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第6話
目元を黒い仮面で隠してはいたが、彼の特徴的な肉体を隠しきることは不可能だ。二メートル近くある長身の肉体を彩るのは、てらてらと嫌に輝く合皮製の衣装。軍人をイメージしているのか、彼の小さな頭には軍帽を模したものが乗せられていた。
マルクは何も気づいていないようだった。クカがこのゲイバーに紛れているだなんて露ほどにも思っていない。長い手足を蠢かし、ただただ性を煽るためだけの踊りを踊る。大きくはだけたシャツから覗く胸板と、揺れるネクタイ。
クカは彼の扇情的な踊りから目を離すことが出来ないでいた。
「ほら、言ったろ? 引き留めて正解だったな。アンタ、アイツに釘付けじゃねえか」
カウンターバーの向こう側から、バーテンダーがそれ見たことかと笑っている。
彼の言うとおり、クカはあのストリッパーから目が離せずにいた。それは他の客とは違う理由でだ。
マルク。クカは確信していた。遠巻きに見てもよく分かるあの肉体。長い手足に高い鼻。黒い髪。薄い唇を歪に歪めて笑う彼の、そんな表情は今まで見たことはなかったけれど。
道理で見つからない訳だ。
彼は客としてこの来店していた訳でも、店員としてこの店に来ていたわけでもなかったのだ。店の裏方にいたというのだから当たり前の話ではあるが。
クカはぞくりと肌が粟立つのを感じていた。
二メートル近い体躯の持ち主のマルクだ。見間違える筈がない。彼はあの家事代行の、マルク・クラースに違いない。
マルクによく似たストリッパーは、音楽に合わせて腰を振り、ゆっくりと身につける数少ない衣服をゆっくりと脱いでいった。
てらてらと嫌に光を反射するシャツの合わせ目を、僅かに繋ぎ止めるボタンを革の手袋で覆われた指先で外していく。とっくにはだけていた胸元は更に大きく曝け出され、彼の白い肌が怪しい照明に照らし出されていった。煌びやかな光を浴びて、淫靡に輝く二つの飾り。それは、ストリッパーである彼の乳首を痛々しく貫いたピアスだ。
タイトなホットパンツに黒手袋が伸び、ベルトを手早く引き抜いて、はやし立てる男たちの声をその勿体ぶった動きで一蹴する。ゆらりゆらりと尻を振り、僅かな面積しか持たない下着を見せつけるようにホットパンツを脱いでいく。
ほとんど全裸に近い格好になって、残されたのは頭に被る軍帽と、高いヒールのブーツ。それから肘まで覆う黒い革手袋。なんてアンバランス。四肢を隠す黒と、最も隠さなくてはならない部分を曝すそのミスマッチ。黒と白とのコントラスト。
違う。
まるで違う。
ミートボール・トマトスープをこしらえた好青年。ハウスキーパーのアルバイト。苦学生のマルク・クラースとは違う。淫乱で男の性欲を貪欲に煽り立てる性的な怪物が、男たちの熱視線を浴びて恍惚な表情を浮かべて踊り狂っているだけだ。
「近くに見に行ったらどうだ? 前の席は埋まっちまってるが、こんな離れた席じゃ楽しむものも楽しめないぞ」
「……ビールが欲しい」
酒が欲しいと思った。
たかだか三〇〇ml程度のアルコールじゃ足りない。
この照明と、色とりどりな光。それから非現実的なマルクの姿。
酒が必要だ。異世界に迷い込んでしまったこの脳を落ち着かせるには強いアルコールが必要だ。
クカはバーテンダーの方を向くことなく、追加の注文をした。疲れた二つの目は、ほとんど全裸と変わらない姿をした男性ストリッパーに釘付けだ。
「もう一本、くれないか。今度はもっと強いのがいい」
「いいぜ、こんな場所だ。酒に溺れるくらい飲んだ方が楽しめる」
