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嘉平

夢のような一時だったと嘉平は記憶している。あの夜の出来事は嘉平と鬼月、それから如月の三人の秘密だった。実際、今日まで嘉平が身請け前の鬼月に会っていたことは見つかっていないようだ。見つかっていれば、きっと和泉屋の規律を仕切る人達が嘉平を捕らえに来たはず。でも、来ていないと言うことは見つかっていないということだろうと嘉平は考えている。 そんな夢のような夜から幾分か経った、紫陽花が綺麗に咲き誇り梅雨に濡れる頃鬼月は身請けされた。 一時期、鬼月の身請け話は町を駆け巡っていた。町にいるほとんどの人がその話ばかりしていた。あることないこといろんな話が飛び交っていたが、ひと月もすれば鬼月のことなんて皆忘れたかのように話さなくなった。 それでも嘉平は鬼月のことを忘れず、日々の生活を送っていた。もう和泉屋には行かないのに、仕事で貰った銭の一部を麻袋に入れて。 でも、だんだんと仕事が減っていた嘉平のそんな生活が長く持つわけもなく。時が経ち、紫陽花が綺麗に咲く梅雨の季節になった頃。とうとう嘉平は売られた。自分が働いていた、何でも屋の店主に。 『悪く思わんでくれ、嘉平。悪く思わんでくれ』 汚い小屋の中で膝を抱えて座りながら、店主の言葉を思い出していた。土下座をして、泣きながら嘉平に謝ってきた。何となく想像できていたことだったから、ただ頷いた。 店主に売られた嘉平は、ここで売られる場所が決まるまで待たなければならない。でも嘉平のような地味で平凡でひ弱そうな者を、好き好んで選ぶ者などいなかった。 売られてから十日。ついに嘉平にも買い手が見つかった。しかも、買い手は嘉平にとって知らない相手ではなかった。 「きさらぎさん?」 和泉屋で、鬼月の世話係をしていた如月が嘉平を迎えに来た。驚いて目を見開く嘉平を、如月は慣れた手つきで抱き上げる。突然のことで、嘉平は慌てて如月の着物を掴んだ。 「なんで、」 「別に。買い手のいないお前をただ買っただけだ」 「きさらぎさ、」 「ただ、分かってるとは思うが働いてもらうぞ。30両。お前を買うために使った金だ。せいぜい、その分まで働いてもらうからな」 だから、まずは湯浴みからだ。 埃を被った嘉平の着物を少し叩きながら、如月は少し笑ってそう言った。

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