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嘉平
「ありがとう、ございました。如月さん」
「別に。俺はただ、鬼月の命令に従うだけだ」
男―如月―に連れてこられた部屋で、嘉平は手を洗われていた。綺麗に、念入りに。手にこびりついた汚れを落とすように。如月が何度も手を擦る様子を眺めていた。
「……………如月さん」
「何だ」
「なんで鬼月さんは、私なんかを受け入れてくれるんでしょうか。銭もたくさん渡せない私なんかを」
何度も聞いた。でも、その答えは1度も返ってきたことはない。それでも、こうして毎回嘉平は聞くのだ。鬼月が自分を受け入れてくれる理由を。
華町を牛耳る男、浅葱が楼主に君臨する遊郭【和泉屋】。遊郭でありながら、陰間もいる世にも珍しい店。地方からも客がわんさかと来る、夜の世界で知らぬものはいない店。そんな店で1番客を取っていると言われているのが鬼月だ。
本来なら、嘉平みたいな一般庶民が来ていい店でもないし、触れてもいいお人でもない。
それでも嘉平がひと月の終わりになけなしの銭を持って訪れるのは、鬼月に触れたいからだ。和泉屋から逃げ出した鬼月の姿を一瞬だけ見てしまったあの日からずっと、嘉平は鬼月の元に通いつめた。
「ほら。終わったぞ」
「ありがとうございます。如月さん」
「これが俺の仕事だ」
嘉平の手を洗い終えた如月が、ぬるま湯の入った桶を抱え立ち上がった。そして嘉平に背を向けるとその場を後にした。
「今日もまた、答えは貰えなかったな」
どうせこれから先も、答えは分からないだろうけど。
そう決めつけて、ぼんやりと外を見ながら待つと奥の方の襖が少しだけ開いた。そしてその隙間から覗く白くて、綺麗な手。鬼月の手だ。嘉平は、音をたてずそっとその手に近づく。
そして、開いた襖の向こうが見えない位置に座り、そっとその手に触れた。
刹那。
嘉平が触れてすぐ、鬼月の手は襖の奥へと消えていく。銭しか出せない嘉平が、鬼月に触れられるのはほんの一瞬だけ。
それでもいいのだ。
「また、来ます」
鬼月に聞こえるか聞こえないかの声で言葉を残して嘉平は部屋を出た。
また、頑張らないと。今度は、今日以上に触れられるように。夜空に浮かぶ月を見ながら、そう決意した。
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