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「ひねくれネコに恋の飴玉」 14 蜜柑

 ――ン、もっと、してっ。  じゃないだろ。いや、っていうか、しすぎでしょ! ここ職場でしょ! そんでもって、俺が今乗ってる場所、神聖な作業台だっつうの。こら! って、自分を叱りたいところだけど、今、ちょっとふにゃふにゃなんだ。腰に力が入らなくて、ソファはなくて、あるの立ったりしやすいカウンター用の浅めに腰かけるタイプの椅子しかない。座ってられないんだ。だから今、沖の海に取り残されたイカダの上にでもいるみたいに、ぽつん、って作業台に座っているわけ。ここしかないわけです。  っていうかさ、何、抜かずの二連発どころか、三連発してるの。ねぇ、若者か! 俺は! どこぞの若者ですか! 「……」  なんて、心の中で慌ててる。なんか、今更だけどさ、その、あれだ。あれ。 「真っ赤」 「んぎゃあああ!」  そっと肩にキスをされて、セックス後の色気なんて吹き飛びそうな雄叫びを上げてしまった。 「ちょっ」  慌てて振り返ると、作業場の奥から水を取りに行ってきてくれた柚葉がいて、ズボンは履いているけれど、上半身裸であんた寒くないわけ? っていう、事後感たっぷりの格好でそこにいた。俺の雄叫びに一瞬だけ目を丸くしてから、ふたを軽く開けてくれたペットボトルを手渡してくれる。  女子か、俺は。 「力、入らないでしょ?」 「……」  入らないけどね。少し、どころか今、腰砕けですからね。  けど、そんな文句は言わずに黙って、受け取った水をふた口だけ飲んだ。柚葉は浅く腰をかけるタイプの椅子に座って、同じペットボトルの水をゴキュゴキュと喉を鳴らして飲んだ。一気に半分くらい。  でも、まぁ、そのくらい飲みますわな。  あんだけ運動すれば。運動って言っても、いかがわしい夜の運動だけど。 「京也さんってさ……」 「?」 「めちゃくちゃ可愛いよね」 「! は、はぁ? ど、どこが!」  どこがなのか……は教えてくれなかった。ただ笑って、俺を見て、そして、不覚にもドキッとしてしまった俺に目を細める。年下のくせに、なんだか、翻弄されてるのはこっちな気がして、ちょっと口がへの字になる。 「蜜柑」 「……へ?」 「あいつ、ノルマ一日五個っつってたんだっけ?」 「え、あ、うん」 「多くね?」 「……うん」  柚葉がまるで友だちにでも話しかけるようにラフな口調だ。  クスッと笑って、立ち上がると、さっき柚葉の分って分けてあげた袋の中から蜜柑を取って皮を剥き出した。少しだけ間を開けて蜜柑の皮のほのかに苦みのある爽やかな柑橘系の香りがする。 「腹、減ったけど、まだ、京也さん動けないでしょ? はい」 「え、いや、自分で剥くから」 「いいから、ほら、あーん」  あーん、って、なんだよ。バカップルか。そう思いつつ、ぶっきらぼうに言われるがまま、「あーん」をした。 「あ、美味しい……」  甘くて、みずみずしくて、口の中が満足したみたいにぎゅっと噛み締めてる。 「京也さんって、果物みたいっすよね」  あ、今度は敬語になった。 「外側だけじゃわからない感じ」 「……」 「けど、剥いて、暴いてみると、すっげぇ甘くて美味い」 「!」 「コロコロ表情変わるけど、可愛いけど、すげぇエロいところも、なんか果物っぽいし」  なんですか、それ。なんか、すごい。俺って。  俺ってさ、ちょっと、こんな照れるキャラだっけ? 今、鏡なんてなくてもわかる。きっと顔が真っ赤でしょ。ほっぺたんとこ、どうしちゃったわけ? もしやインフルですか? ってくらいに熱いもん。だから恥ずかしくて俯こうと思ったけれど、キスで阻止されてしまった。  触れて、少しだけ唇の柔らかさを確かめるように啄まれて、離れてしまう、小さな甘い、恋人とするキス。雰囲気作りのためじゃしない、甘いキス。 「ほら、果物っぽい」  それは今、蜜柑食べたからでしょ。  っていうかさ、コロコロ変わるのはそっちでしょ。タメ口で友だちみたいに話しかけられたかと思ったら、敬語で年上認識高めにされちゃったり。 「すげぇ、美味い」  けれど、君がどんな口調でも、友だちっぽくても人生の先輩を敬う系っぽくても、ドキドキしてしまうんだ。もう、おバカになってしまった。恋にふわふわぶんぶん、ぐるぐると、振り回される、おバカに。 「っつうか、俺、言うことクサくね?」  恋に振り回されてる。 「浮かれてるんで、許して?」  なんで、浮かれてるんですか? そんなに、嬉しいことでもあったんですか? それは、なんですか? 「貴方の彼氏になれて、浮かれてます」  彼氏なんて言い方若いなぁってからかってしまいたい。クサいクサいクサーい! って指差し付きでからかってしまいたい。けど、からかわないよ。 「い、いいんじゃない? クサくても、そんな柚葉のこと、す……」 「……」 「好き……なん、だから」  だって、俺も浮かれてるから。好き、なんて言葉をこんな気持ちで言ったのって、何年ぶりだっけ。 「……ねぇ、京也さん」 「な、何?」  こうして急接近されて、顔をくっつけてさ、事後になんか蜜柑食べて。豪華なディナーも素敵なホテルもない。寝心地のいいベッドでもない。ない、ない、ない、なのに。 「ノルマ、五個」 「は?」 「二人で十個、あと、九個」  君の笑顔があって、ドキドキがあって。 「ノルマ達成すんの?」 「風邪引かないよ、きっと」  そういう問題? って、言ったら君が笑って、そんで、いくら食べてもまだまだ蜜柑があって、甘酸っぱい恋が、あった。

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