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第7話 こってりこっくり優しい甘酒

 悲しそうな、寂しそうな顔をした。俺の知ってる和臣はそういうのじゃねぇから。 「剣斗?」 「こっち!」  だから、今度は俺が和臣の手を掴んで引っ張る。 「お、おい!」  びっくり、したじゃんか。何、この冷え切った指、手。まるで氷じゃん。ったく、こんなに手を冷たくしてたら楽しいもんも楽しくなくなるだろ? かじかんで辛いじゃんか。 「こっち! 超、レアスポット!」 「は?」  俺は氷みたいに冷たくなった和臣の手を引っ張って、境内の中をズンズンと歩いていく。こっちにこっそりあるんだよ。お守り売り場におみくじ売り場、そんでおみくじを括り付ける場所があって、ほら。 「甘酒無料で飲み放題!」 「……」 「あったまるだろ?」 「……お一人様一杯までって書いてるけど?」 「え? マジで?」  慌てて、和臣が指差した方を見ると墨で書かれた綺麗な字に、「一杯」のところだけは、見落とすことのないよう朱色で注意書きがされてあった。  おかしいな。昔、親父と来た時は飲み放題だったんだけど。そんで、飲み放題だからすげぇ飲みまくってたんだけど。 「それ、飲み放題って書いてあった?」 「……あっ…………書いて、は、ねぇ、かな」  や、でもさ、巫女さんがにこやかに「どうぞ」って言ってくれたし、いくら飲んでも笑ってたし。一人一杯とか書いてなかったし。 「……っぷ、あはははは。何やってんの? 品川親子。そのせいでデカデカとあれ、書いてあるんでしょ」  あ、笑った。 「だだだ、だって!」  和臣が、笑ってくれた。  もうさっきの悲しそうな和臣はどこかにいって、いつもの和臣だ。たったふたつ歳が違うだけなのに、俺のことをガキ扱いしやがる、能天気そうな和臣。 「っていうか、俺、あっちのビールもらおうかな」 「え? こんの、さっむい中でかよ」 「大人ですから。なんちゃって、ウソ。俺も甘酒もらう。剣斗と同じ甘酒」 「飲めばいいじゃんか。のんべぇ」  また笑って、首を横に振ってから、俺の頭にポンポンって手を乗っけた。その手だけで、俺は充分あったかくなる。けど、せっかく無料だし。和臣と甘酒飲みたかったんだ。 「甘酒がいい」 「……」 「あ、剣斗、あれも食おうか。肉まん」 「お、おぉ」 「オッケー。ここで待ってろよ。動くなよ」  俺は小学生のガキかよ。そう思うけど、何も言わずに、ちゃんとそこで待ってた。くすぐったかったんだ。心配されたことにも、和臣も甘酒を一緒に飲んでくれることにも、肉まんも、なんもかんも。和臣がくれるもの全部がくすぐったくて、なんかめちゃくちゃ喜んでるみたいに、笑った顔のままだった。 「ほら、ヤケドするなよ」 「おぉ」  大事に。大事に飲んだ。とろりとした甘酒はこってりとした甘みがあって、湯気さえもあったかくて甘くて、優しかった。肉まんも美味くてさ。  ふたりで端の石が積みあがってるちょっとした段差のところに腰を下ろして、話していると、あっちこっちに白い息が広がった。鼻のてっぺんを赤くしながら、肉まんを頬張って、俺は、あの同級生の女のことも、ずっと帰省してなかったことも、何も聞かなかった。俺といる時に楽しそうに笑ってくれたから、俺のことをからかう時も笑ってたから、だから何も言わず「うっせぇな」って言って笑っていた。  帰りのバスは行きに比べたらマシで、そこまでぎゅうぎゅうにならずに駅まで行くことができた。バスを降りた瞬間、なんか急に寒さがひどくなった気がする。肩をぎゅっと縮めて、ダウンのポケットに手を突っ込んでても、それでも寒くて仕方がない。