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第12話 きらいだとも -1
「馬鹿にしないでくださいっ!」
情に訴えるような悲痛な声。間髪入れず、パシッと乾いた音が部屋に響いた。
今はこれ以上なにを言ったところで、きっと目の前の男には響かない。はらはらと零れる涙をぼんやりと見つめながら、久谷は早々に見切りをつけて踵を返す。湿った唇とジンと熱くなる頬に、俺はなにをしているんだと笑いたくなった。
「次は……」
呼び出した部屋を出て、薄っぺらい機械を取り出し確認する。これでようやく半分。初めはいったいどこまで続くのかと気が遠くなるほどの人数が連なっていた電話帳も、一人ずつ消していって、今や半分の長さになっていた。すべてが終われば、このスマホに登録されているものはなにもなくなって、自ずとこれは使うことがなくなる予定だ。
しかし、とうとう半分来たかと喜ぶと同時に、逆にまた同じ人数と会わなければならないのかと酷く憂鬱になるのも確かで。そろそろ、桐生に会いたくてしかたなかった。あと何回、今のように厄介な輩と話さなければならないのか、考えるだけでうんざりしてしまう。
一向に開かれることのない背後の扉を一瞥し、歩き出す。きっとまだこの扉の奥で泣いているのであろう男の感極まった高い声が耳に残っていて、久谷は振り払うように首を振った。
想定外だったのは、思っていたよりも例外が多いことだった。てっきり拗らせているのは雨宮だけかと思っていたが、自分のセフレたちは案外頭の沸いた奴らが多い集団だったらしい。久谷はそのことに、最近初めて気がついた。寧ろ例外の中では雨宮は引き際が良い方で、自分の立ち位置を理解していたのだと実感させられるはめになるとは、思ってもいなかった。
終わりを伝えれば、基本のスタンスはもちろん快諾。それはそうだ。元々そういうルールだったのだから。
そのルールの下に繋がっていた仲だから、なにかあったとしても嫌味の一つや二つ言われて、あとは揶揄されて終わり。てっきり、そういう人間ばかりだと思っていたのに。いや、というよりも、そういう人間としかセフレになった覚えはなかったのだけれど。
「あ、おかえりなさい委員長」
「おう」
「机の上に生徒会からの書類置いときました」
「サンキュ」
話をするために呼び出すのはいつも、以前雨宮に呼び出された部屋にしている。ここから近いあそこならすぐに行けるし、すぐにここに帰ってこられる。そして、万が一にもこの間のようなことがあったときも、桐生に遭遇する確率が高くなるだろうと思ったから。とはいえ、この作戦が功を奏したことはないけれど。
今日も今日とて知らない間に来ていたらしい生徒会からの書類を手に取り、ため息を吐く。誰もなにも言ってこないところを見ると、きっといつもの誰かだったのだろう。そうでなければ、会長が会長がと、うるさいくらいに報告してくるだろうから。
「ん? ……ああ、これか」
「どうかしましたか?」
「あ、お前これやっとけよ」
「え、俺ですか!?」
中身を確認したあとガサッとその封筒ごと、たまたま側にいた樋口へと流してやる。不満を言おうがなにをしようが、受け取らせたら勝ちだ。なんで俺がという視線を、ふんと鼻で笑って流してから久谷は席に沈み込んだ。
それこそ、なんで委員長でなくともできる仕事をわざわざやらなきゃならないのだ。なんのために長になったと思ってる。雑用を部下に任せるために決まっているではないか。
久谷がセフレなんてものを作り始めたのは、高校に入ってからだった。これでも中学までは一応、恋人なる人間としかヤっていなかったのだ。
恋人といったって、告白されたときにフリーだからと付き合っただけ、という相手ばかりだったけれど。自分を好きになってくれた相手だ。それならば、きっと一緒にいると楽しいだろうと思っていたのだ。
しかし、それがよくなかった。相手のことを好きでもなんでもなかった久谷が、安易に付き合ったり別れたりを繰り返したせいで、色々と問題が発生したのだ。いわゆる、痴情の縺れ。その問題は、あわや家同士の問題まで発展しかかった。その時の面倒がうんざりするほど厄介で、その時点で、名前だけは甘ったるい関係に懲りたのだ。
