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第5話 笑うけど、笑わない。可愛いけど、可愛くない

 ――そしたら、この後、夜、十一時に駅前集合な。そっから、バス出てるから。  今日のレッスンも無事終了。帰り間際に和臣から今夜の初詣のことを言われた。  今はその約束した時間の十分前。今夜は冷えるって言ってたっけ。ホント、クソさみぃ。グレーのファー付きダウンコートのポケットに手を突っ込んで肩を縮めて、空を見上げた。ほら、息を吐くと真っ白だ。ほらほら、すげぇ、真っ白。 「何、上向いて口開けてんの?」 「っ!」  あまりに真っ白だから、息吐きまくって、辺りを真っ白にしてた。そんなところを和臣に見られてた。黒のファーなしダウンジャケットに黒のパンツが引き締まった印象で、普通に、カッコいい。そんな外バージョンの和臣をやたらと観察しそうで、目を伏せ、ずっと気になってる前髪を手でくしゃくしゃにした。  落ち着かなかったんだ。初詣を和臣と行くっていうのも、あと――。 「髪、オールバックしてこなかったんだ」  髪をおろして外に出ることに。 「……わ、忘れた」 「……ふーん」  ウソをついたのを見破らせそうで、またそっぽを向いた。外に出る時は大概セットしてるから、でこを、こんなふうに隠してることが逆に変な感じがする。 「ほ、ほら、早く行こうぜ。バス、すげぇ並んでる」  変な感じ、落ち着かない。そんで、和臣に外で会うことに、ちょっとだけドキドキしてる。  バスは数分おきにやってきてた。料金は一律で途中下車不可の特別便。だから並んでる人の数はけっこうあったけど、はけていくのも早くて、一時間も待たずにバスに乗ることができた。できたけど、乗員可能人数ギリギリまで乗っけるもんだから、真冬で着膨れてることもあって、中はすし詰め状態。 「あっちぃ……」  きっとどこに掴まっていなくてもこれなら多少揺れたって転びはしないだろ。っていうか、転がるような隙間すらねぇ。 「大丈夫? 剣斗」 「あー、うん、ダイジョー、ッブ!」  ちょうどそこでバスが信号を曲がって、どこにも掴まってなかった、掴まるような場所がなかった俺は、人の壁に思いっきり寄りかかられて、押し潰されそうになる。元から酸素が薄い気がする車内で、人の熱気にのぼせそうで、少しクラクラしてたんだ。苦しくて、暑くて、息ができなくて。 「ほら、こっち」  曲がるバスの傾き分、全部が俺に圧し掛かってくるような苦しさが一瞬で消えた。 「少し、楽になった?」 「……」  和臣が腕を引っ張って、バスの真ん中でどうにも動けずそのままぺちゃんこになる寸前だった俺を助けてくれた。 「わ、わりい」  すげぇ、全然余裕になった。息できるし、苦しくないし、少し暑さも和らいだかなって。 「どういたしまして」  見上げると頭上からの照明を受けて翳った表情の和臣とバチッと音がしそうなほど目が合った。両手を盾のようにして俺を守ってくれてる 「っていうか、なんで、そんな一番きっつくなる真ん中にいたのよ」 「知らねぇよ。気がついたら、そうだったんだ」 「不器用か」 「うっせぇな」  車内の熱気に曇ってきてる硝子窓の向こうは冷えた空気で涼しそうだ。暑さ和らいだと思ったけど、なんかまだのぼせそう。 「指先器用なのに」 「うっせ」  全然だった。まだ、全然暑い。 「剣斗、暑い? 顔、真っ赤。あとちょい、辛抱な」 「……」  そう言って、少し俺のほうに身体を寄せるから、距離が縮まって、近くて、また狭くなった。きつくて、息がしにくくて、暑くて、今度は心臓がドキドキしていた。 「っぷはああ!」  深夜の十二時ちょっと前、冷え切った空気すら、バスを降りたばかりの俺たちには心地良かった。 「あっつ」 「すごかったな。さすがに」 「うん」  まだ暑くて、ほっぺたんとこを触るとすごい熱。ダウンコートの中もあっつくて、思わずチャックを開けて、パタパタとニットを仰ぐくらい。 「ふぅ……寒いっつうからニット着てきたけど、これなら、逆に汗で……」 「……」  汗かいて風邪引きそうって言おうと思った。でも、いきなり頭を撫でられて、指が、髪の隙間に差し込まれたから、言おうとしたこと全部が吹っ飛ぶ。何? ってびっくりして、フリーズした。 「ぁ、和臣?」 「汗、かいてるかなって」 「……ぁ、あの」  指が優しく頭を撫でる。髪の上からじゃなくて、頭皮んとこを撫でられて、なんか、息がまたできない。ついさっき解放されたはずなのに、なんでか、まだ満員のバスの中にいるみたいに身体がぎゅっと固まって、肺のところが苦しくて、ほら、顔だってまた熱い。 「……っぷ」 「なっ! なんだよっ! 笑って、ちょっと、髪ボサボサにすんじゃねぇよっ!」  頭を優しく撫でてた手が洗髪でもするみたいに、わしゃわしゃとワックスも何もつけてない洗いざらしの髪を掻き乱した。これ、ワックスつけて、がっつりセットしてあったら、マジでキレる。ぐちゃぐちゃにすんじゃねぇよって、怒鳴りたいけど。 「だって、お前、可愛いんだもん」 「はっ? はぁぁぁっ?」  和臣相手じゃ怒鳴れないかも。 「白い息吐いてみたり、満員のバスで流されるし、顔真っ赤だし」  肺のとこがくすぐったくて、落ち着かないし、それに。 「変なところで不器用だし」  それに、髪をこんなふうにボサボサにされるのも、笑われるのも、たぶん、他の誰にされてもムカついてた。腹が立ってた。けど、俺は腹を立てるどころか、ただ慌てるばっかで。顔面はずっと熱いまんまだし。 「普通に、可愛いだろ」 「バ、バカじゃねぇの」  反論できてこの程度、理由は、簡単だ。 「ほら、迷子になるなよ」 「なるかよっ!」 「や、なりそうだから言ってんだわ」  和臣は笑わないから。今、「っぷ」って笑ったけど、でも、笑わないから。手芸してるヤンキーで、器用なはずなのに不器用な俺をそのまま笑ってくれるから、からかうけど、からかわないでくれるから。日本語変だけどさ。それが嬉しかったんだ。

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