神社の辺りをうろついてた時はこんなに寒くなかったのに。  駅にある時計を見ると深夜の二時だ。時間を気にしなかったから、お参りの途中で聞こえた除夜の鐘でなんとなく把握したっきりだったけど……もう、そんな時間なのか。 「うちまで送るよ」 「い、いいって」  何、そのイケメン対応。慌てて遠慮した。 「でも、そうもいかないだろ。夜中の二時だぞ」 「は、はぁ? お前、男子中学生じゃねぇんだぞ」 「そういう問題じゃない。俺が心配なんだよ」 「……そっ、そういうの過保護っつうんだかんな」  なんて返したらいいのかわからなくて絞り出した文句に、和臣が笑って、おお、よく知ってるなって、バカにしてる。だから、逆にバーカって連呼して、肩に、背中に、体当たりしてやった。 「ほら、ちゃんと前見て歩けよ」 「バーカ」  モテ……るんだろうな。この外見でさ、こんなふうに家まで送ったり、満員のバスの中でバリア作ってくれたり。大学で、すげぇモテてるんだろうな。  あの女がずっと帰省しなかったって言ってたのだって、向こうで、大学のほうで彼女とかがいたからかもしれない。いや、これで彼女いないとかねぇだろ。飲み会とかですげぇ誘われてそうじゃん。女受け良いだろうな。きっと、大学戻ったら――。 「……」  和臣は、大学、戻るんだった。  あと数日で向こうに帰るんだった。 「あ、あの」 「あのさ」  言葉を切り出したのはほぼ同時だった。二人の声が重なって、二人してお互いの顔を見て、ぽかんとした。重なった言葉の続きを譲ったのは俺だった。「なんだよ」ってぶっきらぼうに言って、帰り道をトボトボ歩く。 「きっと受かるよ」 「……あぁ」 「神様に頼んでおいたから」 「……あぁ」  ゆっくり歩いてんのに、あと少しで家に着いちまう。もう少し駅から遠い家だったらよかったのに。田舎のくせに、なんでうちは、歩いて十五分しかねぇんだよ。三十分くらいのとこに家建てろよ。そのほうが安いだろ。もっとゆっくり歩きたいと思いながら俯いて、和臣のアドバイスに頷いた。  少し間を開けて返事をしたからって、別に時間が延びるわけでも、距離が伸びるわけでもないのに、それでも、楽しいことをまだ続けたいガキみたいに、どうか、って願ってる。 「あ、そうだ。お父さんたちってまだ起きてる?」  願っても、タイムリミットが来てしまった。たぶん、起きてる。まだ夜中の二時なら、余裕で起きてると思う。元旦は店も閉まってるから、夜更かししてるはずだ。 「もしかして、天狗峠に走りに」 「いってねぇよ! あの年のじじいが言ってたらアホだろ」 「ありえそうじゃん。剣斗の親なら」 「どういう意味だよ!」  もう一回どついて、そんでまだ――。 「新年の挨拶しないと」 「……」  玄関を開けると、お袋が顔を出した。そして、和臣を見つけて、親父も連れ立って玄関先まで出迎える。 「すみません。夜分に。明けましておめでとうございます」  そんな大人の挨拶を聞きながら、俯いて、足元を見つめていた。親父たちが俺の様子を聞いて、それに丁寧に答える和臣の言葉だけを必死に耳が追いかける。真面目に頑張ってますよって褒められて、くすぐったくて笑いそうになるから俯いたまま顔は上げなかった。ただ声だけ聞いていた。 「俺は、三が日終わったら、向こうに帰るので」  和臣の声だけを追いかけてたから。 「今日は休みにして、あと残り二日、しっかり教えます」  笑顔でそれを言ってるのかわからなかったけど、でも、俺は、それを聞きながら驚いていた。和臣に教われるのがあと二日って聞いて、寂しいと感じる自分に、驚いていた。

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