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「ひねくれネコに恋の飴玉」 19 職人
父は、職人だ。家の敷地に離れが作業場。そこで、木目細工の彫刻品を作ってる。朝から夜まで黙々と仕事をしている人だった。
学校から帰ってくると、アトリエからけたたましい機械音がしたり、木を打ちつけるような澄んだ音がしていた。父は家では明るくよく話す人だったから、そのアトリエの中から聞こえるかなり大きな音が似合わないなぁと、幼心に思っていた。もっと穏やかな人だったから。どんなふうに仕事をしているのか、本当に自分の父がそこにいるのか、とても不思議で、中の様子が気になって仕方なかった。けれど、覗くと叱られてしまう。機械がたくさんあって危ないから、絶対に中に入るなときつく言われていた。
作業風景を見られるのは夏の間だけ、開け放たれた窓から伺うくらいだった。エアコンの風は木の収縮に関わるからと嫌っていた。木は自然の中で育つものだから、そのまま外気と同じ温度で加工してやるのが一番しっくりくるんだと、教えてくれたことがある。
真剣に木だけを見つめる鋭い眼差しに、憧れていた。あんな職人になりたいと思っていた。
ちょうどその頃、自分がゲイだとなんとなく気がついた。友だちの話す好きな「女子」の話題に馴染めなかったんだ。ゆっくり、けれどたしかに、自分のいる場所が周りから遠のいていくのを感じていた。
そして、ある日、夏の暑い日だった。父は休憩だったんだろう。珍しくアトリエの外で汗を拭っていた。
ひとりで帰ってきた俺を見て、父は「おかえり」って笑っていた。だから、訊いたんだ。
――ひとりぼっちでお仕事、寂しくない?
そう、尋ねた。
父は、急に何を言うんだろうと目を丸くしたけれど、すぐによく知っている優しくおしゃべり好きな父の顔で笑って。
――寂しくはないよ。家族がいるからね。その家族をこの腕だけで支えてる。カッコいいだろう?
そう言って、二の腕をかまえてポーズを取ってくれた。
その姿が、とてもかっこよくて、俺は、あんなふうになりたいと、思った。
「だってぇ、あんたちっとも帰って来ないんだもん」
「……あのねぇ、忙しいって言ってるじゃん」
もう、どうしてチケット取れちゃったかな。まったく。この慌ただしいはずの年末年始にさ、とげんなりしていた。
「ちゃんと話を最後まで聞かないあんたが悪いんでしょ?」
「そういう問題?」
あんな慌てた声で、お父さんがああ、なんて言われたら誰だって気が動転するに決ってる。
「まぁいいじゃないか。皆でお正月を過ごすなんて久しぶりだなぁ」
まったく、そう溜め息を零してタクシーの外を流れる風景に視線を移す。もう面影のない場所もあれば、懐かしい昔のままの場所もある。観光地化が進んで、歩道が拡張されて、道も整備されている中にぽつんと置かれた時代遅れな古びたポスト、相変わらず誰もお客さんがいなそうな金物屋に全く読めない漢字が並ぶ漢方の専門店。
へぇ、あそこの写真館、まだあるんだ。
「あそこであんたの写真撮ったっけねぇ」
成人式、地元の奴らは大概ここで写真を撮る。俺もそうだった。そのためにこっちに戻ってきたんだっけ。それが、最後だった。
「ねぇ! あらやだ! あんた、あの写真撮った成人式以来、帰ってきてないじゃない! やだぁ、そりゃダメよぉ、そりゃ、嘘ついてでも呼び出すわよぉ」
「うんうん。もうそんなになるのかぁ」
両親もそれを思い出したらしく、ふたりで頷き合いながら、今回の騒動を肯定しようとしていた。
あの成人式の時、以来になるんだ。
帰省するの。
あの、壮介を見た日、以来になるんだ。
高校を卒業してすぐ、今いる場所じゃなく、でも県外の大学に進学した。壮介の住んでいる辺りにちょうど芸大があってそこに進路を決めた。どちらにしても父と同じ職人の道に進みたかったし、あと、壮介もいたし。進路は絶対にそこにするって決めていた。
