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「ひねくれネコに恋の飴玉」 8 ねぇ、ねぇ……

 びっくりした。 「ごめんねー。なんか、またもやバイトさせちゃって」  まさか、彼が来るとは思ってなかったから。 「いいすっよ、別に」  別にって……なんか投げやりだなぁ。けど、まぁそうもなるか。好きな子は今頃、自分に仕事を押し付けて、彼氏とイルミの点灯式を眺めてる。ライトオフの暗闇の中、愛し合う二人は胸を躍らせて、目を輝かせて、待つんだ。光が溢れるその瞬間を。そして、キラキラと宝石がばらまかれたように一瞬にして光が溢れる街道。目を見つめあって微笑み合って、そんで――なんて、きっと見たくもないよね。ホント。  そりゃ投げやりにだってなるわ。 「俺が代わってやるって言ったんすよ」  優しいんだね。好きな子にはさ。別れるよう仕向けることもせず、好きな子の恋の応援なんて、そんなの綺麗すぎて、イルミ以上に眩しいっつうの。 「あんたといるの、楽しいし」  はいはいって、どうせ君は暇つぶしなんだろって、思いながら、手身近にあったチャコペンを指先でくるくる回してた。だから、そんなことを言われて、びっくりして、ペンが手から吹っ飛んだ。  その吹っ飛んだペンを彼が拾って、そんで、俺の手の中にポトリと落っことす。 「はい、どーぞ」  その掌にもう一つ、落っことす。 「これ、美味くなかったすか?」 「……」 「チョコ、この前一緒に食ったでしょ? ここ来る前に、コンビニで買ってきたんすよ」 「……」  ――ピンポーン。 「あ、荷物来たみたいっすよ」 「……」 「俺、取ってきますね。はーい、今、行きます」 「……」  え?  は?  今、なんて言った?  ねぇ、今、楽しいっつった? 「京也さん、これ、ここに置くんでいいんすよね? 剣斗が場所決まってるっつってた。ここ置きますねー。そんで……まだ、仕事あります?」 「…………ぁ」 「荷受だけでいいんなら、はい、チョコ食って」 「ちょっ」  手の中にあったチョコを取り上げられ、今度はパッケージから取り出すと、口の中に放り込まれた。ねぇ、普通、こういうのってさ、あんま。 「ペンは……ここ? コート、これっすか? マフラーは? あ、あった。はい。そんで、これが鍵?」  あんましないほうがいいよ。その、唇、触れるからさ。つまりはさ、ねぇ。 「はい。そしたら、行きますよ」  ねぇ、あのさ、さっき、君はここに来るの楽しいから来たっていうふうに聞こえたんだけど? ねぇ。 「ちょ、どこに?」 「イルミネーション」 「は?」  そこで、なんで、笑う? ふわりとどきりとする笑顔をなんで向けるの? 君、今、笑ったんだけど?  ねぇ、その笑顔ってさ、俺見たことあるんだけど。 「うわ……すげぇ人」  そりゃあね、今日点灯式だったんだから、たくさんいるでしょうよ。きゃーキレイー! つって、はしゃぐカップルがあっちにもこっちにもいるでしょうよ。そんでみんなして、愛を誓ったりしてさ。この後はお食事してラブホへゴーっつってな。まぁ家族でって見にきてる人もいるけどさ。そだ、点灯式の時、近所の幼稚園の生徒が鼓笛演奏やるっつってた。だからか、家族もけっこういるな。井戸端会議が勃発してる。それとお互いのことしか見えてないラブラブバカップル。 「けど、綺麗っすね」  ここに剣斗君もいるよ、きっと。もしかして、剣斗君に会いに来たとか? 傷口に塩塗り込む系? やめておきなよ。そういうの、わかるけどしんどいじゃん。でも流石にこれだけの人がいたら出会えるの奇跡じゃない? 会えないよ。塩は痛いからやめておけば? 寒いし、痛いしさ。 「……今日は、しゃべんないんすね」 「……え?」 「いつもはけっこう喋るのに」 「……」  そう? 心の中ではめっちゃ喋ってるよ。君に、ずっと、話しかけてる。ただ、それが口から外に溢れてないだけで、胸のうちでは大騒ぎしてるよ。 「静かな京也さんも、うるさい京也さんも、楽しいからいいっすけど」 「!」  ねぇ、ねぇ、ってずっと話しかけてる。心の中ではずっと。  ねぇ、楽しいからってさっきも言われたけど、それってさ、それって、本当に楽しいってこと? 剣斗君のことは? 好きな子の手伝いがしたかっただけでしょ?  ねぇ、なんで、チョコ、食べさせたの? ああいうの、よくないと思うよ。そういうのさ、ほら、触れるから。唇に。って、俺はもう大人だからそんなことくらいで動揺なんて――。 「京也さんっ!」 「わっ!」 「あっぶ……ねぇ」  びっくりした。本日二度目のびっくり、だ。  鼓笛を見に来ていたママさんたちが急に走り出した子どもたちを追いかけようと、それこそ体当たりでぶつかってきた。俺は激突される寸前、強く引き寄せられて、ギリギリセーフ。 「大丈夫っすか?」  いや、ギリギリ……アウトだ。 「っぷ、すげぇ、びっくりした顔、可愛い」 「!」  アウトだ。アウトーッ! って、誰かが頭の中で叫んだ。  ねぇ、さっきからずっと俺はしゃべりまくってるよ。君に必死になって話しかけてる。なのに、言葉が一つも出てこないんだ。たくさん言いたいことがあるんだ。チョコのこと、なんで今日代理をしてくれたのか、なんで、代理っつって、ずっと俺の隣で話しかけてきたのか、なんで、イルミネーションなんてバカップルとファミリーばかりのラブが溢れかえる場所に、俺なんかと来てるのか。なんで――。 「笑った」 「? 京也さん」 「さっき、笑ったでしょ?」 「?」  なんで、たこパーの時と同じ笑顔を今ここでしてんの? その笑顔はとても特別で、とても柔らかく、溶けたチョコみたいな甘さのじゃないの? それは、ただの年上の男には向けない特別な。 「仰木君っ」 「あれ? 京也?」  特別な笑顔でさ。 「あーやっぱ、京也じゃん。変わんないねー。美人だわ」 「あ……えっと」 「何? 今の男? ピチピチ年下攻め食ってんの? そりゃ、古いのはいらないかぁ」  俺みたいな、適当に遊んでばかりだった男に向けていい笑顔じゃ、ない、でしょう?

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