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第146話

海はいつも学校であったことを話してくれる。楓が英語の時間に居眠りをして怒られたこと、樹がクロワッサンを部活中に差し入れしてくれたこと。海の話す言葉に風早はでてこない。俺に気を使っているからなのだろうか、わからないけど。 結論から言えば、風早からの返事は来なかった。携帯の前でじーっと座っていても、寝転んでみても、返事は来ない。日が沈み、月が顔を出す。いつもなら数分と経たずに返信が来るのに、おかしい。絶対、おかしい。 ベッドから降りて、うーむと考える。裸足のせいで床の冷たさが体温を急激にさげた。もう秋になる。風早と出会ってから、もう五か月。恋人になって、四カ月。まだ半年も経っていない。俺の生きてきた十七年間の内の四カ月なんてちっぽけなものだ。しかし、この四カ月の間に俺は大きく変わった、ような気がする。 晩御飯の時間を過ぎると、看護師は俺の病室を訪ねて来ない。初日や、俺の具合が悪かった時は何度か様子を見に来てくれたが体調の良くなった今では俺が呼ばない限り来ない。つまり、抜け出すチャンスはいつでもあるということだ。 俺は母さんの持ってきてくれたカバンに入っている靴下を手に取って履いた。頭の包帯が取れないように、シャツを着てズボンを身に着ける。上着を手に取って、帽子も被った。時刻は十時を過ぎたころ。今から頑張って走れば風早の家まで三十分もかからない。いける。 俺がいないってことがバレないように、掛布団の中に俺の服を詰めた。窓から覗いても、俺が寝ていると思わせるちょっとした細工だ。 テーブルの上の灯りを消して、廊下に誰もいないことを確かめてからそーっとドアを開いた。 キョロキョロと廊下を見渡して、すぐに階段へと小走りで駆けぬける。はぁ、と一息をついて冷えた階段をゆっくり降りた。 「それでねぇ三〇一の患者さんったらつまずいてナースコール押しちゃったらしくて」 「えぇ、だからお昼呼び出されてたのか~」 パタパタと階段を上る音に、看護師の声が聞こえてきて俺は背筋をピンと伸ばした。まずい、こっち来る。俺は急いで階段を駆け下りて、廊下の隅のトイレに身を隠した。看護師が通り過ぎたのを確認して、ようやくトイレから顔を出す。 「いないよな・・・」 夜の病院は少し不気味だ。早いところ出てしまおう。そう思って俺はすぐに病院の玄関口まで走った。しかし、入口のところに何人かの看護師がいるので正面玄関から出るのは難しそうだと気づく。裏口なら、と思って裏口へ向かうが鍵がかかっていて開かない。暗証番号でロックされているようだった。しょうがない、リスクを承知で正面玄関から出るしかない。 受付のところに看護師が三人。三人仲良く談笑しているようで、俺には全く気付く様子はない。だが、自動ドアではないのでドアを開くときに気づかれる可能性が高い。どうしよう、と手をこまねいていると男性が一人病院の方へ歩いてくるのが見えた。彼がドアを開いたときに一緒に出てしまおう。そう考えついて、俺は男性がドアを開くのを待った。 キィ、とほんの少し軋んだ音がしてドアが開く。さっと体を縮こませてドアの開いた狭い隙間を抜ける。男性は驚いてこちらを向いたが、看護師は気づいていないようだった。俺はそのまま病院から走り去る。 この数日体を全く動かしていないので、少し走っただけで動悸が激しくなった。病院から離れた場所でうずくまって息を整える。 「はぁ、はぁ・・・」 寒いだろうと思って着てきた上着を脱いで、額に滲む汗を拭う。風早の家まではまだ遠い。走らずに早歩きで向かおうと決めて、俺は立ち上がった。 病院は丘の上にあって、風早の家は下った先にある。下り坂が多いので、行きは思ったよりもスイスイ歩くことができた。 ポケットの中に手を突っ込んで、携帯が入っていないことを知って俺はうなだれた。これじゃぁ、時間の確認ができない。病院は確か、十一時半に正面玄関が閉められるはずだ。それまでに帰らないと、俺は野宿することになってしまう。 歩みをまた早め、俺は小走りで坂を下る。あまり人目につきたくないと思って選んだ道は人っ子一人おらず、病院とはまた違った意味で不気味だ。 「ゆ、許してくださいぃっ!!!」 突然、誰かが叫ぶ声が聞こえて、俺は思わず肩をびくりと揺らした。なんだろうと思って目を向けると、この道を曲がった先に人がいる。じっくりと目を凝らすと、・・・風早がいた。 「か、」 名前を呼ぼうとしてやめた。風早以外にも人がいる。 バレないように、足音を殺して近づく。何か話しているようだが、小さくて聞き取れない。怯えたように風早に頭を下げる二人には見覚えがあった。あいつ、俺と守を殴った人・・・。 何、やってんだ。 「すみません、すみません。もうしません」 「すみませんで済んだら警察はいらないでしょう」 風早の声だ。しかも、鋭く冷たい声。怒っているときの声色だった。 「い、慰謝料はちゃんと払います、だ、だから」 「慰謝料じゃ足りないよ。目には目を、歯には歯をって言葉知らないの?」 「ヒ、ヒィッ」 二人がまた頭を下げるが、風早が静かに首を振る。 「俺的には、ハンムラビ法典より厳しくしたいの。目には目を、歯には歯をじゃなくて。目には目と耳を、歯には歯と舌を派なんだよね」 「ゆ、ゆるして・・・」 風早が一人の胸倉を乱暴に掴んだ。許して許してと喚く男を風早は目つきだけで黙らせる。手を振りかざそうとする風早に、俺は気づいたら体が勝手に動いていた。 「か、風早っ!!!!」

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