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第11話 すきだというのが

 久しぶりに近くで見た久谷は、話し方も、雰囲気も、あの時と同じままで。なにもかも、二週間前と変わらないままで。  唯一違ったのは、その隣に立っていた存在。  自分とは、正反対に位置する男。  ――あの日初めて、俺は自ら仁科(あいつ)を誘った。  久谷から逃げるように立ち去ったその足で、桐生は無意識にある部屋へと向かっていた。真っ白になり、なにも考えることなどできない頭が弾きだした避難場所。生徒会室に戻らずに向かったそこは、いつも、仁科に呼び出される部屋で。  早足だったせいか見てしまったもののせいか、ドクドクと頭に響くほどうるさく脈打つ心臓。八つ当たりのように扉を蹴り開けるも、照明のついていない無人の部屋に、桐生は酷く落胆したのだ。  基本的に桐生の後から部屋を出る仁科がいつも掃除をしているのか、まさかここで数日に一回、時には一日に数回もセックスが行われているとは思えない、整然として澄んだ空間。そこには今の自分が酷く不釣り合いのような気がして。ズカズカと荒らすように中に入り、わざと乱すように勢いよくベッドへ身を投げ出す。そうして桐生は、気づけばスマホを手にしていた。 『――仁科、俺を抱け』  あの時、急な呼び出しに応じてすぐにやってきた仁科は、なにも言わずに桐生の願いを聞き届けた。  与えられる熱に溺れた。望むだけ流し込まれる快楽を享受し、流され、翻弄され、咽び啼いた。吐き出せるものを限界まで吐き出し、吐き出すものがなくなっても、いつまでも求め続けた。  結局彼は、最後までなにも聞かなかった。  そして最後まで、久谷の名を口にはしなかった。  あれからというもの、彼から脅されることはなくなった。それはつまり、呼び出されることもなくなったということで。  そう、だから、すべて桐生からとなったのだ。あの日からのセックスは――そしてもちろん、今この時も。 「はっ、あ……んんんっ」 「はあっ、桐生様……っ」 「あっ、そこ、や、ああっ!」  がちゅがちゅと濡れた音を鳴らしながら緩みきったナカを突き上げられて、酷く高い声が出る。聞くに耐えない声が部屋に響くのが苦痛で唇を噛むと、すぐに「ダメですよ」と嗜められて、そこに仁科の唇が重なった。柔らかい感触に誘われるように薄く口を開けば、中へ入り込んでくる熱い舌。 「っ……は、んうっ」 「んっ」 「ん、あ、んん、んっ」  絡めとられた舌を柔く食まれ、ヒクンと体が震えた。突き上げられながら口内をくまなく舐られ、あがる悲鳴さえ飲み込まれて快楽を逃がしもできずに、桐生はただただ体を仰け反らせる。自分よりもずっと薄く華奢な背中にしがみつくしかできない手。快感から逃げ出すようにもがく足は、虚しくシーツを滑るだけだった。  なにも考えられなくなるほど、止めどなく与えられる快楽。狂おしく貪り合う熱。  それに逃げているのは、わかっているだろうに。 「っは! あ、はあ……っ」 「はあっ、すみません、つい」 「はっ、くそ、死ぬかと、思った……っ」  ようやく解放された唇から熱く荒い息を吐き出す。酸素が薄くなったような気がする体内に、酸素を取り込もうとして激しく喘ぐ胸。必死に空気を吸いながら悪態を吐けば、仁科はもう一度「すみません」と言って笑った。  ちゅ、と首筋に口付けられて、くすぐったさに僅かに跳ねる。こういうのが、酷く甘やかされているようで落ち着かない。さっさとしてくれと視線だけで促せば、ゆるりと目を細めた仁科が再び律動を開始した。  こんな関係になってから、前から感じていた違和感は確信に変わった。  きっかけは確かに雨宮の言葉だったかもしれない。だけど、仁科が本気で脅していたのは、きっと初めの一回だけ。  それ以降――仁科は確かに、桐生のために、桐生のことを抱いていた。  強制された想い人以外とのセックスは、久谷との関係に限界を感じていた桐生の逃げ道となった。そして同時に、自己満足の贖罪とも。これは仕方のないことなのだと、無理矢理やらされているのだと、そう思って自分を被害者にすることで、桐生の罪悪感は酷く和らいだ。すべてが、桐生のためだった。  そして今、桐生は再び久谷との関係から、久谷のことが好きだという気持ち自体から逃げ出している。そんな彼を仁科は、ある時は蕩けるほどに甘く、ある時は狂うほどに激しく抱いた。