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第63話
少し時間が経つと、外からの歓声が聞こえなくなった。
「落ち着いてきたか?」
俺がそう言って、トイレの鍵を外そうとした時。
「ね、幸。トイレって懐かしくない?」
風早がニヤニヤとあの企んだ悪戯な笑みを浮かべて言った。嫌な予感がして、すぐさま後ずさるがトイレの個室じゃたかが知れている。
つぅ、と流れる汗が背中を伝った。
「懐かしく、ないだろ・・・。毎日行ってるし・・・」
前にトイレで何があったかなんて知らないふり、忘れたふり。とぼけてみせると、風早はより口角を上げた。
「幸はなんともないんだ?」
「なんともって、なんだよ・・・」
「思い出さない?」
忘れてしまいたいあの記憶。姉ちゃんにバレてしまったあの時から俺の人生が狂い始めた。いや、もしかしたら六年前痴漢にあったあの時から俺の人生は狂っていたのかもしれない。
「なんにも・・・」
少しずつ風早が近づいてくる。顔をふい、とそらすと顎を掴まれた。離せ、と掴まれた手を振り払おうとすると今度は腕も掴まれた。
そのままトイレの壁に張り付けられて、唇を塞がれた。
「なっ、にしやがっ・・・ぅっ」
「俺、トイレに感謝してるんだよ。幸に会えたから」
至近距離でそう呟かれるともう恥ずかしくって仕方がない。絞り出した声でそうだな、と返すと風早はまたニッコリと微笑んだ。
「だから、記念に、ね?」
気づけば先ほどまで顎を掴んでいた手が俺のシャツに入り込もうとしている。
「きっ、記念ってなんだよっ」
「俺と幸が出会えたことに、だよ」
他人が言えば軽く聞こえるその口調も、風早が言えば違うように感じる。
ゴクリと息を飲むとまた深く口付けられた。
「んっ、・・・」
耳を塞ぎたくなるような水音が個室に鳴り響く。トイレの外まで聞こえていたらどうしよう。
刹那、両方の耳を風早に塞がれた。ちゅぷちゅぷとやらしい音が耳により反響して聞こえてきて慌ててやめてくれと抗議する。
「もっ、はずかしっ・・・」
「幸、静かに・・・誰か来た」
片方の耳だけ手を外してくれた風早が耳元でそう小さく呟く。俺はすぐに背筋を凍らせ、また汗をたらりと流した。
「すごいですね、人・・・」
「栗原、だっけ?あいつが来てるんだろ」
「え、栗原って栗原守ですか?あの俳優の?」
「・・・そう。小日向ってやつにぶつかった張本人だ」
聞いたことある声だ、と思った。
思わず、風早を見つめると風早は困ったように頷く。
「海って人と・・・幸の後輩ちゃんだね」
「な、なんで」
「あの二人も付き合ってたりして」
「え、ないだろ・・・」
はっきりとそう答えてから俺は思案する。海に告白された時のあの様子。真面目な海があんな冗談を言うわけもない。ゲイだったなんて初めて知ったが、俺だって今ゲイみたいなもんだ。だったら海が樹と付き合っている可能性もあり得なくはない。
樹だって、海には異様に懐いている。一番に差し入れを持っていくのは海の元へだし・・・。
そう考えていくうちに、風早の予想が当たっているような気がして来た。
「ね?ありえるでしょ?」
「んー・・・、まぁ三パーセントくらい・・・」
「今出てったらどんな顔されるかな?」
「は?絶対やだ!」
「じゃぁ今ここ触ったらどうなるかな?」
風早がゴソゴソと手を動かし出した。
俺はもう冷や汗にまみれそうだった。
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