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第5話 暗闇の中
暗闇の中でも、ファイの家はすぐに分かる。新しい木と草の匂いがするから。僕がファイの家を覗き込むと、中から手を伸びてきて、僕の腕をつかんだ。思わず声が出そうになったけど、その手の主に、もう片方の手で口を塞がれた。「静かに。」間違いなく、ファイの声だ。僕はその声に安心した。
「来たよ。」
「ああ。」
「一人で。」
「ああ。」
僕たちは小声で、そんな短い会話をした。僕はファイが話し出すのを待った。例の、「恐ろしいかもしれない、痛いかもしれない、悲しくなるかもしれない、腹が立つかもしれないこと」について。
「マナ。」ようやくファイが口を開いた。ところが、それに続く言葉は予想外だった。「すまない。」
「えっ。」
「おまえを呼ぶべきではなかった。」
「どうしたの、ファイ。僕、平気だよ。暗闇も怖くなかったし、迷わなかった。勇気、ファイが待ってくれていると思ったら、勇気が出てきて。」
「ああ。」ファイは呟いた。そんな声を聞いたのは初めてだ。弱々しくて、切ない。「マナは勇気がある。ないのは俺だ。」
「どうして。そんなわけない。」
「恥を忍んで言う。よく聞いてくれ。そして、聞いたら忘れてほしい。」
「ファイ?」
「こんな風にここに呼ぶのは、本当は女だ。それが習わしだ。」
「えっ。」
「知っているだろう。大人になったら、女を選ぶ。共に暮らし、こどもを産む女を。」
「うん。」
「でも。」ファイはそこで押し黙る。そして、だいぶ時間が経ってから、言った。「俺はおまえを選びたかった。」
「僕、を……。女じゃないのに?」
「そうだ。」
「でも、僕じゃ、女の代わりにならないよね?」
「ああ、そうだ、おまえは女の代わりにはならない。こどもが産めないのだものな。」
「で、でもっ。」僕はファイの手をつかんだ。「カ、カヤは女だけど、こどもはいない。でも、誰も、カヤを女じゃないなんて言わないし、みんなカヤのことが好きだ。だから。」
「それとは違う。」
「違わない。」
「おまえとここで暮らすことはできない。カヤとは違う。カヤはこれから、いつか、こどもを産むかもしれない。だが、マナは絶対に産まない。みんながおまえが男だと知っている。カヤとも、他の女たちとも違う。ああ、分かってた。けれど。」
「ファイ。」僕はファイの声を頼りに、ファイの唇に触れ、そこからたどって、頬に触れた。濡れていた。「泣いてるの、ファイ?」
「おまえもじきに墨を入れ、女と暮らす。こどもを持ち、狩りに出る。俺はそれを邪魔してはならない。それも分かっていた。それなのに。」ファイの指先が僕の唇に触れた。「俺は正しくない。分かっている。こんなこと、許されるはずがない。」
僕の唇に、温かく、柔らかいものが触れた。ファイの唇だと、すぐに分かった。僕の唇に唇で触れた者など誰もいないのに、すぐに分かった。
「熱が下がらない、まだ痛みがあると言って、先延ばしにしていたが、墨を入れたら、本当はすぐにでも女を選ばねばならないのだ。このまま黙っていたら明日にも勝手に女をあてがわれるだろう。」ファイは僕の額を優しく撫でた。「けれど、どうしても。一晩だけだ。一度でいい。俺の望みを。」
「僕でいいの? 僕はファイの望みをかなえてあげられるの?」
「おまえしかできない。おまえだけだ。」
「僕にできることなら、なんでもする。」
「マナ。」ファイは僕を抱きしめた。「ずっと、おまえだけだ。明日には女を相手に同じことをするだろう。その女は俺の子を産むかもしれない。おまえもだ、マナ。おまえもそうして、女を抱き、子を産ませる日が来るだろう。そうしなければ、俺たちは滅びてしまうのだから。でも。」
「分かってるよ、ファイ。僕もファイだけだ。ずっと。でも、忘れろって言うなら忘れるよ。忘れるなって言うなら決して忘れない。ファイがそう望むなら、僕は何だってするんだから。」
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