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第117話
「幸に、こんな素敵な人がいたなんて私知らなかった。どうしてもっと早く教えてくれないの?」
突然母さんが俺の方を向いて、きっと目つきを悪くする。
男と付き合ってるなんてカミングアウトするなんてこんなきっかけがないとできないよ。
「・・・ごめん」
「私も決して険しい道ではないと思う。でもね、異性同士の恋愛にも険しいところはあると思うわ。私はあなたたちの恋愛の障壁にはなりたくない」
母さんが聞いたこともないくらい真剣な声色でそう述べた。こんな母さん見たことがない。栗原守の写真集を見ながらキャーキャー叫んでいる母さんは何処へ。
「でも、ごめんね、幸。心から応援はまだできないの。大事な一人息子が男と付き合っているって、私偏見はないつもりなんだけどそれでも、・・・ごめんなさい」
今度は母さんが俺と風早の二人を見つめて小さくお辞儀をした。こんな簡単に話が進むとは思ってはいなかった、まだってことはきっとこの先、心から応援してくれる時がくるってことだ。風早の方を見ると、彼も俺と同じことを考えているらしく、悲観的な顔はしていなかった。
「ありがとうございます。むしろ嬉しいです。険しい道ってことは、それだけ乗り越えれば幸と深くつながることができるってことなんです。俺はそう思っています」
ぐいっと風早に肩を掴まれて、引き寄せられた。風早の匂い、熱、いろんなものを身近に感じることができる。
―俺の一目惚れ、なんだけど―
―俺はどんな幸も好きだよ、別に幸が宇宙人でも好き―
風早の言葉が頭に反響する。風早の想いが俺の中に流れ込んでくる気がする。
あぁ、好きだ。ってまた思った。最近こういうことが多い。ふとした時に、好きだなって思う。そして自分で恥ずかしくなる。
「こんないい男と出会って幸は幸せ者ね、名は体を現すってこういうことかしら。・・・私があなたを産んだ時、幸せになってほしいって想った。その想いを名前にしたの」
ぽろっと母さんの目から涙が零れ落ちた。ソファに滲んで、広がった。
小学生の時、自分の名前のルーツについて調べなさいっていう授業があった。俺の名前は女の子とよく間違われたし、顔も女顔だったから余計に女みたいだと弄られることも多かった。小さかった俺は、母さんは俺のことを女だと間違えて名前をつけたのかと思ったこともあったし、女を産みたかったのに男が産まれたからその腹いせに幸なんて名前をつけたのだと思っていた。だけれど、母さんに聞いてみればそれは全然違った。単純に、幸せになってほしい。そう言われたときは幼いながらに泣いてしまった。
母さんの涙を見ていたら、自分の頬にも何か熱いものが流れだした気がした。口に入ったそれはしょっぱい。涙だ。なんで俺、泣いてるんだろう。
「もぉ、幸・・・」
風早がそう言ってくしゃりと笑って、俺の涙を拭う。笑顔が優しすぎて、また涙が出てしまう。何が何だかわからなくて、あは、と変な笑い方をした。そしたら今度は風早が涙を流し始めたから驚いた。
「な、なんでお前・・・」
「幸が泣くからだよ、幸のせいだ」
「お、俺のせいなのか・・・?」
両目からボロボロと涙をこぼす風早だったが、悲しそうな顔は一切していない。どうして俺たちこんなに泣いているんだろう。落ちた涙が着ていたシャツに落ちて大きなシミを作った。
「うん、幸のせいだから、もぉ」
正面から抱きすくめられて、俺は風早の肩に顔が埋まる。頬を伝う涙が全部風早のシャツに吸収されていくのが見えた。同時に、自分の肩も温かくなっていくのを感じる。風早の涙だ。
「いいお母さんだ、幸を産んだ人はやっぱり素敵な人だった」
ぼそりと耳元でそうつぶやかれた。もう母さんの目の前だから、なんて風早を突っ返すことはできなかった。抱きしめられながら、母さんの表情を伺えば母さんは泣いたまま笑っているだけだった。
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