ただでさえ男同士である以上、この箱庭を出た瞬間に白い目で見られるのはわかっている。それなのに、将来を誓いたいわけでもない相手とのいざこざでなにかあってもつまらない。だから久谷は、高校に入ったらもう惚れた腫れたというものから限りなく遠ざかろうと決め、今のようなルールができたわけだった。
恋愛感情を持っている相手とはセフレにならない。どちらかが関係の解消を求めたら、すぐにやめる。
高校に上がるとすぐに、久谷はこの二つを条件にしてセフレを作った。体格と腕っぷしの強さを見初められて風紀委員会に入ったのも、これと同時期の、高校入学後すぐで。
生徒の人数が膨大になる高校からは、親衛隊という文化ができるのだというのは有名な話だった。自らが定めた対象を恋慕い、崇め、支え、健気に影で支える。それが、親衛隊。
正直そういうものすべてが面倒くさいがために、ヤる相手を恋人からセフレにシフトチェンジした久谷にとって、規則によって親衛隊を作ることのできない風紀委員は願ってもない役職だった。セフレがいる風紀委員なんて前代未聞だと批判されもしたが、残念ながら、そんなことを気にするような玉ではない。
それはともかく、そんなわけで高校入学当初からは、条件付きの割りきったセフレ関係を築いてきたつもりだったのだ。体だけの、それ以上でも以下でもない関係。それなのに、ここに来ていざ蓋を開けてみれば、知らない間に例外だらけで。
『嫌です久谷様! 捨てないで……!』
終わりを告げた途端、それまでしおらしかったのが別人のように泣き、喚き、縋りついてくる姿は、控え目に言っても美しくはなかった。正直に言って、酷く、醜かった。
確かに二年以上、短いやつでも半年は付き合いがあるのだから、情が湧くのは仕方ないことではある。現に自分も、この短期間で桐生のことが好きになったわけで。しかしルールも忘れて、捨てないでなどと元々拾った覚えも手にしていた覚えもないのに宣う奴らは、愚かだとしか思えなかった。辛うじて同情こそするものの、そういう気持ちがわかった今でも、ほとんど嫌悪感しかなかった。
鬱陶しい。気持ち悪い。面倒くさい。これだから嫌だったのだ。
そんなことしか思わない頭。それなのに、どこかでこれが、桐生だったらとも考えている自分がいて。
きっとこれがあいつならば、気持ち悪いだなんて思うわけなく、喜んで応えただろう。その気持ちを、諸手を上げて歓迎したことだろう。相変わらず笑えるほど自分勝手だなと思いながらも、桐生相手でなければ嬉しくもなんともない喚きは聞き流すだけ。
終わりを告げたあとは、殴るにせよ叩くにせよキスするにせよ、すべて相手の好きにさせた。たとえルールを破っているのは関係解消を認めようとしない向こうであっても、それを追及するなんて面倒くさいことはしなかった。
なんでもよかった。諦めてさえくれれば。もうこれから不必要に絡んでこなくなるのならば。さすがにセックスまで許容するわけにはいかなかったが、必死に舌を絡めてくるのを拒絶せずに、ただ冷めた思考でされるがままになるのも、結局は自分のためだった。そういう気持ちがバレたのか、さっきはキスされたあとでさらに叩かれたわけだけれど。まったく、理不尽きわまりない。
出る前に、仕事はすべて終わらせてあった。追加らしき仕事も樋口に投げてある。今、やるべきことはなにもなかった。
ならばやることは一つ、と豪華な委員長席に沈み込みながら久谷が取り出したのは、例に漏れずセフレ用スマートフォン。次は誰にするかと少なくなってきた電話帳をスクロールする。しかしその大半は、結局誰だかいまいち覚えていないから、正直選びようがないのだ。選ぶ要素が名前しかないリストを眺めるのに飽きて適当に目星をつけると、その場で通話ボタンを押した。
「よお、俺だが――……」
数コールですぐに出た相手に苦笑しながら、さっそく約束を取り付けにかかる。こんなに早く電話をとるなんて、また面倒くさいやつを選んでしまったのかもしれない。今日はもう、外れクジは二回目だ。
しかし、これでまた少し桐生に会えるときが近づくのだと思うと、自然と顔が緩んでしまう。ちょうど目が合った樋口に蔑んだ目で見られたが、鬱陶しいとその視線を手で払った。さっき渡した書類の処理が残っているのだから、こっちなんて見てないでさっさと仕事をしろと目で指示をする。
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