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「ひねくれネコに恋の飴玉」 3 誘惑の指先

 僕の勘はよく当たる。 「ちは。あの、剣斗は……」 「いらっしゃい。いるよー。でも、今、買い物頼んでるんだ」  きっと彼は剣斗君のことが好き、なんだろう。たこパーの間、そう思った。 「あー……」 「たぶん、あと三十分もしないで帰ると思うよ。さっき、駅に何時に着くって教えてくれたから。待ってれば?」 「あざっす」  じっと剣斗君を見つめてた。その瞳に恋の色が見て取れた。可愛いよね。好きだー! って、連呼するみたいに真っ直ぐに見つめててさ。  けど、冷静な大人からしてみたら、やめたほうがいいのに、としか思えない。  あれは、ダメだよ。あそこにはきっと誰も入れないよ。どう頑張っても無理だ。隙間はない。君が入り込む隙間は一ミリだってないよ。だから――。 「あの、京也さん」 「!」 「すんません。仕事の邪魔っすよね」  気がついたら、手を止めて窓際に立っている彼をじっと見つめていた。そこからなら路地を歩いてくる剣斗君の姿がわかるから。あの子に片思いをしている彼はただ好きな子と会うために、ちょっとくらいもない隙間を探して、じっと。 「う、ううん。べつに平気だよ」  じっと待っている。健気に、一途に、好きっていう感情だけをその瞳に宿して、届かないとか関係なく、駆け引きも計算もなく、ただ、「会いたい」その感情一つで。  それを羨ましいと思った。 「好きなんだね。剣斗君のこと」 「えっ?」 「見ればわかるよ」  そんなふうに真っ直ぐに見つめられるのは、さぞかし気持ち良いんだろうなって、思った。 「好きなんだなぁって。けど、あそこすっごいラブラブだよね。もうお互いしか見えてないですーって感じすごくない?」  革の少ししっとりした質感を指先で確かめるように表面を撫でて、爪を立てる真似をした。少し意味深な爪の立て方。なにかを連想させるように、男の割には繊細なラインが自慢の指先をわざと立てるんだ。カリカリって、まるで引っ掻くように。  もちろん、商品になる革だから本当に傷なんてつけないよ。材料を無駄にしたら、商売上がったりだからね。でも、雄の部分を刺激するように。 「和臣がもうデレデレじゃん? 一時だって離れたくないって感じで。一緒に暮らしてるし。この前のたこパーの時ももうイチャイチャしまくり。見ててこっちがのぼせそうっていうかさ」 「……」 「そういう相手に片思いってしんどいよね」  きっと気持ち良い。こういう男はさ、激しくて、熱くて、苦しいくらいの快感をくれるから。 「絶対に無理なのに、好きって感情が消えないのってさ、かなりしんどいよね」 「……」  きっと、とても美味しいと思う。キスも、セックスも。 「しんどいのを紛らわす手伝い、してあげようか?」 「……」 「剣斗君に聞かなかった? 俺も、こっちだよ?」  革をなにかに見立てて引っ掻いて誘惑した指先で、今度は自分の腰を撫でた。立ち上がる、少しだけ腰をくねらせ、細さがわかるように服の上から撫でて、首を傾げる。  即物だっていいじゃん。気持ち良いんなら。ひとりで想い人を想って熱を吐き出して慰めるくらいなら、身体だけの関係って割り切れる相手の中に吐き出すほうがよっぽど寂しくないよ? 片想いだけでもしんどいのに、そこに虚しさも重ねたら、苦しいじゃん? 「だから……ね?」  君だって、吐き出すんなら、セックスで解消しちゃうほうがいいでしょ? 「試してみない?」  上手いよ? キスもセックス も、それなりに美味しいのをご馳走してあげられると――。 「京也さん」 「……」  誘惑の手はその厚い胸板に触れる前に捕まえられた。腕の力は充分。きつくて強くて、雄って感じで、とても気持ち良さそう。ほら、手首に染み込みこの子の熱はたしかに俺好みだしさ。 「そういうの、俺、好きじゃないんで」 「すごい真面目」 「そんなんじゃない。それに」 「ん? なぁに?」  ふわりと微笑んでみせる。 「あんたも、そういうのちっとも似合わないからやめたほうがいい」 「……は?」 「なんか、まだ剣斗来ないみたいなんで、これ渡してもらえますか? あいつ大学の課題用の資料ひとつ忘れていったんです。これないと、夜、発狂するだろうから」 「ちょ」 「失礼しました。あ、仕事、邪魔して、すんませんでした」 「ちょ、は……ねぇ」  はい? 「また、ぜひ、たこパーとかする時は来てください」  はい? 「失礼します」  パタンって、パタンって扉、締まったけど? パタンって。 「は、はいいいいいいい?」 「うおー、すげ、助かったぁ。これ、忘れてたらマジ発狂もんでした」  今さっき、俺が発狂してたっつうの。  鼻歌交じりで、買い出しから帰ってきた剣斗君が雑務をこなしながら、そのプリントをカバンの中にしまった。あの、クソ生意気に涼しげな顔をして、この俺の誘惑をさらりとかわした、どこぞの大学生からのプリントを。  なんなの!  ねぇ!  なんなの?  あれは!  この俺が誘ってあげたんだけど? 片想いなんてしちゃってる可愛い大学生かと思って、少し相手してあげようかと思ったのに、なんで、俺があしらわれたの? はい? 似合わないってなにがよ? 似合うっつうか、そういうことじゃないっつうの! あれが、俺の。 「そっかーあいつには明日ジュースおごってやっかな」 「いらん!」 「へ? 京也さん?」 「そんなん、いらあああああん!」 「ちょ、何、革持って暴れてんすか。それ、この前発注した特別な色のじゃないっすか! ちょ、バカなんすか?」 「うっるさああああい!」 「ちょおおお、マジ、なんなんすかっ?」  そのセリフそのまま今、あのクソ生意気なクソ偉そうに知ったかぶりな大学生に言ってやる。 「あああああ、なんなんだよっ」  代わりに、さっき何かに見立てた本革に向かって、思いっきり怒鳴っていた。

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