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第1話 - 09
「ど、こいくの」
「手ぇ洗ってくンだよ」
「そっか……」
そう言って僕に背を向ける鈴木に、僕はそれ以上何も言えなかった。
なにやってるんだろう、僕。死ににきたのに、同級生にイかされて授業も終わってしまった。その実行力のなさと意思の弱さに自己嫌悪していると、ふいに肩を掴まれる。
それが踵を返したらしい鈴木だと理解する前に、耳元に口を寄せられた。耳に掛かる息に、ぞくりとする。
「なぁ斉藤」
「な、なに?」
「生徒会副会長の斉藤さんはクラスメイトに扱かれてイく淫乱野郎だって言いふらされたくなかったら、俺がここで寝てたこと黙ってろよ」
「……え?」
ドスの利いた低い声。鈴木はそれだけ言うと、僕が入ってきたのとは逆側の出入口へと足を向けた。その背中が扉の向こうへ消えるのを呆然と見送る。
僕も授業に戻らなければ。しかし、踏み出した足は震えていた。空は相変わらず憎らしいほどの快晴。寒いわけでもないのに、僕は自分の腕を掻き抱く。
「うそ……」
クラス内のカーストにおいて、僕は頂点のクラス委員である。だが、それは役職においての話だ。人間としてのカーストは底辺も底辺、あそこに僕の味方はいない。不登校、サボり魔とはいえ、鈴木の方がよっぽど上に存在しているのだ。
その鈴木が、僕の悪評をクラス内に流したら。あっという間に広がって、僕は本当に死ぬしかなくなってしまうだろう。それは想像しただけでも地獄のような光景だった。
寝ていたのを黙っていろ。鈴木は僕の弱味を握ってそのことを誓わせるためだけに、僕にあんなことをしたのだ。少し夢を見ただけだったのに、やっぱり神様は僕の敵だった。
「そんなのってありかよぉ……」
僕はしばらく、その場から動けなかった。
重すぎる足をなんとか引き摺って教室へと帰ったのは、次の授業が始まる直前だった。僕の3つ後ろ、そこから2つ左が鈴木の席。そこは相変わらず空白だ。また何処かで寝ているのだろうか。つい1時間前までは居なくても意識すらしなかったのに、今は鈴木が同じ空間にいないだけで不安だ。
ため息を吐きながら椅子を引くと、後ろの席の女の子が隣の子と耳打ちし始める。それは、僕に聞こえる内緒話。クラスもそれに賛同するかのようにこそこそと耳打ちを始める。そのどれもが僕の悪口だ。
ああやっぱり死ねばよかった。夢なんか見なければ、今頃死んでいたはずなのに。
僕はその声を聞きたくなくて、次の授業の教科書を開く。左から右へと何度目を走らせても、内容は何一つ入ってこなかった。
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