他に――。 「剣斗」 「うわあああ!」  いきなり肩に置かれた手に飛び上がった。隣で恋愛トークで俺をめちゃくちゃ慌てさせたJKも驚くほどの大絶叫が駅のホームに響く。 「か、和臣っ!」 「あは。すげぇ声。めっちゃ目立ったぞ、お前。ちょうど、一緒だったな」 「あ、あぁ、うん」  びっくりした。もう仕事探しが佳境になってきてる和臣は普段俺より帰りが遅いのに。たとえ優秀な奴が大集合している建築科であっても、やっぱり納得のいく仕事となると見つけるのは難しいらしい。応援してるけど、和臣だからさ、心配はとくにしてない。 「今日はバイトないよな」 「うん」 「だったら、二年生は大概この時間だろって思った」 「……ぇ」  それって、俺のこと待っててくれた、とか?  「一緒に帰ろうかなと思ってさ」  うわぁ、どうしよ、すげぇ嬉しい。マジで? 和臣が待っててくれたのか? どーしよ。すげぇ。 「剣斗の髪色でいっぱつでわかった」  ――マジで単純に疲れる。 「剣斗?」  一年経ってもおおはしゃぎじゃ、疲れ、んのか。 「そっか。ふー……ん」  本当はすげぇはしゃぎたい。自然と零れる笑い顔とかそのまま放牧する勢いでほったらかして、えへへへへってずっと笑っていたい。 「大学お疲れ様」  けど、もうそろそろ同棲して一年なんだから、少しくらい落ち着かないとだめなんだな。ワーキャー騒ぐばっかじゃただのうるさいガキだと、気持ちを静めるため、深く大きく深呼吸をした。 「剣斗?」 「あ、そうだ。今日さ」  大人っぽい俺を、もうあと一ヶ月後には酒だって飲めちゃう大人の、歳は……上になんねぇけど、去年の俺とは違う俺を見せないと。 「課題でさぁ」  だから、涼しげな顔になるよう必死に目を細めてみたりした。 「おい……お前、何? 俺にガン飛ばしてるわけ? 俺、一応もう二十歳ってことで、丸くなってるけど、地元じゃ」 「……ちげぇよ」  別に仰木のことを睨んでるわけでも、ガン飛ばししてるわけでもない。 「大人の雰囲気出してんだ」 「……はぁぁぁ? っぷ、あははははは」 「おい! てめぇ笑うな!」  腹を抱えて笑いやがった。 「笑うだろ。なんだそれ。ずびし」 「ちょっ」  ひとしきり笑ってから、俺の流し目を潰すべく、ピースサインをした指二本をあろうことか瞼に突き刺してきた。 「アホ、何してんだ」 「これはっ」  大人っぽくなる練習だろうが。大人っつたら流し目だろうがよ。いいか? 今、目の前におやつですと飴玉があったとする。ガキは「わーい」っつって大喜びでそれに飛びつくけど、大人は「はん、飴玉ひとつか」って、独り言を呟き、流し目をするんだ。ほら、ちょうど今俺がしているのが、それ。 「俺はてっきり、今度の花火大会デートがキャンセルになったのかと思った。もしそうなら俺と」 「……」  花火、そうだ。去年もあったっけ。去年もあったけど、そん時はラスボスがやってきたせいでさ。 「花火! それだっ!」 「剣斗?」  台無しになったんだ。花火なんて見てもいないし、お気に入りの服も着れなかった。だから、今年は――。 「花火大会だろ!」  今年の花火大会こそは! そう拳を高く掲げていた。

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