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 夜が白み始め私たちの時間は終わりを告げた。 「また逢えるとあなたは言った。だからさよならは言いません」 「そうだね。いつかまた」 「ええ、行ってきます」 「いってらっしゃい」  彼は最後に泣き笑いの表情を浮かべ、私に口づけたあと庭から消えた。  具体的な時刻には耐えられそうになかったから彼の旅立ちの時間は聞かなかった。でも見送りはしたい。私は軋む身体を持ち上げて、彼と初めて会った川辺に行った。そこに座りながら空を眺める。  この青い空の元で多くの人間が争い血を流し、命を落としている。こんな不条理なことがあるか?こんなことを誰が始めた?始めた政治家たちは実際に戦場にいくことはない。お国を守ることを命題に命を掛けることを強要する人間は血を流さず安全な場所にぬくぬくしているだけだ。  悔しい。腹の底から悔しい。何もできない自分にも腹が立つ。  その時エンジン音が空気を振動させた。基地から飛行機の隊列が飛び立ち私の背後からあっという間に前方に場所を移した。君はそこにいるのか?私は豆粒以下で高速で飛ぶ飛行機からは見えないだろう。だから代わりに私は君を見詰める。  編隊の中の一機が翼を揺らしている。右に傾き左に傾くことを何度か繰り返したあと真っすぐに機体を戻した。君だね……私に手を振っているつもりかい?  私はそのまましばらく川辺に立っていた。頬に幾筋も涙の跡を残しながら。あの夜の君と重なるために……あの夜から時間が止まればいいのにと虚しく願いながら。  ひょっこり「こんばんは」と彼が姿を現す、そんな気がして私は縁側に座っていた。しかし蛙の鳴き声以外の声は聞こえることがなかった。  諦めて部屋に戻ろうとしたとき、一匹の蛍が私の前に飛んできた。手を伸ばすと手のひらに蛍はとまった。柔らかい光を灯しながら飛び立つことなく動かない蛍。 「君なんだね」  彼は逝ってしまった……逝ってしまったのだ。  身が千切れるほどの痛みは慟哭となって迸る。彼に貫かれた痛みと重なりバラバラになりそうな自分の身体を左腕で抱きしめた。涙は際限なく溢れ出し嗚咽と叫びは止まることなく零れ出た。心も何もかもが流れ出るような苦痛。  ああ……君が逝ってしまった。右の手のひらに留まる蛍に顔を寄せる。私が見えている?こんなに苦しいと思わなかった。君を失うことがこんなに……。  穏やかな夜が好きだった。君が本を読む姿を眺めるのが好きだった。あの時間が好きだと思い込んでいた。違ったよ……私は君と一緒にいる時間が、君が好きだった……君を好きだったのだ。

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