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第10話 おかめ
「好き」
その一言を言わせてもらえなかった。
最後の授業、俺が欲しいとねだった手に触れられて、とろけるような心地――どころか本当にとろけて、チョコレートが溶けて中心にあったものが姿を表すように出てきた「好き」を言わせてはくれなかった。
間違いかもしれないだろ?
自分の趣味を否定しないでいてくれたことが嬉しくてほだされたんだろ?
あいつ男だぞ? なぁ、男だぞ。
自分の趣味を認めてくれたからって、そんなことだけで好きになるなんて、どうせ一時のことだ。ちょっと楽しかったから、ちょっとうれしかったから、ちょっと好きになった。ただそれだけだろ。そんなちょっとでできた好きなんて、簡単に消える。
「建築、建築……っと」
消える、わけねぇだろうが。ばああか。舐めんじゃねぇぞ。
「んだよ、俺の学科から一番遠いじゃねぇかよ」
どうせ高校生のガキがホロホロほだされてそんな雰囲気になっただけって思うだろうから、ほら、大学生になったぞ、オラ。
今だけの、気の迷いだと思ってんだろ? たったの一週間、そんな短期間で好きだなんて、そんなの気の迷いだとでも思うんだろ。その気の迷いで、お前が帰った後、必死こいて勉強ひとりでして合格したぞ。一月のさっみぃ季節から、春爛漫、桜満開……っつうか、もうこっちだと散りかけなんだな。そんな丸ごと三ヶ月の間、ずっと、マジでずっと。
好きだった。
その好きを舐めんな。
一時のことで、こんな。
「和臣ぃ、生産科になんか用事って、なんだったわけ?」
こんな、胸んとこが苦しくなんてならない。
会えるって思っただけで、胸いっぱいで、なかなか眠れなかったなんてこと、ねぇよ。会いたくて、会いたくて、和臣のことをずっと思い出してた。笑った顔を、甘酒飲んだ時の和臣を、ご褒美のあの手を、何度も何度も頭の中で、繰り返し思い出していた。
「……和臣」
「……」
目を丸くしてた。
俺が合格したことにびっくりした? それとも、合格して、入学して、入学式の翌日の朝一にこんなふうに会いに来られて……イヤ、だった? 金髪オールバックの時代錯誤な感じに引いた?
女連れのとこ、キャラが違いすぎる奴と知り合いって見られたくなかった?
「入れた」
大学に。
そんで、お前に「好き」って言いにきた。
親の仕事を継ぐためにここを選んだけど、ぶっちゃけちまえば、ここで勉強しないと仕事継げないわけじゃない。でもここがよかった。どうしてもここに受かりたかった。だから必死こいて勉強した。
「和臣のおかげだ。ありがと」
合格したのは告白するためだ。
「そんじゃ」
けど、俺は俯いて、その場を後にした。
本当は、会えたら、少しだけ時間もらってあの雪の日に言えなかったことを言いたかったんだ。それと、ありがとうって。和臣に勉強教わって入れた。そっちの親父さんからもう言伝されてるかもしんねぇけど、親父たちもすげぇありがたがってる。マジで感謝してる。
――ありがと。それと、好き、です。
そう言いたかったんだ。合格したってわかってからずっと言おうと思ってた。頭ん中で何度も何度も、繰り返し練習して、寝言でもその台詞を言いそうなくらい。
言えれば、それでよかったんだ。あの日、止められたから、そこでなんか色々止まっちまっててさ。同じ男の俺にそんなの言われても、和臣は迷惑かもしんねぇけど。いや、迷惑だろうけど、でも、言わないと俺も消化できないから。だから、とりあえず言わせて欲しかったんだ。
言えたら、それでよかったんだ。
その「好き」を言った後に何かもらえるなんて、ひとつも期待してなかった。本当だ。けど女連れ、とかさ……朝一で、そこまで心の準備はしてなかったから、瀕死の重症レベルの攻撃に、逃げた。
