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「ひねくれネコに恋の飴玉」 15 ハイド、ネック

 デスクの上に異常。 「……なし」  蜜柑の紛失。 「……なし」  その他、諸々の何かしらがどっかしらに付着。 「……なし」  あ、あと、キスマーク。 「……なし! つか、見えない!」  なので、「なし」ということで。 「……大丈夫」  そこで、キスマークが見えないようにと着て来たハイネックニットのネック部分に口元を埋めて、ひとつ深呼吸をした。 「あっつ……」  あんまり好きじゃないんだ。ハイネックって。首のところがくすぐったいし、作業の時に集中できない。だから、普段はあまり着ない。よっぽど寒い時くらいかな。それ以外はむしろ、襟首の辺りが大きく開いてるもののほうが好きなんだ。でも、それじゃ、昨夜の柚葉が付けたキスマークが丸見えになっちゃうわけで、今日は、我慢。  今日は剣斗君が来るから。  昨日の今日でさ、色々、何か、あかんことをしたとバレたら、あかんでしょ。自分の店でいけないことをしちゃったら、さすがにさ、雇い主のとしての立場がさ。従業員のいない時に男とセックスはねぇ、ダメでしょうよ。しかも、いつも作業しているデスクの上で、とかね。剣斗君って案外真面目だから、そういうの絶対に怒ると思うのよ。手芸やってることもあって、こういう何かを作るっていうことにすごく意義を持っている。俺の革製品のことだって毎回すごく目を輝かせてるからさ。そんな商品でもある作品を作っている神聖な作業台の上でいたしちゃったなんて。 「……」  あそこの台の上で昨日、彼と、した。  セックスを、した。  とても気持ち良くてびっくりした。  甘くて美味しいケーキみたいに、最後の一口まで笑顔で頬張っていたのに、その最後の一口になったら、あんなに食べたのに、まだ食べたくて、寂しい気がしてしまうような、惜しくて食べ終わりたくないとダダを捏ねてしまいたくなるような、そんな夜だった。 「ちわーっ!」 「だああああああ!」 「…………何叫んでんすか」  いや、なんでそんな元気にいきなり扉開けるんだよ。心臓飛び出たじゃん。絶対に少しだけ口から出たじゃん。むしろ、狙ってる? ねぇ、俺を脅かすのを狙ってるんでしょ。そうに決ってる。普通、大学生はそんな勢いつけて扉開けないよ。そんな勢いは真冬でも半そでハーパンの小学生だよ。寒いよね? それ絶対に寒いよね? って、思いながら見てる側こそ寒くなるような格好をした子どもだけだよ。 「あーあはは」 「……」 「あー、えっと、剣斗、君?」  何? なんでそんなじっとこっち見てるの? なんか付いてる? っていうか、付いてる? もしかして、どっかしらに昨日のが付いてる? 「あ、えっと、えっと、その」 「……めずらしいっすね」 「へ?」 「それ、ハイネック」  一瞬、剣斗君が自分の首元を指差した瞬間、飛び上がった。ざっくり厚めのニットはちゃんと首周りを隠しているはずなんだけれど、それでも見つかってしまったのかと、慌ててしまった。  剣斗君はそんな慌てた様子に気がつくことなく、いつもはそういうの着ないのに、なんて女子力高めの会話を鼻歌混じりで告げる。歌は定番のお正月ソングだ。もうクリスマスも終わって、街中はお正月に向けてその彩を変え始めていた。  気がついて、ないかな。まぁ、気がつかないよね。掃除したし、整理整頓を今日は五回もしたし、キスマークなら、隠せてるし。 「お、お正月だねぇ」 「そっすねー。あ、そだ。お店はいつまでっすか? 俺」 「あー、年末年始も受注受け付けてるけど、対応は年明け、四日からにしてるんだ。だから、帰省は気にしないで」  自営だから、休みの感覚があまりないんだ。やろうと思えば年末年始だってできる。やらないと思えば、別に。正月だからって実家に顔を出すわけでもないし。年賀状出してるから、それで挨拶はまぁ、完了でも、いいかなって。 「もう大学休みでしょ?」 「そうなんすよー、でもうちの大学、マジで鬼なんで課題がバカみてぇに出てて、今日も半日課題っすよ。だから……って、あいつおせぇな」  あいつ? 和臣?  本当に仲良しだよね。ふたりはさ。地元一緒だっけ? そしたら、帰省も一緒にするの? こっちは平気だから、勉学と恋愛に勤しんでよ。俺はお正月とかあんまり、そういうのは。 「……ちは」 「わああああああ!」  またびっくりした。今度は扉を開ける勢いは普通。静かにスッと開いたんだけど。でもその扉を開けた人物に叫んでしまった。 「……ぁ」  思わず、そんな声が出てしまった。。 「……ちは」 「……ど、うも」  そこに君が、柚葉が、いたから。  大学の課題、加工技術課題のひとつ研磨機を借りるため大学に来ていたらしい。ふたりは実習でペアを組んでいるから、ふたりで大学で頑張ってきた、その帰り道、バイトに行こうとしていた剣斗君と、それならって、柚葉がついでだからと差し入れを持って来た。 「肉まん、美味かったっすね」  今は敬語なんだ。って当たり前だけど。剣斗君がいつ戻ってくるかわからないから。 「あ、うん」 「隣、いい?」  あ、今度はタメ口。 「どうぞ」 「……叫ばれた」 「へっ! え?」 「……さっき」  今、剣斗君は裏の倉庫で在庫の確認中。年末年始で自分がいない間、俺の手間が増えてしまわないようにと、真面目だからさ。倉庫は室温管理のために締め切りにしないといけないんだ。革は温度変化に弱いから、案外そういうのちゃんとしておくんだよね、俺は。 「だ、だって、来ると思わないじゃん」 「……だって、心配だったから」 「!」  蜜柑食べて、キスして、蜜柑食べてを繰り返すこと五回。それぞれのノルマ分の蜜柑を食べてから、帰った。君は自転車で。俺は、タクシーで。その、あんまり歩けないかもだからって、セックス後で腰に力が入らないかもって、心配されて、タクシーで。君が自転車を押しても、歩きか電車。どっちにしても面倒だから、タクシーにするつもりだったんだ。だからいいっていうのに、お金、出そうとするし。そもそも歩けるし。処女じゃないんだから。 「……体調、変わりないっすか?」 「ないよ、ヘーキ」  そんな大事にしないでよ。 「ごめん」 「へ?」 「それ、ハイネック」 「!」  君の唇の痕が残ってる。あそこにも、ここにも、あんなところにまで残ってる。 「暑い? 顔、真っ赤」 「!」  柚葉が笑った。 「そ、そう! そうそう、暑くてっ!」  慣れないハイネックだから、顔が火照るんだ。 「本当に?」  その柚葉が俺の発言に首を傾げて、また笑う。 「ほ、本当だよっ」  全然、君が思っているような理由じゃないからね。けど、君としたセックスの痕が残る俺をとても、とっても大事にする君が笑うとくすぐったくてさ。赤くなってしまうんだ。 「本当に?」  別に、君が悪戯を仕掛ける子どもみたいに笑う表情にドキドキしたせいなんかじゃ。 「……」  ないんだから、ね。  それから、五分後、剣斗君の、あの勢いよく飛び込んでくるような元気の扉の開閉に、なぜか唇を濡らしていた俺は、なぜか、ハイネックニットなんていらないほどに顔を真っ赤にして茹だこみたいになっていた。

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