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第106話
それから部屋の中は少し気まずい雰囲気になった。ただ俺が何も話さなかっただけなんだけれ
ど。風早は俺の気持ちが落ち着くまでそばで待っていてくれた。
「いけそう?」
時計の針は四時を指している。そろそろお婆ちゃんの部屋に向かっても良い頃かもしれない。
「考え方を変えればいいんだよ。俺たちは騙しにいくんじゃないって。喜ばせにいくんだってこと。っていうか頼んできたのはばあちゃん本人なんでしょ?大丈夫じゃん」
そう言って風早が俺の手をとった。立ち上がれということだろう。重い腰をあげると、スカートのせいで足がすーすーした。
「まぁ、そうだけど・・・」
「本当に大丈夫ったら大丈夫。俺に任せてよ」
ガチャリとドアを開けば、廊下には佐野さんが立っていた。準備は整っているということだ。
「今、お祖母様は部屋で休んでいらっしゃいます。先ほど人格が変わられたばっかりなので、すぐに戻ることはないと思います。行くなら今かと」
「ありがとう、佐野さん。ほら、幸行くよ」
ぐい、と手を引っ張られて俺も廊下へ出た。花瓶に映る自分の顔が女にしか見えない。
長い廊下を歩いて、お婆ちゃんの部屋を目指す。
あぁ、もうちょっとだ
大丈夫なのかな、大丈夫か。大丈夫大丈夫。
自分にそう言い聞かせて俺も風早の後ろを歩く。この間見た景色だ。栗原に捕まった時の部屋も近くにあるはずだ。
「ここだね」
一つの扉の前で風早が止まる。バラの装飾がなされた扉は荘厳で美しく、見るものを圧倒させた。
ふぅぅ、と大きな深呼吸をお互いして向き合う。風早の瞳に自分の顔が映った。うん、やっぱり女に見える。
「いくよ?」
風早がそう言って扉に手をかけた。風早も一応緊張しているのか、手が少し汗ばんでいる。俺も上からそっと風早の手を握りこんで、ドアノブをそっと捻った。
ツン、と鼻につく甘い匂い。電車でよく嗅ぐ甘い香水。クッキーみたいな、やつ。
「あら、風早じゃないの。来てくれて嬉しいわ」
ベッドの上にお婆ちゃんがいる。でもその姿は昨日とは違う。にっこり笑っていても、瞳の奥に怒りを感じる。
「この間の件、ちゃんと説明して頂戴。・・・、あら、そちらの方はどなた?」
お婆ちゃんの視線が俺に向いた。突き刺さるほどの痛い視線に、俺は思わず目をそらした。
「俺の彼女」
短く、でも大きな声はっきりとで風早が言った。
「はぁ?私がこの間紹介した女の子はどうしたのよっ!!小日向家の名に泥を塗るつもりなのっ!??」
突然、お婆ちゃんが息を荒げた。今にも何か飛んできそうな迫力だ。
「でも俺は幸が好きだから。紹介してもらった子は全員お断りしたよ」
「身分にも申し分ない方だったのに・・・。私、大変だったのよ」
「俺は身分とかあんまり関係ないと思うけどね。ばあちゃんは考え方が古いんだよ」
風早がそう言ってお婆ちゃんを睨んだ。話し合いじゃ解決しそうになくて、俺はどうしたらいいのかわからず突っ立ったままでいた。女の子の声なんて出せないから話すことができない。それがすごくもどかしい。
「代々私の家ではそういう風にしてきたの。今更変えることなんてできないわ。好きな人と結ばれる、なんて馬鹿げた話はやめて頂戴」
「馬鹿げてないよ。俺は本気。大体この家を継ぐのは俺じゃないんだから別に見逃してくれてもいいでしょ?俺、資産とか興味ないし」
「そういう問題じゃないのよ!!私も以前夫に本気だと言われたわ。だけど違ったのよ!!これがどういう意味かわかるかしら!!!」
息を荒げたお婆ちゃんが辛そうに胸を掴んだ。冷や汗がこめかみから垂れていて苦しそうだ。昨日お婆ちゃんから直接聞いた事実。夫はゲイで最後までお婆ちゃんを愛せなかったという。昨日聞いたお婆ちゃんの話と少し違う。記憶がこんがらがっているのだろうか。
「どうして決めつけちゃうんだよ。俺、本気だって」
風早がそう言って俺のあごを掴む。ぐい、と風早の方を向けられて深くキスをされた。下手に声も出せなくて、ふがっ、と鼻から変な声が出る。
ぺろりとご丁寧に鼻先まで舐められて、背筋がぞくぞくした。やめろ、と小さくつぶやいて風早から離れると覆いかぶさってくる。
「もぉ、幸ってば恥ずかしいの?可愛いねぇ」
ぷにゅぷにゅと頬っぺたを突かれて、俺はおそるおそるお婆ちゃんの方をちらりと見た。お婆ちゃんは口をあんぐり開けて風早を見ている。
「ほら、可愛いでしょ?俺の幸」
・・・完全に見せつけている。
にやりと笑った風早の顔を見て、俺は心の中で一つ大きなため息をついた。
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