バーテンダーは上機嫌にそう告げると、カウンター下の冷蔵庫からキンキンに冷えた、先ほどとはまた別の、瓶ビールを差し出した。王冠を抜いた、僅かに氷霧を携えるその瓶に口付けて、クカは一気にビールを呷った。喉の奥に流れる炭酸と強いアルコール。異常な空気に火照った体が一気に冷え、そしてアルコールで瞬く間に熱が灯っていくこの感覚。脳の神経の末端まで麦酒の匂いが行き渡っていくような気分。早いペースでビールを飲み、酔いを頭の奥底にまで染み渡らせる。
「さあ、お楽しみタイムが始まるぜ」
バーテンダーが目を細めて、お立ち台の彼を見やった。
酔いが更に回り始めた滲む視界に、踊るマルクの納める。
腹の出た中年の男がマイクを握り、またノイズ混じりの声を店内中に響かせる。
「さあ、いつもみたいに下品に自己紹介するんだ」
男の指示通りにマルクはしゃがみ込むと、黒い合皮の手袋に覆われた手を伸ばし、慣れた手つきで男のスラックスを止めるベルトを引き抜いた。前をくつろげて、既に勃起し始めたペニスを引きずり出す。
そして彼は何の躊躇いもなく頬ずりして見せると、口を大きく開くと赤黒く腫れたペニスを舐め上げた。赤く肉厚な舌が、まるで蛇のようにペニスに絡み付き、照明の輝きを反射させる粘液の道を残していく。
おお、と中年男が息を呑む。
舌での愛撫も僅かに、マルクは亀頭を咥えると竿の根元まで一気に飲み込んだ。自ら頭を前後させ、頬の肉や粘膜で男のペニスを扱いていく。自分の口を性器のように扱って、悩ましげな息を漏らしながら、勃起したペニスから精液を搾り取ろうとしている。
「んっく、んぅう……」
マイクがマルクの荒い吐息を拾い上げる。唾液が泡立ち、弾ける音。喉の奥を突かれ、嘔吐く声。生々しい口淫の音が、店内に広がっていく。二メートル近い長身が跪きフェラチオという奉仕をしている様を眺める中年男は、愛おしそうにマルクの短い黒髪を撫でやった。
酷い画だ。
あの好青年が、ペニスを貪っている。
おまけに。
「アイツは最高のストリッパーで、最高の淫乱だ。ほら見てみろ、しゃぶりながらおっ勃ててやがるんだぜ」
隣でバーテンダーが興奮混じりにそんな事を口にする。
マルクが身につけていた面積の少ない下着。その黒い生地を押し上げるのは、紛れもない勃起したマルクのペニスである。跪きながら腰を振り、空いた手で自身のペニスを扱いている。
「……っ、もういいぞ。客の皆はもっと刺激的なものを求めているんだ。分かるだろ?」
ずるり、とマルクの口からペニスを引きずり出し、中年男はそう語りかける。
するとマルクは唇から垂れる唾液と先走り液の混合液を拭うこともしないままに、淫靡に笑うとお立ち台の上で四つん這いになってみせた。ほとんど下着としての体をなしていなかった、紐のような下着をずらし、小さな面積で隠していたアナルを曝け出す。中年はマルクの唾液で濡れたペニスをあてがうと、そのまま奥までねじ込んで行く。
「……っぁ!」
マルクの背中が仰け反り、僅かに漏らした声をマイクが拾い上げる。痛いくらいに張り詰めたペニスがびくりと震え、天を向いた亀頭からとろりと先走り液が滲み出る。突き上げられるごとに、女のように甘い声を上げ、蕩けきった目で観客たちを誘惑する。
「すげえ、ケツだけで感じてやがる」
客の誰かがそんなことを口にした。
中年が腰を動かせばたまらないと顔を左右させ、上げる嬌声で観衆の性を更に煽り立てる。だらだらと溢れる先走り液には精液が混じっているように思えた。
「っ、コイツはケツも乳首も開発済みの淫乱だ。乳首だけじゃねえぞ、ナニにもピアス空けてる変態だからな」
バックからマルクを犯す中年男が、マルクの髪を引き掴むと伏せる彼の面を無理矢理引き上げてみせた。マスクの下、すっかり蕩けきった顔で虚空を見つめるマルク。