まだ、あの時は待ってたんだっけ。
壮介が迎えに来てくれるのを。連絡をくれることを。
自分が大学入ったら忙しかったから、壮介もそうだったんだろうって、今は何をしているのかな、どうしてるかな、頑張ってるかな、なんて考えながらその背中を追いかけてるつもりになってた。ホント、夢見るナントカ、だよ。その背中を思い浮かべては、自分もそこに追いつきたいと頑張って、背伸びして。
成人式、少しは追いつけたかなって思いながら、スーツ着て写真撮って。式の後だった、皆でお祝いだと飲みに行く途中、背中を見つけた。壮介の背中を。でも、声をかけようとして、やめた。
その隣には一回り小さく華奢な男性の背中が並んでいたから。
怖くて、何もできないよ。
その人誰? なんて訊けるわけがない。待ってたんだけど? なんて、怒れるわけがない。
ただ、声をかけようと思っただけ。声は出なくて、足は動かなくて、そのまま、見送ったんだ。
どこにでもあるようなお話だ。
初恋を信じた奴と、恋愛を存分に楽しんでいる奴がいたってだけのこと。
そして、初恋を信じてた奴が泣いて、悲しんで、もう片方の奴は変わらず、恋愛を存分に楽しんでいただけのこと。
「でも、もう少し連絡寄越しなさいよねぇ」
「……」
「全く、本当に……って、あんた、ちゃんと話聞いてた? ねぇ! 聞いてなかったでしょ!」
「聞いてたよ。連絡、でしょ?」
変なこと思い出しちゃったな。だから、イヤだったんだ。ここに戻ってくるの。
「わかったってば。するから。けど、店構えてひとりで切り盛りするの大変なの、わかるじゃん。お父さんたちなら」
「だから! あんまりしつこくしないんでしょうが!」
けど、そうしつこくしないでいてくれたと思ったら、急にすごい破壊力の電話寄越されるんじゃたまったもんじゃないよ。
「でも、なんだかよかったわ」
「?」
「少し声の色艶がいいから」
「は?」
「あと、少しふっくらしたかしらね」
「はぁ? ちょ、それただ太ったってことじゃん!」
母はのん気に笑ってた。父も、楽しげに笑ってた。そして、実家に戻ると、懐かしい空気があった。
「一軒屋ってなんでああも冷えるんだろ、ホント」
『そうなんだ。こっちはすげぇあったかいよ』
「それって雪国だからじゃん! ね、玄関雪で埋もれてた?」
『埋もれてないって。っつうか、だからそこまで雪国じゃねぇから』
電話の向こうでクスクスと、低く、耳にくすぐったい声がする。
「……ちゃんと寝た?」
『あー、あんま。実家戻ったら、もうすでに正月準備でバタついてて騒がしいし、手伝いさせられるし』
ね、柚葉の声は電話越しだと低くて少しざらついた感じがするんだね。それが笑うとたまらなくセクシーで、ドキドキする。
『京也さんは? そっちはそっちであんま寝てないんじゃないの? あの後、すぐに帰ったんでしょ?』
実家に戻ってるって連絡をしたら、少しでも声が聞きたいと言われた。夜ならって時間合わせて、ちょうどその指定した時間に電話をかけると待っていたかのように、ワンコールで柚葉が出た。
――はい。
低い声が返事をして、たったそれだけの短い返事に、恋が募った。
「もう寝るよー。柚葉は?」
俺も、そう返事をするより早く、あくびが眠いんだって教えてくれた。
『早いな。俺もそろそろ寝る』
「まぁね。だって」
暇だし。そうぼやく声が重なった。ぴったりと、あまりにきれいに重なるものだから、つい笑ってしまったくらい。
でも、もう寝ないと、だよね。あんまり寝てないし、家族はもうすでに寝てしまってるし、きっと、朝も早いだろうからさ。
「おやすみ」
『……おやすみなさい』
また明日、そう言いたくて、会いたくて、なんだか切ない夜だった。
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