息もできないくらいに重い一発を腹に食らって、何かをもらえるとか期待なんてしてなかったけど、それでも。
「……クソッ」
それでも、もう少し、なんか、柔らかめでお願いしたかった。
本当に、授業がギュウギュウ詰めなんだな。朝一で「和臣女連れ」っていう重いボディブローを食らった俺には入学式翌日からこの授業はけっこう堪える。
チャイムがなってようやく昼飯だけど、あとまだ午後もあるとか……疲れた。はぁ、とクソ重たい溜め息をひとつ吐いてから、学食に向かう足も、重たい。
「……」
いんのかな。学食行ったら、和臣の奴が女連れて食いに来てんのかな。っつうか、あれ、彼女? 化粧すごくね? ほっぺた真っ赤じゃね? あと、唇も真っ赤すぎじゃね? そんで肌白すぎじゃね? おかめかよ。
和臣の彼女、おかめ。
あれが。あのぬいぐるみくれた女? 似合わねー、裁縫とかすげぇできなさそう。っつうか、あれが手作りだとは思ってねぇけど。
「……?」
あれ? でも、あのおかめが彼女なら、なんであのおかめ女に直してもらわなかったんだ? あんな朝一からベタベタしてんだから、穴直してくれって頼んだらいいのに。
「おい、言い逃げ野郎」
「!」
頭にポンと置かれた手に飛び上がった。心臓が口から飛び出て、宇宙の彼方へ飛んでいくかと思った。
「ったく、いきなり現れて、不貞腐れた顔して、逃げるなよ」
「っか!」
和臣だ。
「お前が受かったのは知ってたよ。親父から聞いてる。すげぇ感謝されたぞって。すげぇ高そうなバームクーヘンもらったから、剣斗にお礼言っとけ、って」
「……ぇ」
「美味かったって。俺、一口も食ってねぇけどな」
和臣がいる。隣に。そんで、俺の、ワックスでがっつりセットした頭をポンポンって、した。
「ぁ……」
小さく声を上げると、俺を見て、苦笑いを一つ零した。イヤ、だったんじゃねぇのかよ。おかめ女に、キャラ違いすぎる後輩がいるって知られなくなかったんじゃなかったのかよ。
「俺も、バームクーヘン、食ってねぇ」
「っぷ、お前、とりあえずの一言がそこ?」
「んなっ! いいだろ!」
声をかけてくれた。建築科のある棟から、俺のいる生産科の棟は一番離れてて、建築科のある棟は一番、学食んとこに近い。だから、ここに和臣がいたら、すげぇ遠回りなのに。それなのに、今、ここにいる。
「いっつも、セットしてない髪だったから、なんか変な感じ」
「……」
「すげぇ固めてるんだな」
だって、じゃねぇと髪が垂れてくんだろ。オールバックがもたない。
「ほら、剣斗、学食」
「あ」
「学食のオムライスめちゃくちゃ激安で美味いんだ。あ、もしかして、弁当? 剣斗なら作りそうだもんな」
「いや、学食……って、そうじゃなくて、あ、あのっ」
言いたいことがあったんだ。それを朝一で言おうと思ってた。
「和臣っ!」
言った後、何かもらえるなんて、これっぽっちも思ってなかった。そんなの期待してなかった。いいんだ。あの時、言いたかったことを言わせてもらえればそれだけでよかったんだ。何もお返しがもらえるなんて。
「ほら、これやる」
「え?」
「オムライスの食券、さっき、そっこうで取ってきた。それあれば、とりあえず、食いっぱぐれないだろ」
何ももらえるなんて。
「お前、顔真っ赤」
「えっ?」
「ほっぺたも真っ赤」
「んなっ!」
何ももらえるなんて思ってなかった掌に押し込まれたオムライスの食券。話しかけてくれたこと。一緒に昼飯食ってくれること。なんか色々が嬉しくて。嬉しすぎて。
「ほら! 早く行くぞ」
「っつか、俺こそ、おかめかよ」
「は?」
なんでもない、そう首を横に振って、おかめみたいに真っ赤になっているかもしれないほっぺたをどうにか冷やそうと手の甲を押し当てた。
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