「ひぁっあっ……あああっ!!」
「おいおい、もうイっちまったのか? 全く、堪え性のねえビッチだなっ!」
中年男が手を振り上げたかと思えば、乾いた音が響く。マルクの白い尻を力任せに。
「あっ! あん、んんっそこ、ごりごり好きっ好きっ、もっと、抉ってっ欲しいっ……!」
蕩けた瞳で懇願するマルクに褒美を与えるように、男はでっぷりと太った腹を震わせながら激しく腰を打ちける。
「あっっあああぁぁぁっ!」
マルクの細い腰がくねり、甲高い嬌声がBGMを掻き消さんばかりに轟いた。だらりと垂れ下がるマルクのペニスからぼたたと精液がしたたり落ちていく。
達したのだ、と遠目からでもよく分かった。
「あーっ……あー、あぁ……スゴっ気持ちいいぃ」
マルクはどさりとお立ち台の上に崩れ落ち、そんな彼のアナルからずるりと勃起したペニスを引き抜いた男は、どこか誇らしげにこう続ける。
「金さえ払えば、やりたい放題だ。ほら、今晩、コイツとやりたいって野郎はいるか? 複数でも構わねえぞ。マスクの下も見放題だからな」
中年男がそう呼びかけた瞬間、お立ち台をぐるりと取り囲んでいた熱心な客が挙って声を上げた。幾ら払うぞ、早くやらせろ、その声は様々だ。
「コイツ以外にも男はいるからなぁ、好みの奴探してからでも」
「……帰るよ」
「ああ? マジで言ってんのか? これから本番があるってのに。マジでアイツの具合最高なんだぜ」
「一番金出せる奴が、アイツと寝れるんだぜ? アンタも興味津々なんだろ? どうだよ」
「いや、良いんだ。そもそも、おかしいんだ。色々と」
そもそも、こんな場所に足を運ぼうだなんて、興味を持ったのがいけない。本当ならば、決して足を踏み入れてはならない場所だろう。
全ては間違いである。
「はあ?」
「酔っ払いの戯れ言だと思ってくれ。ありがとう、これは君へのチップだと思って受け取ってくれ。ビール、ごちそうさま」
盛り上がる観衆を背後に、クカはふらりとカウンターバーから離れた。背後ではバーテンダーの訝しげな視線が突き刺さっていたが、
構わずクカは昇降口を目指した。背後では声が聞こえる。到底マルクのものとは思えぬ嬌声が響いている。耳に絡みつくその声から逃れるように、クカはドアに手を伸ばした。
外は静かだった。歓楽街特有の喧噪は聞こえない。
「楽しめましたか」
と問うガードマンに曖昧な笑みを浮かべて会釈すると、クカは早足でネオンの煌めきだけが残る歓楽街に足を踏み出した。随分と遅い時間帯だからか、この街を通り抜けようとしたあの時よりも人の数は少なくなっている。
そうしてしばらく進んだところで、今何時だろう、と思い取り出したスマートフォン。その液晶パネルには、メッセージが一通届いてることを示すアイコンが点滅している。それをタップして開けば、変わらない日常の一部であるバトシュトゥバーからのメッセージが一面に表示される。
『やっと仕事終わった;( もう寝たかは知らねえけど、明日もたぶん仕事漬けで頭おかしくなるだろうな:) 一緒におかしくなろうぜ! 今日は会社で寝泊まり。後、ちゃんとあの子と会ってくれよな。親友想いの親友より』
いつもならば、若干煩雑に思うバトシュトゥバーからのメッセージ。大抵返信することはないのだけれども、気づけばクカは文字盤に指をやっていた。
『お疲れ様ペア。こんなに遅くなって大変だったね。君の言っていた子と会ってみようかな』
会うつもりなんて毛ほどもなかったというのに、何故だか今は彼のメッセージが欲しくてたまらなかった。
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