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第8話 マイティーチャー
あと少しで今日の授業が終わっちまう。
「ふわぁ……」
そしたら、もうラストの一回しかない。
「教える側が大あくびしてんじゃねぇよ」
「あはは。剣斗って、案外真面目だよな」
「うっせぇ」
眠くなんかない。居眠りなんてしたくない。だって残り一回だぞ? そしたら、お前は帰っちまうじゃねぇか。大学戻っちまうだろ。追っかければいいけど、でも、まだ一月で、必死こいて勉強して、そんで、入れたとしたって四月だろ? その間、ほぼ丸ごと三ヶ月もあんだぞ。
その三ヶ月がやたらともどかしい。
そして、すげぇ、邪魔で仕方ない。
昨日は元旦で、親戚が集まってワイワイガヤガヤ、元ヤンキーの酔っ払いが騒ぐ中でずっと考えた。酒も飲めない未成年の俺は酒も飲める和臣が大学でどんなふうなんだろうって。
そして考えれば考えるほど、俺の知らない和臣がそこにいるように感じられて、モヤってした。そんな俺に親戚のおじちゃんは今日はえらく不機嫌そうだなって言って、また酒をグビッと飲む。
だって、つまんなかったんだ。
和臣に会いたいのに、元旦はそれができないから、つまんなくて仕方なかった。
「そういや、最近、新作アップしてないな」
「……手芸? 受験に集中しないとだろ?」
酔っ払いに絡まれるのもいつもなら楽しいのに、今年はテンションが下がる一方だから、部屋に戻って手芸でもして気分転換しようかと思ったよ。いつもなら、縫い仕事とかに没頭できるのに、昨日は手が止まりがちだった。集中できなくて、何度か指に針を刺したくらい。
痛くて、チクチクして、テンションは更に下がるばっかだったから、やめておいた。こんなのめったにないことなのに。何があったって、どんな時だって手芸だけはやたらと楽しくて仕方なかったのに。
「まぁ、そうだけど。昨日は元旦でレッスンなかったし、息抜きに何かアップするかなって思った。けど、なんも上げないから、ちょっと心配だった」
心配してくれんの? 俺のツイッターのページ見てくれてた?
「すげぇじゃん。剣斗、全問正解。これもあってる。一番ひねくれた出し方したのにな」
「そんくらいわかるっつうの」
和臣特製の小テストで満点取れた。ただそれだけのことで声が弾んだ。
和臣が素直すぎんだろ。ちっともひねくれてねぇじゃん。すげぇ簡単だった。だから、全問解けた。
問題は解けるのに、ひとつどうしても解けない問いがあるんだ。
「やればできんじゃん。ほら、花マル付けてやったぞ」
俺の家庭教師なんだろ?
「すげぇすげぇ、これなら安心だな」
「……」
安心って、何が? 大学合格できそう? そしたら、和臣にまた会える?
「おし、そしたら、明日、もう一回テストな」
「テスト?」
「そ、本気でがっつり作るわ。過去問漁って」
なんで、こんなに会いたいんだろ。なんで、和臣のことばっか考えてるんだろ。和臣が作ってくれた小テストは答えが出せるのに、これだけわかんねぇ。
ダチみたいなのとも違うんだ。ダチ相手にこんなに会いたいって強く思わない。つまんねぇから、遊ぼうぜ、はあるけど、会えないからつまらないと思ったことはない。
ダチじゃない。やってることは勉強と休憩時間の他愛な会話くらいなもんなのに。カラオケもゲームも漫画も何もないのに、なんで、こんなに和臣に会いたいのか、その答えがわからない。
なぁ、家庭教師なんだろ?
なら、教えてくれよ。
「よし、そんじゃあ、また明日な」
「……あぁ、明日で終わり、だろ?」
「そうだな」
今度は胸がチクリと痛む。
明日で和臣とは会えなくなることに、つまらないとか、悲しいとかじゃなくて、切ないって思った。鞄を持って立ち上がる和臣を見ながら、なんか、引き止めたい衝動に駆られる。
相手はふたつ歳上の先輩ってだけだったのに。
「うわ、さみっ。っつうか、見送りとかいいよ。風邪引いたら冗談になんねぇから。早くうちに入りな」
「へーき、若いから」
ただの家庭教師なのに。
「あっそ。にしても寒いな。明日雪って言ってたけど、本当に雪降りそうだな」
分厚い雲に覆われた冬空を和臣が見上げて、ぼそっと呟いた拍子にほわほわと白い息が辺りに広がる。俺はそれを眺めてた。アッシュカラーに染めてある和臣の髪が北風に晒されて、ちょっと揺れると寒そうに肩を竦める。その様子をチラチラ見ていた。
「ほら、もういいから」
「!」
笑って、そして、頭を撫でられた。洗ったまんまの、ワックスも何も付けず、そのままにしてある金髪をそっと撫でられる。
「部屋入れよ」
そっと触れてくる指先に、声が出なかった。わかったよ、って返事をしようと思ったのに何も言えなかった。ガキ扱いしてるだけなんだってわかってるけど、それでも和臣の手が心地良くてじっとしてしまう。心なしか首がそっちに傾く感じ。
「それじゃあな」
「……あぁ、そんじゃあ」
その背中を見送ろうと思ったけど、途中で、和臣が振り返って、手をひらひらさせた。今度は和臣が肩を竦めて腕を自分の手でさすって、それから、もう一回、手をひらひら。たぶん、あれは、寒いから部屋に早く入れって言いたいんだろ。
俺にはわかるけど、傍から見たら、それひとり踊り出したわけわかんねぇ人みたいになってるからな。ちょっとだけ可笑しくて笑ってから、不審者扱いされないようにと、うちへと帰った。
「あ、来てたのか? 畠さんとこの」
玄関を開けたら、ちょうど、親父がいた。
「あぁ」
「そうか。どうだ? なんかすげぇ、ちゃんとやってるみたいだな。なんなら、明日が終わったら、本当に家庭教師とか」
「いらねぇ」
即答した。
俺の家庭教師はひとりだけ。だから和臣以外はいらない。
「自分で勉強できっから」
「……」
「だから、カテキョはいらねぇ」
そう突っぱねて、部屋に戻る。そして、部屋の扉に背を預けながらズルズルと下がりその場に座り込んで目を閉じる。
あいつの手の感触を思い出すように手を自分の頭の上に乗せた。
家庭教師なら、教えてくれよ。
あんたに頭を撫でられると、なんでこんなに嬉しくなるのか。なんで、明日がラストだってことを名残惜しいと思うのか、その理由を俺に教えてくれ。
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