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真夏のプール編 3 宿木と小鳥
「えっ? プール行かないって?」
京也さんが目を丸くしながら在庫の棚から新品の革材を引っ張り出そうとした。
それ、危ないっすよ。結構重いから、細腕の京也さんには絶対に引っ張り出したと同時に受け止めきれず下敷きになるからって慌てて手を伸ばした。
「あ、いや、違くて。最初行かないって。けどやっぱ行くって」
「どっちなのっ」
京也さんが焦れったそうに呟いてから、ぐっと力を込めて引っ張ったけど、出せなくて。
「なんなんすかね。けど、今はもうノリノリっつうか。だから、まぁ」
「そっか」
「そんで、今日、このバイト後に一緒に浮き輪とか買おうって話してて」
俺も一緒に引っ張ったけど出せなくて。逆にこれ、どうやってこんな高いとこに乗っけたんだ?
「ふーん……」
怪我させたらやべぇじゃん。俺は頑丈だけど京也さんはマジで華奢だからさ。
「ふぐっ……」
「……でも、まぁ、わかるけどね」
「?」
「……」
そこでじーっと京也さんが俺を見て。
「ふふふ、まぁね、わかるわかる。俺も、柚葉とは行きたくないかも」
「? え? あの、なんっ、つか、あの、つーかこれマジで重いんで、どいてもらった方が」
思いっきり引っ張り出した瞬間、落っことしそうな気がした。つか、なんでこんなに重くて、引っ張り出しにくいんだよ。革だからかな。日本独特の湿気を思いっきり吸い込んだ的な? とにかくこれを出して落とした瞬間、京也さんにぶつかったら大変だから、どいててもらおうと。
「っ」
思った時だった。
「俺が出すよ」
「うわぁぁぁ!」
びっくりした。突然背後から手が伸びてきて、ものすごい低音がすぐその後ろ側から呟くから、驚いて、手を離しちゃって、半分くらい引っ張り出されていた革のロールがその重さに傾いて下に落ちてくる。
「のわっ! 仰木!」
自分の頭上に落ちてくるだろって、それと仰木の突然の登場に、肩をすくめてビビった。
「……」
軽々と引っ張り出しやがって。俺も、別に、なよっちいわけじゃないのに。
けど、仰木ほどはがっしりしてなくて。背も高いし、筋肉いい感じでさ。どっかジムとか行ってそう。けど、そんな暇はあんまなさそうだし。自家製なんかな。その筋肉。ならすげぇなぁって。
いや、和臣もすげぇけど。
和臣の場合は仰木みたいな目に見えて、っていう感じじゃなくて、普段、服着てるとすらっとしてるんだ。多分身長のせいかな。背高いから。けど脱ぐと、しっかり筋肉ある感じで。力も強いし。俺のこと軽々抱き上げられるし。男だぞ? それこそ京也さんみたいに細いわけでもないし、折れそうなくらいなわけでもないのに。軽々抱き上げて。
――剣斗。
って、違っ!
こら、俺、今、あらぬことを思い出すなよ。バイト先だぞ、今。
「こんな高いとこ、置いておいたら危ないだろ。それに出すなら俺がやるから」
「在庫出したいからお店来て、なんて言えるわけないじゃん。柚葉にだって用事あるでしょ」
「ないよ」
ぶっとい革のロールを脇に抱え、そのまま京也さんがいつも作業をするデスクの上にドスンと重たい音を立てて置くと、ふっ、って溜め息を一つ溢した。
「京也に呼ばれる以上に大事な用事なんてない」
「! は、はい? あのねぇ」
「あとは? 他の在庫は?」
「もぉ、平気ですっ」
「……」
そうか、と無言で答えた。
それからちょっとした調理くらいはできる簡易の小さなキッチンへ行き、コーヒーを作り始めた。
多分、コーヒーは京也さんのため。製作始めると集中しすぎてさ、休憩とかマジで取らない人だから。ぶっ通しで立ったまま作業続けたりする。こんなに華奢なのにどこにそんな体力っつーか、根性あるんだろって思うくらい。作ってる時のこの人はスーパーマン。
だから、その前に先に休憩を取る感じ。
「剣斗も」
「あ、おー、ありがと」
ついでに俺にも淹れてくれたコーヒーを飲もうと、カウンターテーブルに置いてある椅子に腰を下ろした。
京也さんは基本よく喋る。バイトで来てる間、永遠喋ってる感じ。仰木はほぼ無言。何も言わず、京也さんの少し後ろでじっと眺めてる忠犬。
「……」
そんで、そんな忠犬仰木がいる間の京也さんは少しだけ口数が減る。
なんつーか。
あれだ。
それまで飯作って、部屋片付けてって忙しくしててさ。忙しい忙しい、あぁ、忙しいってなって、風呂入ったって、髪洗うの忙しい、顔洗うの忙しい、身体洗うの……って、ぜーんぶ忙しくて慌ただしくて。けど、湯船に浸かった瞬間、溜め息が溢れて、「忙しい」がストップする。
それに似てる。
仰木がそばにきたら、落ち着く、んだろーな。
一人で革製品の店やって自立して、すげぇ人だなって思う。
仰木はそんなすげぇ人が、コツンって、頭くっつけて寄りかかれる木って感じ。
「……それで?」
「?」
そんな無言忠犬で、よりどころの木がポツリと喋った。
「俺とじゃ行きたくない場所って、どこ?」
「!」
そんなよりどころは静かすぎて、いつからいたんだろ。どっから俺と京谷さんの話、聞いてたんだろ。
「そ、それはっ」
その質問に、せっかく落ち着いて、休憩していたはずの京谷さんが慌ててる。まるで木に留まったけれど、突然の突風に葉っぱが揺れて、大慌てしている小鳥みたいに。
「……どこ?」
「え、えーっと」
その様子がすげぇおかしくて。
すげぇ可愛くて。
「っぷはっ」
俺は思わず笑いながら、京也さんのために仰木が作った、このあと仕事にぎゅっと集中できそうな濃くて苦いコーヒーをぐびっと飲んだ。
「そんじゃー、お疲れ様でしたぁ」
「あ、うん。剣斗くんお疲れ様」
ちょうどよく仕事を切り上げられた。つーか、今日は三十分前からちょっと時間と仕事のタイミングとか計りながらやってたから。
「今日これからプールの支度デートなんだっけ」
「うっす」
「気をつけてね」
ひらりと綺麗な白い指を踊らせた京也さんの後ろで仰木がちょっとだけ口元を緩めて、無言の「それじゃあな」の挨拶をした。二人にぺこりと頭を下げてお店を出ようと。
「あ、剣斗くん」
「?」
ひらひらと今度はその白い指をはためかせて俺を呼びつけて。
「多分、和臣はきっとプールめちゃくちゃ楽しみなんだと思うよ」
そう呟いて、ウインクをしてた。
俺の「本当に?」っていう疑問の表情とは真逆、パッと華やかで、パッと明るい、太陽みたいな笑顔だった。
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