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第129話
基本無口な父さんは表情もあまり変わらない。俺は本気で怒った父さんも、本気で驚く父さんも見たことがなかった。
だけど、今回はそんな父さんの初めてを拝むことになった。父さんの口元が歪んだのだ、風早を見て。
「・・・、誰だい?」
助けを求めるように母さんを見つめた父さんが小さい声でそう問うた。なんて言うんだろうって固唾を呑んで見守っていると、風早がすくっと立ち上がった。
「幸とお付き合いさせていただいています、小日向風早と申します」
ペコリとお辞儀をした風早が顔を上げると、父さんは今度は目を真ん丸にさせている。こんな父さんも見たことない。
「果歩じゃ、ないのか」
絞りだしたように父さんから出たのは、その一言だった。とたん、あははははと大きく口を開けて姉ちゃんが笑いだす。
「私な訳ないでしょ~、もぉ・・・。こんなイケメンだったら全然大歓迎なんだけどね」
少しパニックになっている父さんが俺と風早を交互に見比べる。何も言わない父さんに、母さんがでも、と切り出した。
「風早くん、とてもいい子なのよ。私は彼が好きだけどねぇ」
そう言って親指を立てた母さんがにっこりと笑う。父さんはそれでも口を開かない。何やら必死に考えているようだ。今度は姉ちゃんもそうね、と話し出す。
「私だってまさかさっちゃんが男の恋人連れてくるとは思わなかったけど、風早くんでよかったって思ってるから」
姉ちゃんの言葉にようやく父さんの思考が働きだしたらしい。
「・・・男」
「俺、こ、こいつと付き合ってるから」
父さんの目を見て言うのがこんなに怖いものだとは思わなかった。でも、隣には風早がいる。そう思えたら、何だか気持ちが軽くなる。
「まぁ、いいんじゃないか」
父さんはそう言って風呂場へと消えていく。去り際に見えた父さんの顔は、もういつも通りの無表情だった。まぁ、いいんじゃないか。その言葉にはどんな意味が込められているのか、俺にはわからなかった。
「父さんも認めてくれたわけだし、食べましょ」
グラタンは美味しかったけれど、初めてみた父さんの困った顔と驚いた顔がいつまでも頭にこびりついて離れなかった。
「本当に、認めてくれたのかなぁ」
ご飯を食べて、風呂に入って二人で部屋のベッドに寝転んでいると、風早が隣でぽろっとそう零した。風早が父さんのパジャマを着ていても、父さんは無言のままだった。風早をじーっと見つめてはいたが、見つめるだけだ。うんともすんとも言わない。
そんな二人の様子に俺はつぅーっと嫌な汗が背中を通るのを感じたが、風早はあまり気にしていない。変なところ図太いのだ、こいつは。すぐに不安になってさちぃ、と抱き着いてくるく
せに。
「・・・、どうだろうな」
正直俺にもわからないのが本音だ。今まで父さんは出張も多かったし、一緒に出掛けた思い出もない。家に帰ってきても基本無口な父さんは話しかけてこないので、俺も話しかけなかった。だからどんな仕事をしているのか俺も知らない。母さんに聞いても寡黙な人だからね、という一言で片づけられてしまう人だった。幼い頃、俺は父さんが本当はロボットなんじゃないかと疑ったこともある。
「でも俺あんまり嫌な顔されなかったからいいのかな、って思っちゃった」
「父さんの表情変わることなんてないからわかんねぇよ」
「そうなのかなぁ」
んん、と風早が唸って俺の上に転がってきた。重い、とバシバシ風早の肩を叩いてもどいてくれない。お返しにベッドに置いてあったクマのぬいぐるみを風早の腹に置いてやる。
「何このクマ・・・」
「小さいときからずっと置いてあるんだよ、なぜか」
誰に貰ったとか、いつ貰ったとか全く覚えていない。薄汚れたクマはもう何年も前から俺のベッドの片隅を占拠している。
「幸に似てるね、このむすっとした顔」
「もともとこんな顔してなかったんだけどな・・・」
小さいころこのクマを抱き枕代わりに使っていたので、変な方向に跡がついてしまったのだ。
「似てることは否定しないんだ」
むすっと不機嫌そうな顔をしているものを見るとすぐに俺に似てるって風早は言う。まるで俺が四六時中不機嫌みたいじゃないか。そう思って部屋の鏡を見たらむすっとした表情の俺がいて驚いた。いやいや、今のは不意打ちだ。だってむすっとした気持ちだったから仕方ない仕方ない。
「そういう顔しかできないんだよ俺は」
すぐに鏡から目を背けて、風早の腹の上にバランスよく乗っているクマを睨みつけた。長年一緒に暮らしてきたがこんなにお前の顔を憎たらしいって思ったことはないよ、と心の中で話しかける。
「もぉー、ほらすぐそんな顔するから」
「うるせぇ」
「乳首いじると顔がふにゃぁんって緩むんだけどね・・・」
「・・・フォローになってないぞ」
幸が感じてる顔ね、と風早が言ってクマのほっぺを掴んで下に向ける。たちまちむすっとしていた顔がだらんとだらけた顔に様変わりする。俺がそんな顔してないから、と反論したら試す?とニヤニヤ顔の風早が迫ってきた。
「いい、いいから、試さなくていいから」
「なんでよ、俺幸とえっちしたい」
「あんまりえ、え、えっちとか言うな・・・。家族に聞こえたらどうすんだよっ」
「幸、喘いじゃうもんね?」
「お前のせいだろっ」
「そうだよね、俺が乳首いじるとすーぐあんって可愛い声出しちゃうもんね」
ご丁寧にクマをまたベッドの片隅に座らせて、風早が覆いかぶさるように近づいてくる。距離が近い。
俺の首元に顔をうずめてくる。鎖骨に風早の鼻息が当たってくすぐったい。逃げるように身じろいでも思うように動けず、俺は抵抗の意味を込めて小さく咳払いをした。
「やめないよ?」
意味は汲み取ってくれたものの、風早は言うことを聞いてくれそうにない。なんたって今日なんだ。母さんも姉ちゃんも、運悪く父さんもいる。今日じゃなくたっていいじゃないか。
さらり、と俺の髪を撫でた風早が頬を緩める。はじめるよ、の合図だ。
観念した俺はぷい、とそっぽを向いた。
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