なにも、考えられなくなるほどに。  ずっと桐生のことを見守り支え続けてきた仁科は、驚くほどに桐生が求めるものを理解していて。なにも言わずとも伝わってしまう。それは、桐生が無意識に寄り掛かってしまうくらいには。  だから、仁科の隣は、酷く楽なのだ。どうしようもなく居心地がよくて。ぬるま湯に浸かっているようで。ずっとこのままでいたいと思ってしまう。隣にいたいと、思ってしまう。  確かにそう、思うのに。  どうして、目を閉じると浮かんでくるのは彼の顔なのか。絶対に叶わない相手なのに。向こうは、こちらのことなど気にも止めていないのに。  どうして未だに俺は――久谷のことが、好きなのだろう。 「は、あっ……くっ……!」 「桐生様っ……気持ち、いいですか?」 「あ、ふっ……いいっ……ん、いいからっ」 「っふ、ここですもんね……っ」 「――ッ!」  生理的な涙で滲む視界。毎回聞かれる問いに繋がれた手を握り返して答えれば、そこを深く抉られて声もなく身悶える。ふっと綺麗な顔が近づいてきて、ぼろぼろと目尻から零れる涙を舐めとった。  懲りない自分が、もどかしくて仕方ない。  仁科を好きになれば、みんな丸く収まるのに。こんなにも大切にしてくれる。こんなにも甘やかしてくれる。こんなにも、自分だけを想ってくれる。そんな相手、探したってそう簡単に見つかるものではない。  しかしどんなに仁科のことを知ろうが、知れば知るほど、それでも久谷のことが好きなのだと思い知らされるだけで。想いを実感させられるだけで。仁科を一番に想えない自分を愚かだとは思うけれど、それでもこればかりは、どうしようもなくて。  動いてはくれない気持ち。久谷のことが好きにならば、仁科のことを一番に想えないのならば、こんな関係は早くやめなくてはならない。きっと仁科は構わないと言うけれど、これ以上彼を利用して、振り回していてはいけないのだ。答えられないのならば、甘えるべきではない、のに。  それなのに――そうわかっているくせに、仁科の手に甘えてしまう自分が、振りきれない自分が、どうしようもなく、醜いと思った。 「はあっ、は、ふぅっ……」 「桐生様……」 「ん……に、しな? んっ……」  律動が緩やかになっていく。ゆるく掻き回すだけの腰の動きにそれでも体を震わせながら見上げれば、汗ばむ額に貼りつく前髪を撫でられて無意識にその手に擦り寄ってしまう。それに目尻を弛めた顔がおりてきて、啄むようなキスをくれた。繰り返されるそれを享受していると、最後に甘く唇を食んで、ゆっくりと顔が離れていく。 「仁科……?」  どうかしたのか。そう問うように名前を呼べば、美しい顔がさらに綺麗に微笑んだ。そうして額に軽いリップ音を立てて口づけてきた唇が、おもむろに開かれる。 「――久谷様が、セフレを完全に切り始めているそうですよ」 「え……」  すっかり甘くなっていた思考に、冷水をかけられたような気分だった。言われた言葉をすぐには理解できなくてただ数回瞬くと、ふっと眉を下げた仁科が額に再びキスを落とす。  なんだって? 久谷が、あいつがセフレを切ってる? 「いや、それは俺とのときも……」 「今回は全員に直接会って断っているそうです。今まで、そんなことは一度もなかったのに」 「……そうかよ。でもそれは俺とは、ん……っ!」  それは、俺とは関係ない。  そう言おうと動きかけた口を、あっという間に塞がれる。律動が再開すれば、ついさっきまで快楽に蕩けていた体はすぐに溺れて。身体中が悦楽に侵食される。唇を解放されたところで、もうまともな言葉を紡ぐことなど出来なくなってしまった。 「は、ああっ、や、もうっ」 「桐生様……っ」 「あっ、うあっ! にしっ、あ、ああっ……!」  思い切り奥を突かれ、大きく仰け反る背中。シーツを力の限りに握り締める手。ぴんと突っ張る足。あられもなく響く声。  霞む視界に映るのは、綺麗に笑う仁科。その唇が呟く言葉を聞き取ることができなくて。それが、酷くもどかしくて。  与えられ続ける熱に翻弄され、煽られ、高められ。そして一気に最後まで上り詰める。そうして意識を手放してしまった桐生は、久谷がセフレを切っているわけを、そして仁科がそれを伝えたわけを、結局聞くことはできなかった。 第11話 すきだというのが(こんなにもつらい)

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