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第124話

女性はカフェの入り口で店員と談笑しているようだったが、何を話しているかまでは聞こえてこない。 「ランって呼ばれてんだよ、あの人」 「・・・ラン」 スカーフを首元に巻いているので喉仏は確認できないが、あの人は男だ。俺の勘がそう言っている。 「よくこのカフェでお茶してるんだぜ。いつもキャラメルフラペチーノ頼んでるし」 「ストーカーかよ」 「なっ、ち、ちげぇし!たまたま見たらいつもいるだけだし、別ストーカーとかじゃねぇから」 流石にでもこんな茂みから覗いているのはどうなのか。栗原には悪いけど多分バレてると思うぞ。さっきからランって人チラチラこっち見てるし。その度にヒャッなんて乙女みたいな声を栗原が上げているけど。 コツコツ、とヒール独特の音が耳を掠めた。俺の家族は誰もヒールを履かないから慣れない音だ。 もしや、とカフェの方を見ればもうあの女性はいない。その代わり目の前に黒いヒールが見えた。鋭利な靴だ。踵で踏まれたら人が死ぬかもしれない。 「ヒャッ」 隣でまた栗原のしゃっくりのような悲鳴が聞こえた。そーっと上を向くと、ランが目の前に立っていた。 「あなた、前も居た人よね」 彼女の声は男からしたら高いが、女からしたら少し低い。 「やっ、えっ、あっうそっ」 見たこともない慌て方で栗原が乱雑に茂みに落ちていた葉っぱを拾って顔を隠す。サングラスとマスクで隠れているのであまり意味はないし、第一そんな小さい葉で隠せるわけないだろが。 ふふっ、と彼女が笑ってそのあと少し呆れた顔をした。 「バレてないとでも思ったの?バレバレよ」 ちらり、と葉っぱを顔から少しズラしてランを見つめる栗原。マスクでよく見えないが、顔が赤い。 「可愛い坊やね、名前は?」 ランがしゃがみこんで栗原の顔を覗き込んだ。しゃっくりのような悲鳴を上げたあと小さく「ま、守」とつぶやく。まさか俳優の栗原守だとはランも思ってはいないようで「守ね、りょーかい」とにっこり微笑んだ。 「ヒャッ、か、可愛い・・・」 いつもの態度のデカさはどこへ行ったのだろう。体を丸め込んだダンゴムシのように小さくなってしまった栗原は数センチ先にしか聞こえないくらい小さな声で言った。 「あら、ありがとう。あなたもかっこいいわ。顔、隠さない方がいいわよ」 しかし、ちゃんとランには聞こえていたらしい。 その声に従って栗原がなんのためらいもなくサングラスとマスクを取った。 刹那、ランがまぁ、と息を呑む。 そりゃこんな有名人に覗かれてたらそんな反応もしたくはなるもんだよな。って、外していいものなのか。 栗原のことを凝視してたら、ぱぱっとまたマスクとサングラスを付け直してしまった。そして素早く立ち上がるとまたしゃっくりの悲鳴をあげて早足で去って行く。 「えっ、ちょっ、ま、待って」 この女性、かわからない人と二人きりになるのは避けたい。なんか気まずいし。 俺はそのまま栗原を追いかけた。

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