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三、最後
翌週の末は憂鬱だった。定期検査での入院が待っていたのだ。
僕は生まれつき、体が弱い。体育も見学ばかり。母さんにも心配させてお弁当は卵焼きから逃れられない。巣立たない命の淡泊な味から。
病院の機械につながれて土曜の朝から日曜の夕まで過ごした。やり過ごすコツは、自分もロボットだと思うことだ。
ようやく解放されて、個室で夜を迎える。案じる顔の両親をみたくなくて、一人で寝ることにした。
でも、寝付けないと静かさが寂しさを募らせる。打ち消そうと、シーツに転がり自分で自分を抱きしめる。おととい伊月としたように。
彼は、試練はあと一人なのだと言っていた。
それで、励ましにと、ハグしあったのだ。
……もし、ここに伊月がいてくれたら、どんなに心強いか。
――だめだ。彼は、孤独に耐えて仕事をしているんだ。僕も、強くならなくては。
注射痕だらけの枯れ木めいた細い腕を伊月の温かい腕だと思い、僕は唇を噛む。と、部屋の扉がすうっと開いた。
「……椋」
ふんわり明るい、輪郭。
「伊月……」
僕は体を起こしていた。
伊月に、入院のことなんて話してない。
「その……椋、あの……」
噴き出しそうなものに、頑張って栓をしているような声だった。
「わかってるよ、伊月。そういうこと――なんだろう?」
僕はほほえんでみせる。
母さんや父さん相手では義務だった笑みも、伊月の前では、このうえなく自然にできた。
「俺、俺、知らなかったんだ……今日まで、椋が、そうだって。夕方、名簿見て、はじめて……」
僕は裸足のまま、ベッド脇におりて、伊月に歩み寄る。彼の体はほのかに光り、抱きつけばとても温かかった。頬をあわせれば、冬なのに熱いものが流れていた。
「椋、いやだよ、俺、やだよ」
彼は僕を振り払おうとする。そうすれば、なにもかも進ませずにいられるとでもいうかのように。
「限界なんだよね、僕の体?」
つとめて、冷静に言ってみる。
なんとなくわかっていた。伊月のこと抜きでも、最近心臓が苦しすぎた。……そして今日、早急に精密検査するべきだと医師から告げられた。
きっと僕は孵化できない卵なんだ。
うなずきも、否定の仕草もしない彼の、右頬の黒子を撫でる。
「最期に出会える人が伊月でよかったよ。僕のこと、伊月の試練の最後の人だって、ずっと覚えてて? そうしてくれたら、幸せだから」
「……椋――」
「もし生まれ変われたら、また話そう。あ、でも――ほかに、一つだけいい?」
上下に震える唇に、鼻先を触れさせる。
「伊月と、キスしたい」
「いやだ」
「そんなに嫌い?」
期待しちゃだめでも、一回だけ、わがまま許してほしかった。
「好きだ。好きだから、やだ」
心室が胸から飛び出た気がする。
うれしさで間抜け面になるのをこらえる。
「じゃあ、キスできないまま僕がいなくなった方がいい?」
意地悪を言うと、顎がしぼるように掴まれた。伊月の開かれた唇との間のすべてが消えた。呼吸を埋めあうような営みだった。
僕は、誰にやり方を教えられてもいないのに、伊月と舌を絡めていた。体中があったかくなっていく。
「……ん、椋、好き、大好き」
伊月の手が、僕の背中のあたりをまさぐってくる。どうしよう、止めたくない。彼もそうなのだろう。身体が食い込むほど密着して、熱が布越しに擦れあう。
終わりがわかって始まったのに、この時間が、永遠に続くかと思われた。続いてほしかった。けれど。
「――伊月」
野太い声がして、僕たち二人は動きを止めた。
部屋の扉はまた開かれ、ぼんやり光る男の姿があった。伊月と少し似た顔立ちだ。和服で、古式ゆかしい死神のような鎌を両手で持っている。
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