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「ひねくれネコに恋の飴玉」 26 父の仕事、俺の仕事
罪悪感すごいです。
「大丈夫? いつもこき使われてなぁい?」
そんな顔をしながら、柚葉が「あー、はい、あ、いえ」なんて気まずそうにうちの母に返事をして、俺はそれを横目で見ながらちょっと楽しんでたりして。
今、皆が足を突っ込んであったまっているコタツの中で、セックスしちゃいましたっていう罪悪感が、ほら、柚葉の引きつった口元にめちゃくちゃ現れてる。お母さんが座ってるそこで、なんて思ってる。
その母は、柚葉の胸中なんて知りもしないで、ニコニコとイケメンを目の保養にして楽しそうだった。
旅行っていっても年が近いわけでもない男友だちがわざわざ実家に帰省中のところを訪ねたりしないだろう。そもそもこの辺は観光地でもない普通の田舎町だから、旅行で来るには渋すぎる。世捨て人になりたいんならありえるだろうけど、大学生で、こんな少しヤンチャなこともしてましたって感じのイケメン大学生はどう考えたって、一人旅でここに来ない。
でも、正月二日目、見ず知らずの、その大学生は居間に正座していたわけで。朝、昨日の酒が残っていることもあって少し寝坊した両親はいきなり「出現」した大学生に目を丸くしていた。
「いつもお世話になってます」
「そうだよ。いつもお世話してる」
まぁ、なんて、母がかしこまっていた。
寝起き、すっぴん、大きなあくびをしていた母は目の前のイケメン大学生に大慌てで洗面所に篭もること十数分。再登場した時にはばっちりフルメイクになってた。
設定としては、柚葉はうちの会社の従業員で、急遽入った発注がすごい量でどうしたものかっていう相談。そんで、ちょっとこれは前から考えてたんだ。ただまだそこまでじゃない気がして、「いつか」程度に考えていたこと。それの視察も兼ねての訪問。恋愛事じゃないよ。お仕事のこと。
「ねぇ、父さんは?」
「あら……そういえば」
母はそこで父がいないことに気がつき、時計を見てから、やれやれ、と、まだ三が日も終わってないのに、全くって小言混じりの溜め息をついた。
「柚葉、ちょっと俺、父親の職場に顔出してくる」
「あ、じゃあ、俺も一緒に」
「あー……うん」
そうそう、従業員を伴っての視察っていう体だから。一緒に立ち上がると、母は一人分増えたお雑煮の準備にと使い込んだ台所へと向かった。
「別にそこまで演技しなくてもいいよ? 柚葉」
「……」
「っていっても、居心地良くないよね」
まだ先になる。今じゃない。それにひとりじゃできそうもない。もしもそこまで根性据えるのなら、色々が変わるから、まだ躊躇っていた。けど、今は――。
「父さん」
今は、足踏み、かな。いつか、のための助走の前の前の、そのまた前の段階。
「……なんだ、京也か……どうも。朝からバタバタで申し訳ないね」
父が柚葉を見て柔らかく笑った。そして、裁断機のメンテナンスを再開する。きっと手を切ってからそのまま正月になっちゃったしで、年末年始前の手入れが途中だったんだろう。
――京也! 入ったらダメだぞ! こっちは危ないからな!
よく言われてたっけ。ちょうど今、立っている辺りから先は入っちゃダメだった。
「……どうかしたか?」
目は離せないからさ。特に裁断機を扱ってる時は本当に指なんて簡単に吹っ飛んでしまうから。だからこそ子どもだった俺は一歩だって中には入れなかった。真剣な父の横顔を遠く窓の外から見学してた。そして、ちょっと怖かったっけ。手で材料を裁断機の刃先近くまで持っていくんだけど、夏によくテレビで放送していたホラー映画のお化けよりも、夏限定で地区の子ども会で催すお化け屋敷よりも、怖くてドキドキしてた。
「あー、うん。裁断機、便利だなぁって思って」
「……革?」
「うん、そう。切るのにいいよねぇって」
「まぁ、そうだねぇ。でも、メンテがあるからなぁ。指なんて」
――指なんて簡単に吹っ飛んじゃうんだぞ? だから、そこから先入っちゃダメだからな。痛くするぞ。
「って、まぁ、もう大人だもんな」
「……」
「裁断機は音がするからなぁ。京也の店は商店街だっただろ?」
「うん。けど、そういう音、好きだよ」
「そうかぁ? うるさかっただろう?」
うるさくなかったんだ。父がアトリエで仕事をしてる時の音はさ、リズミカルだった。ガタンゴットン、って、大きな機械の動く音は楽しげで、もしかして、中でロボットが踊りでも踊ってるんじゃないかって、思えるくらい。
職人になって、毎日、あそこの革クラフト工房からは楽しげな音がする――って、素敵かなぁとかさ。
「でも、これは旧式だからなぁ。今のはもう少しコンパクトで扱いやすいみたいだよ」
「へぇ」
「メンテも楽そうだった」
「そうなんだ」
「まぁけど値段がなぁ」
「ねー」
いつか、ね。いつか、考えてるんだ。少しずつ受注も増えてきた。剣斗君に手伝ってもらわないといけなくなってきた。いつか、手作業じゃ追いつかなくなるかもしれない。その時は裁断機とかもさ。
「お高いんだよなー」
「そうだよねー」
あったらいいなぁって、思うんだ。
「むしろ助かったぁ」
両手をぐーんと広げて、大空へと手を伸ばす。やっとこさ解放された。もう親戚の「あらぁ、京ちゃん、久しぶりぃ、んもー、全然帰って来ないんだもの」の決まり文句への愛想笑いも疲れたよ。ほっぺたの筋肉が悲鳴どころじゃない。断末魔を上げてしまうところだった。
「ありがとね。柚葉」
「帰っちゃって平気?」
「んー? いいのいいの、うちの親、母はとくに、いつでもああだから」
「可愛い人だった」
仕事が溜まってるからって、引き止めたがる母にバイバイってずっとしてた。
きっと柚葉が来なかったら、正月三が日完全包囲網だった気がする。夜には同級生たちが飲んでるだろうし。まだ実家にいるなんて知られたら、そっちにも捕獲連行されそう。
「え? 可愛いって母が?」
「京也さんに似てた」
「げー……似てる?」
「お父さんにも似てた」
「げえぇぇぇ」
クスッと笑った柚葉のコートの端が海からの風にひらりとはためく。
「やっぱ似てる」
ねぇ、寒くない? そんな軽装でさ。北国にいたから寒くないのかな。俺は寒いのがすごく苦手だからこっちの地元でも寒くて。
「久しぶりの実家はどうだった? 京也さん」
「んー……元彼がいた」
「は?」
「元彼」
「は? ちょ、なにそれ」
「柚葉は? それこそ元彼的な子とか」
「そんなんいねぇよ! そっちじゃなくて!」
慌てふためて、言葉が乱暴になってしまうくらい焦った柚葉を置いてくように、ぽーん、って大きくステップを踏んだ。
「べっつにー、どうでもよかったよ」
「……」
「ぶきっちょなんだ、俺」
「……」
「柚葉が好きだよ」
「……」
本当に不器用で下手くそ、だけど。きっと今も不器用だけど。
「ねぇ、柚葉!」
「……」
「向こう帰ったら、デートしようよ。ふっつーの、ありきたりなデート」
「……」
「しようっ」
だけど、君のことは真っ直ぐ、すごく真っ直ぐ、好きだよ。
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